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一年の体感時間を長くするには|エストニア日記 #1

こんにちは、スロベニアにあるリュブリャナ大学でインダストリアルデザインを学ぶために留学中で、いま現在はエストニアのタリンにある、エストニア芸術アカデミーに交換留学中の東郷りんです。ニッチな国かつ両方「〜〜ニア」でなんとも紛らわしいですね。

もう年の瀬も近づき、エストニアの首都タリンでは雪が降り始め、日曜日からはクリスマスマーケットも始まった。私がタリンに来た8月には22時くらいまでタリンを照らしてくれていたお日さまは、今では9時とかにのそのそと出てきて、16時くらいにはそそくさと隠れてしまう。日本やリュブリャナにいるときはあんまり感じていなかったけど、ここに来て地球の地軸が23.4°も傾いていることを体感している。

そんなタリンの冬の雰囲気は私に、中学生から大学卒業までの10年を過ごした金沢を思い出させる。だから、天気自体はそんなに快適なものではないけど、どことなく懐かしさを感じているせいか、なかなか悪くない。とか呑気なことを言ってられるのも今だけかもしれない笑 さすがに金沢で11月に雪が降ることはなかったし、寒くてもマイナス1℃とかそのくらいだったからなあ。

私がヨーロッパに来たのは去年の10月末くらいで、先月でやっと1年が経った。そう考えると、まだ1年しか経っていないのかとびっくりするほど、1年が長かった気がする。日本にいる友達と話していると、「もう1年経つのかあ、あっという間だね。」と言われるんだけど、こちらとしてはその1年前がもうはるか遠い昔のことのよう。自分で考えてみても、東京で働いていたころの1年の経過は、すごくあっという間だった覚えがある。仕事もたくさんあってどれも面白かったし濃密だったにも関わらず、だ。

ただこの、1年が長くて去年が遠い昔に感じるという感覚は、退屈な時間が長く感じるのとはまた違う。じゃあなんでなんだろう、と考えてみた。

それは多分、小さい頃は1年を長く感じたみたいなことなんだと思う。幼いときは、毎日毎日、知らない物事に出会っていたから、刺激も覚えることも多かった。対処したことがない問題とかもたくさんあって、大人になった今みたいに「まあこういうこともあるか」と捉えることもできず、一喜一憂の高低差が激しかったと思う。だから一日一日がけっこうハードな体験だった。海外に来たことで、それに近い現象が起きているんじゃないんだろうか🤔

知らない土地、慣れない言葉、違う文化、使ったことのない通貨、新しい人との出会い、やったことない手続き(しかも間違えたり遅れたりしたら不法滞在になったりするかもしれない恐怖と隣り合わせ)、交通機関、食べ物飲み物、気候などなど、生活を取り巻く環境すべてが違うところにダイブしたせいで、保育園とか小学生くらいに体験していたようなインプットの性質と量になった。水に硬さの違いがあることからいちいち驚くような瞬間の連続だから、頭も身体も大忙しになって、すごく長く感じられるようになったんだと思う。

「ジャネーの法則」という人生の体感時間に関する法則がある。「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」、そんな難しく言わないでほしい。つまりは年を重ねると人生のなかでの1年の割合が小さくなるから、振り返ったときに1年が早く過ぎるように感じるというものなんだけど、

これまでとまったく違う環境に住もうとすると、このジャネーの法則に逆らうことができるのかもしれない。多分そんな状況でも、2、3年住んで学校行ったり働いたりしたらまた慣れてくるだろうから、数年ごとに慣れるのに一苦労するような大移動をしつづけていたら、生きた年数は一緒でも人生の体感時間はとっても長〜く感じられるんじゃないだろうか?もしくは早めにこの世を去ったしたとしても、年数では長く生きた人と体感時間は同じくらいだった、ということもありえるかもしれない。

いつか体感時間を計れる時計ができたら、実験してみたい。

そういえば、交通事故の瞬間、世界がスローモーションに見えるという現象もあるって聞く。「タキサイキア現象」(Tachysensia)という名前で呼ばれているらしく、千葉大の研究者によって去年、「感情の興奮によって時間がゆっくりと感じられる」ことが立証されたらしい。それは、危険や恐怖だけじゃなくて喜びなどポジティブな感情でも発動するそう。もしかしたら、タキサイキア現象のもうすこしスパンが長いバージョンみたいなことが私の中で起こっていたのかも?


それでは〜

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東郷 りん / Rin Togo
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