「あかちゃんがくる」ひとりっこ歴12年の私に、妹がやってきた
こんにちは、未織です☀️
今日も小学生時代のこと。
生まれてからずっとひとりっこだった私に、
6年生の6月、
妹が母のおなかのなかにやってきました。
ずっと弟か妹が欲しくて、
まだあかちゃん来ないの?と両親にせがんでいた私
当然大喜びしました。
発達障害もあり、両親への甘えもあり、
また両親からも多くの愛情、時間やお金を
かけてもらっていた私は、
かなり幼いところがあったのですが、
これを機に、家事を覚え始め、
一日のスケジュールを立てることを練習し始め、
胎児の成長や育児について勉強し始め、
素直に、着実に成長しようとしていた記憶があります。
両親にむかって、
「かわいい担当は、もう終わりだね。あかちゃん来るもんね。」
なんて言って拗ねてみせたことはあっても、
いいお姉ちゃんになりたいという気持ちが、
私を強く支えていました。
この頃のことは、
当時の作文にとても活き活きと表されているので、
今回はその作文をまるまんま引用したいと思います
一語一句そのまま写してみたので、
小6当時の私の言葉の勢いがそのまま伝わると思います。
小説を読み漁っていた頃なので、
叙情的で大げさな表現が多いのがお恥ずかしいのですが笑
お付き合いくださいませ。
あかちゃんがくる
未織(小6)
あかちゃんがくる
我が家にあかちゃんがくる。
お姉ちゃんになる。
ーこう思っただけで、全身に力がみなぎってくる。どうしようもなくうれしくて、おどりまわりたくなる。
お母さんのおなかのなかにあかちゃんがきて、めまぐるしい勢いで六ヶ月がすぎた。
何もかもあっと言う間だった。
あかちゃんは、お母さんのおなかを元気よくけり、おどるようにぐるぐる回っている。
かなりやんちゃだ。
あかちゃんがきて、うれしく楽しいことが山ほどあった。
例えばごはんの時、お父さんは忙しいし、お母さんは動けないので、私が料理をする。
だんだんつくれるようになっていったものの、まだまだ初心者。
いため物が冷めていくなか汁物の出来あがりを待つなんてことがしょっちゅうだった。
でもある日、焼き魚、汁物、ごはん、いため物が同時に出来あがる、言わばきせきがおきたのだ。
どうせまた、全てそろって出来あがらないに決まっていると思いこんでいた私の耳と鼻に、ごはんがたける時のメロディー、汁物が出来あがる時のタイマーの電子音、さんまといため物のいいにおいが同時に流れこんできた。
私がどれだけ目を丸くしたことか。
きっとその夜の「ごはんだよう。」のかけ声は、いつもより大きく家中に響いたことだろう。
それから、絵や作文などのテーマを決めようと言う時、必ず毎回まっさきにあかちゃんがうかぶのだ。
夏休みの宿題は、ほぼ全てあかちゃん色にそまってしまった。
家庭科のクッションもあかちゃんが遊ぶためだけのものとなった。
自分のためでなくとも、こういうものをつくるときには、必ず自然と笑顔になった。
あかちゃんが生まれて…このクッションで遊んで…と想像しているうちに、自然とほほえんでしまう。
そして、もっともっと、あかちゃんのおべべやくつ下、ぼうしやかみかざり、その他色んなものを作りたいと思えてくるのだ。
自分の中で、あかちゃんの存在がどんどんふくらんできているのを実感したのもこの時だった。
まだまだある、うれしい出来事をまとめるのは困難をきわめる。
本当にまだまだ、まだまだあるのだ。
でもそれと同時に、悲しく辛くなり、複雑な気持ちになることもたくさんあった。
例えば公開週間。
毎回両親はほぼ毎日来てくれていたので、私にとってはとても楽しみだった。
それが今学期、全然来てもらえなかった。
母は、あかちゃんがきてから体調をくずし、あまり外に出歩けないし、父はいそがしい。
だから、日を選び、母は二日間だけ来てくれた。
父は一日も来れなかった。
私にとって両親のいない公開週間なんて、つまらないし、さびしかった。
それから、私が母にしかられているとき、「あかちゃん」という言葉が出てくると、自然となみだが出てくるのだ。
自分勝手に行動していたことに気付いて、あかちゃんに申し訳なくなる。
そんな時はいつも、「自分は、たよりになるいいお姉ちゃんになれるだろうか。」という不安でいっぱいになっている。
周りの人からの言葉にも、同じように不安になることがあった。
私の友達に、私と全く同じ十二歳差の弟がいる子がいる。
その子はとてもしっかりした子で、その子のお母さんも、「お手伝いをちゃんとやってくれてたよりになる。」とうれしそうに言っていた。
そういう言葉を聞くとき、私はいつも、「それに比べ私はなんだ。いつもお母さんに迷わくをかけて…。この子みたいないいお姉ちゃんになれる気がしない…。」と不安で自信をなくす。
お母さんもとても不安そうで、「早く安心させてほしい」と言っている。
あかちゃんが来てくれてすごくうれしいけど、そんなことばかりで複雑な気持ちになる。
あかちゃんがきてから、私はいっぱいおこられた。
不安で悲しくて泣くときもあった。
でも、だからと言って、「あかちゃんがこなければよかったのに」とは絶対に思わない。
あかちゃんがいないのに比べれば、しかられること、悲しいこと、不安なことなんて、ちっぽけなちりでしかない。
もし、あかちゃんがいないとして、楽しいことがいっぱいでしかられない毎日を選べたとしても、私は迷いなく、あかちゃんを選ぶだろう。
それくらい、「あかちゃん」という存在は、私の中で大きく大きくなっているのだ。
ずっとずっと待っていたあかちゃん。
大好きな大好きなあかちゃん。
これから、悲しいことも不安なことも、反省することもあるだろう。
でも、もうすぐ始まるあかちゃんとの楽しい生活を想えば、頑張れる気がする。
大好きなあかちゃんだもの、頑張ろう。
私が守るよ、あかちゃん。
今、妹が生まれる前の私の言葉を読み返してみて
まっすぐで、
迷いや不安はありながらも
希望に満ちている自分の言葉に、
正直ものすごく情けなくなりました。
この頃の私はまだ、
このあと起きることを何も知らずに、
ただ妹との楽しい日々を夢見ている。
困難がありながらも、
きちんと向き合って克服し成長していく自分を。
姉として、長女として、
愛され、必要とされる自分を。
妹の出産が相当な難産で母が大きく体調を崩し、
父が自分をフォローしてくれる人間が潰れたことに不安を爆発させて自己愛に支配され、
私を抱き込んで母を攻撃し、
家事も育児も何もできない人間になってしまったこと。
それに直面した私が、
母を、妹を守るのではなくて、
手取り足取りフォローしてもらえる
ひとりっこという立場を失ったことによる
強い不安を癒すために、
父の影に隠れたこと。
妹が憎くて、
だっこできなくなったこと。
自分を悲観して、卑屈になって、
どんどん歪んでいったこと。
机に向かって微笑みを浮かべながら、
近い将来への希望で胸をいっぱいにして
この作文を書いていた頃の私は、
何も知らなかった。
…悔しいなぁ
戻れるなら、戻りたいよ
未織☀️