黒い果実(5)
気の多いタカシ。
半ば意地で別れないことを選んだ私。
確実に黒と判定するには材料が少なすぎる。
そして私は年齢的に焦っていた。
30歳までには子どもが欲しかった。
漠然とだけどずっとそんなふうに思っていた。
28で結婚、29で出産。
なぜかわからないけど勝手にそんなプランを描いていた。
正気に戻る機会は沢山あったのに、盲目的になりすぎた。
ヨネに電話をして以来メールはぱったり来なくなり
タカシは全て忘れたかのように普通に過ごした。
私も喧嘩になるのは嫌だったので、なるべくその話題には触れずに過ごした。
が、私の中にシコリは残っていた。
そのシコリが事あるごとに顔を出し不安になる。
タカシを信じて結婚に向かうべく新居に引っ越した。
知り合いによるとヨネはそのまま働いているらしかった。
モヤモヤ。
私が口を出す事じゃないのでそのまま。
職場と新居は自転車で5分の距離。
あそこであの人たちは一緒に働いているんだ、と思うだけでおかしくなりそうだった。
いや、おかしくなっていた。
タカシの帰りが夜中の1時過ぎる日が続くと、ヨネとどこかに行っているのではないかと不安になった。
「このまま結婚していいのか?」と考える日々。
母にも相談すると「一度実家に帰ってちゃんと考えてみたら?」と言われ
荷物をカバンに詰めるだけ詰めたけど「私が今出て行ったら負けだ」「私がいなくなったこの部屋にあの女が来る」と思ったら怖くなった。
とりあえず荷物を詰めたままのカバンを部屋に置きタカシの帰りを待つ。
「色々考えすぎて頭がおかしくなりそうだし、今のままだとタカシを信じられないし結婚なんてできない」
とカバンをもって家を出ようとして止められた。
私としては本当に実家に帰るつもりだったのだが
彼にはパフォーマンスに見えたのかブチギレ。
「何で信じてくれないの?こんなに好きなのに!他の人となんか何もないのに」
本当に何もないなら怒ってもいい。
何もない証明はできない。
ただ疑わしい材料は色々ある。
疑わしきは罰せず、か?
「少し考えたい」とカバンは置いた。
マリッジブルーだと周りは言う。
それもあるのかもしれない。と当時は思ったが
いまならNOといえる。
根本的な何かがズレていたんだとおもう。
母の「やめるなら今だよ」という言葉をもう少し冷静考えれば良かった。
実家に帰るのをやめて普通に生活をしているうちに、
「もう疑うのをやめよう。心から信じたい」と思ってしまった。
答えを待たせている間すごく不機嫌だったタカシに
仲直りをしたいとバレンタインにケーキを作った。
「養成所時代、このケーキを食べて好きになったんだ!」
なんだよ。ケーキかよ。と言いつつ仲直りができて安堵した私だった。
それから少し経ち、私の誕生日に正式にプロポーズをされた。
両家の両親に話し、私の実家で結納を無事終えた。
入籍はタイミングを見て、という予定だった。
式の場所と予定を義理の実家に相談すると
「あなたたちの好きにしなさい。私たちは合わせます」
と言われたので、自分達の思い出の場所ですることにした。
日時が決まって一番にタカシの実家に報告した。
私の実家は北海道で、親戚はまだ働いている人がほとんどなので土曜日の夕方にすれば
朝飛行機に乗っても十分間に合うだろうと思い
土曜日の17時スタートで希望を出した。
タカシの親戚は全員東京近郊、全員退職済み。
20時に終わっても電車には余裕で乗れる。
という案だ。
しかし義母が「うちのお父さんは体調が悪いし、他もみんな年寄りだ!年寄りを夜歩かせるのか!」と怒鳴ってきた。
「この時間でやるなら私達は出ない!」
任せると言ったのに…。
タカシと義母の話はどんどん悪い方へいくばかり。
親子では喧嘩になるだけなので私が話すことにしたが
キンキン叫ばれるだけで、結局同じことを言われただけだった。
細かいことは忘れたが、あまりにひどい言われようだったため
もうタカシの実家とは縁を切る!老後の面倒も見ない!!と二人で憤慨した程だった。
(元々タカシは両親とくに母が嫌で私の家に転がり込んできていた。
しょっちゅう電話が来て怒鳴られていたのも私は横で聞いていた)
色々考えての日時だったが仕切り直すことにした。
義両親の納得のいく時間がなかなかなくて、式の日取りがどんどん先延ばしになる。
いっそのこと誰も呼ばずに二人だけでやるか、とまで話し合った。
結局、義母希望の午前中に空いてるところを選んだ。
平日真っ只中の午前中。
北海道から出席してくれる親戚達には私の両親がホテルを用意してくれて
前日から来てくれた。
某夢の国のホテルでの挙式。
私とタカシ、義父方の親戚とうちの親戚は楽しんでいたけど
義母の兄弟達はシラーっとしてたなぁ。
入籍前から戦いは始まっていたらしい。
式の後私の方の親戚はパークへ行ってもう一泊した。
こちらは楽しんでもらえてよかった。
当日までドタバタだったが、なんとか無事式を挙げられて一安心だった。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?