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『星美くんのプロデュース』バレンタインSS(3/3)


『ハッピーバレンタ陰・当日編』


 二月十四日、登校すると既に教室には仄かに甘い香りが漂っていた。

 発生源は教室前方、手提げバッグや紙袋から可愛くラッピングされた包みを取り出して渡し合う女子たちだ。幾人かはその場で包みを開け「めっちゃ凝ってる! アートか!」「いやでも味は普通!」「割りチョコって感じ!」「うっさ!」などとはしゃいでいる。

「おはよー伊武。チョコ持ってきた?」
「もち! 配るから一列に並んでー!」
「配給か!」
 
 そんなキャッキャッと嬌声の響く教室にそろぉり、と入ってくる人影が一つ。あの人目を忍ぶことに慣れた動き――心寧だ。

「あ、しーちゃん! こっち来て一緒にチョコ交換しよ!」
「ぅひっ!?」

 忍んだ甲斐もなく伊武に見つかり、陽キャたちの群れに放り込まれていたが。

「えー心寧さんも作ったんだー! チョコクッキー?」
「ぁ、その、クッキーならそんなに失敗もしないんじゃないかって、聖蘭ちゃんが……」
「いいじゃんいいじゃん! じゃあわたしのブラウニーあげるね!」
「ぁっ、ありがとう、ございます……! お、おいしいです……!」
「もう食べてる!? 早っ!」
「めっちゃ頬張ってる! ほっぺたリスみたいになってるんだけど!」
「心寧さん、今度はこっちのも食べなよー!」

 心寧がうまく混ざれるか不安で遠目で見守っていたが、なんか途中から心寧に餌付けする会みたいになっていた。まぁ本人も周りも楽しそうだからいっか。

 一通り女子同士での交換を終え、心寧は胸の前で色とりどりのチョコの包みを抱えながら席に戻ってくる。

「嬉しそうだね、心寧」
「えっ、あ、はい……!」

 机にどさっと戦利品を置く心寧に声を掛けると、彼女はにへへ、とだらしなく頬を緩める。

「バレンタイン、チョコを交換するなんて面倒くさそうだし、どうせプラマイゼロなら自分で自分に買えばいいのにって思ってたんですけど……」

 なんてつまらないことを考えてたんだ、こいつは。

「でも、今回自分で作ってみて気づきました……! こんなしょぼいクッキーをあげる代わりにすごく凝ってておいしいチョコをもらえるなんて、めちゃくちゃプラスなのでは……!?」
「バレンタインってそういう感じだっけ……?」

 こいつ、バレンタインとか関係なくただただ甘いものに貪欲なだけでは?

「お、心寧さんめっちゃチョコもらってるなー!」

 心寧の机に山と積まれたチョコに興味津々、といった感じで折戸が近づいてくる。

「あっ、えっと、折戸くんも良かったら、これ……」
「マジ? いいの? サンキュー」

 心寧はちらちらと目を泳がせながら、いそいそとチョコクッキーの包みを折戸に渡す。……あれ、女子にあげるだけじゃなかったのか?

 目の前の光景に、僕はにわかに浮足立った。折戸にあげるってことは、もしや流れ的に僕にもくれるのでは?

「なになに折戸ー、自分からチョコの催促?」
「いやいや別にしてねーから!」
「可哀想だし、仕方ないから私もあげるね?」
「嫌な同情のされ方だな!」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら近づいてきた伊武は、折戸の手にぽん、と包みを置いてそそくさとその場を離れた。……その後ろ姿を心寧が何やら生温かい目で見守っていて、なるほど、伊武が折戸に自然にチョコを渡すための段取りを二人で考えていたのだな、と気づく。

 ――それはそれとして。

「……ぅわっ、な、なんですか、この手?」

 こちらを振り返った心寧は、掌を上に向けてスタンバイしていた僕を胡乱げに見た。

「え、僕の分は?」
「え、クッキーですか……?」
「折戸にあげてたし、僕の分もあるのかと思って」

 僕がそう言うと、一瞬考え込むような間を置いて心寧は答えた。

「な、ないです……!」
「えぇ!?」
「星美くんには、クッキーはあげません……!」
「なんでより強めに言い直した!?」

 当たり前みたいな顔で言われ、僕は普通にヘコんだ。くそっ、姉ちゃんが変なこと言うから無駄に期待してしまったじゃないか……!

「――あ、あの、星美くん。話は変わるんですけど、今日って放課後、暇だったりします?」
「へ? まぁ、うん」
「そ、それじゃあちょっとお時間もらっても……」
「あぁ、うん」

 まだヘコみから立ち直れないまま雑に了承する僕に、心寧はつい、と顔を寄せ小声で言う。

「――い、一応、『着替えて』おいてもらえると、助かります……!」
「なんで?」
「えぇっと、その方がまだやりやすいかなぁ、というか……気分的に……」
「はぁ。まぁいいけど。で、どこに行くの?」
「どこ……えと、とりあえず、星美くんの家にわたしが行くのでっ……!」
「ふぅん? まぁ、わかった」

 正直何もよくわかっていないのだが、心寧もなんとなく詳しくは言いたくなさそうだし、と僕は頷いた。

 家に来るのなら、その時ついでに渡せるかな……。もともと心寧からチョコがもらえるなんて考えてなかったし、僕だって別に見返りを期待して作ったわけじゃないし……。

 ――って、危ない! 家に姉ちゃんがいたら心寧にチョコを渡す現場を目撃される恐れがある! どうか早く帰ってくるな!

 僕は僕でまた別の思惑を抱えながら、放課後までの長い時間を過ごすことになった。


   *


 一旦家に帰り、言われた通り女装姿に『着替えて』おく。

 せっかくだし、アイメイクにはビターチョコをイメージした深いブラウンのシャドウを薄いピンクの上から重ね、リップにはマットなショコラカラー。チークはピンクで全体的な印象としては甘さも感じられるように、と試してみたバレンタインメイクだ。……まぁ、心寧を待っている時間をそわそわと持て余し、気を紛らわせようといつもはしないメイクに挑戦していた節はある。

 そわそわの原因は、教室で渡すのも変かな、と思い自室の机の置いていたガトーショコラ。心寧が家に来るのなら丁度いい、とも思ったが、わざわざ学校の外で渡すことで余計に何か変な文脈ができてしまうような気もする。

 そんなことを考えている内に、今朝の心寧の様子まで思い返して深読みが始まりだす。

 あの時、心寧はボクにはクッキーはあげない、と言った。ここの、クッキー『は』の部分、『クッキーはあげないが、他にあげるものがある』と捉えることもできるのでは? となれば、教室で配っていたクッキーが友チョコだとするならば、それ以外にあげるものとは――

 そこまで考えてそわそわに耐え切れなくなった瞬間インターホンが鳴った。

 落ち着かない気持ちで玄関に向かう。一応、後ろ手にガトーショコラの包みを持って。

 扉を開けると、心寧がどこか緊張した面持ちで立っていた。それが伝染するみたいに、ボクも少し足許がふわふわとする。

「い、いらっしゃい。それじゃあ、上がる?」
「ぁ、い、いえ、すぐ終わるので、ここで……!」
「あぁ、そう?」
「…………」

 本題を切り出す前の謎の間が、二人の間に落ちた。うぅ、そわそわする……! 

「えぇっと、今日は……今日、なんか星美くん、雰囲気違いますか?」

 目を泳がせていた心寧は、ふと気づいたようにまじまじとボクの顔を見る。

「あ、気づいた? 実はバレンタインってことでチョコっぽいメイクにしてみたんだー」
「へぇぇ、そういうメイクの仕方もあるんですね……」
「うん。どうかな? いつもと結構違うし、変じゃない?」
「変じゃないですっ、可愛いっ、です!」
「そう? ありがとねっ」

 手をぶんぶんと振り回して賛辞を送ってくる心寧に、ボクは思わず笑みを零した。

 なんか肩の力も抜けたし、今なら変にならずに渡せそう。

「じゃあ、バレンタインってことで、これ心寧に」
「えっ」

 後ろ手に持っていたガトーショコラの包みを差し出すと、心寧はびっくりしたようにそれを見つめ、それから恐る恐る手を伸ばして受け取った。

「こ、これは……」
「ガトーショコラだよ」
「つ、つまり、バレンタインの……」

 包みを凝視していた心寧は、つ、と上目遣いで窺うような視線を送ってくる。

「うん。まぁ、いつも姉ちゃんに頼まれて作るから、そのついでというか」

 やたらと確認されるので恥ずかしくなり、思わず言い訳めいた言葉が口をついた。

 なおも驚きが醒めやらぬ、という顔をしていた心寧だったが、やがてふんわりと頬を緩め、

「……ぅへへ、う、嬉しい、ですっ」

 と、チョコが溶けたような笑みを零す。

 その顔を見ていたら、さっきまでのそわそわがむず痒さに変わり、ボクはこほん、と咳払いをする。

「そ、それで? 心寧の用事ってなに?」
「あ、えっと、ですね……わ、わたしも、渡すものがあって……っ」

 渡すもの、という言葉に、心臓がどくんと跳ねる。え、それって……?

「……もしかして、それって、チョコ?」

 教室で配った友チョコではない、わざわざ学校の外で渡すことで文脈ができるような――?

「――や、やっぱりやめます……!」
「えぇぇ!? この流れで!?」

 今絶対に何かくれる感じだったのに! 

「いえっ、その、もともと渡すつもりではあったというか、でもやっぱり違うかなってなって、それで別のを用意したんですけど、今になってそれもまた違うかなっていうか……」
「んん……っ、何一つわかんない!」

 説明が下手すぎる!

 やきもきするボクに、心寧は落ち着かなげに首に巻いたマフラーに口許を埋める。

「いえ、その、最初は星美くんにもクッキーを渡そうとしてたんですけど……やっぱり初めてだし、うまくいかなくて、これを渡すのはちょっと、って思っちゃって……それでさっきちゃんとしたチョコを買ってきたんですけど、でも、星美くんは手作りのをくれたし、なんか市販のものを渡すのもちょっと、って、今、思ってるところで……」

 もごもごとマフラーの中で弁明する心寧の耳は赤くなっていた。

「でも、他の人にはクッキーあげてたのに」
「それは、……自分でも変なんですけど、星美くんにはなんか、もっとちゃんとしたものをあげたいって思って……いやあの、星美くんは優しいから、拙い出来のクッキーでも受け取ってくれるとは思ったんですけど、でもそうじゃなくて、もっとちゃんと、こう、喜んでほしいな、って、思って……」

 どんどん曖昧に、尻すぼみになっていく声。それは弁明のようでもあり、自分でも持て余す感情をとにかく吐き出そうとしているようにも聞こえた。

 そこにはどんな意味が込められているのだろう。

 遠慮、気遣い、あるいは見栄。彼女の複雑な行動の裏に隠れた心情を推し量ってみても、ボクには正解がわからない。

 けれど、ただ一つわかることはある。

 自分でもよくわからなくなるまで、ボクのことで悩んでくれていたということ。

 その気持ちは、ボクが彼女にあげたガトーショコラ、そこに込められたものとよく似ている気がするのだ。

 喜んでくれたらいいな、笑ってくれたらいいな、って。

 バレンタインなんて文脈のせいで余計な飾りが付いてしまいがちだけれど、そこにあるのはいつもボクが彼女に向けている気持ちと変わらない。

 それが一方通行ではなく、双方向であるのならば、ボクはきっと嬉しいと思うのだ。

 だから、ボクは掌を上に向けて手を差し出す。

「ちょうだいよ、心寧が作ったクッキー」
「え、っと、でも」
「ちゃんとしたものじゃなくてもいいよ。ちゃんとなんかしてなくても、心寧がボクにあげたいと思うものなら、多分、なんでも嬉しいからさ」
「…………そんなの、」

 ズルい、と彼女は呟いたような気がしたけれど、マフラーの中に埋もれた声はとても小さくて、ボクの聞き間違いかもしれなかった。

「……そ、それじゃあ、」

 意を決したように、心寧はバッグから小さな包みを取り出し、ボクの掌に置く。

「お、お礼です……! いつも、面倒? お世話? になっているので、その感謝を……!」
「いや硬いな!」

 ガチガチの口調の心寧に思わず吹き出すと、彼女も耐え切れなくなったのか、ふへ、と笑みを零した。

「――あ、でも、せっかく買ったチョコが無駄に……」
「それじゃあウチ上がってったら? 紅茶でも淹れるから、一緒に食べようよ」
「ぁ、じゃ、じゃあ、お邪魔します……!」

 思えば玄関先で長々とやり取りをしていたな、と心寧を中に招き入れる。

 ――と、その時だった。

 心寧の肩越し、家の前からこちらをニヤニヤと見ている人物の姿に気づいたのは。

「ね、姉ちゃん!? いつからそこに……!?」
「えぇー? 別に何も見てないよ? 二人がチョコを渡し合って、なんか甘酸っぱい空気になってるところなんて、ぜーんぜん!」
「全部見てるじゃん!?」
「ぅえっ、みみみ、見られ……!?」

 みっともないくらいに狼狽える心寧だったが、こればっかりはボクも人のことが言えなかった。

 結局、心寧の買ってきたチョコは三人で食べた。それなりに値の張りそうなチョコだったけれど、食べている間ずっと姉のニヤニヤした視線を浴びていたせいで、あまり味がわからなかった。


 その日の夜食べた心寧のクッキーは、少し硬くて形も歪で。そして何より。

「……甘い」

 甘党が作ったせいか、とてもとても甘かった。


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