歴2週間の新任先生がブルアカストーリー最終編まで読んだ感想
ブルアカ始めたのが2/3とかで、最終編を読み終えたのが2/20の深夜2時。『歴』はおよそ2週間と言っていいだろう
プロの書き手でもないし特に前置くこともないので早々に本題に入りたいと思う
ブルアカ始めて2週間の僕が最終編まで一気に読み切った感想である
あーー待って1個だけ
僕はなんかブルアカの『先生』に自分を重ね合わせるのが難しすぎて(先生が立派すぎるから)、先生の肩に乗ってる妖精みたいなノリでストーリーを見てる
それだけ
とくにこれを気にしなくても、このnoteは読める
一応目次を置いとくね
1.物語の主題(1)
まず、大前提として最終編は超面白かった
ストーリーは良いし、演出も凝っているし、BGMなんか言うまでもない。あの音楽流してりゃストーリー適当でも泣けるだろってレベルの名曲ばかりだ。『最終編』だけあって贅沢に挟まるスチルも出来が良く、どれも世界観を見事に補強している
で、そんな中、僕が特に素晴らしいと思ったのが『物語の主題』とも言うべき点である
僕は『Blue archive』という物語に通底するテーマが大きく2つあると思っていて、まぁ誰でも分かるようなことではあるんだけど、まずは、その1つめから語っていきたいと思う
それがこの場面
このゲームは随所でこれを強調してくる
『大人の責任』『先生の義務』
言葉を変え、表現を変え、なんだかんだ言っても、結局このゲームはずっとこの話をしている
『大人(先生)は子供(生徒)を正しい方向へ導くもの』
『そして、子供が正しい方向を目指して何かやらかしたときには、大人が責任を取るぜ』
というのが、多分Blue archiveの教条その1だ
んで、その何が良かったかって、やはりそれがブレないところが良い
物語に感情移入できるか否かは主人公に共感できるかに依存するってのはよくある話だ
その点、Blue archiveは完璧だった
こっちがアビドス編を読んで『危険を冒してもアビドスとホシノを救おう!それが大人のやるべきことだ!』と熱くなった気分が、最終編までブレない
『おいおい先生、日和ってんじゃねえよ』と思うシーンはほとんどなく、むしろ『これ大丈夫かよ』と思ってしまうプレイヤーをガンギマリの覚悟で引っ張っていく
彼のブレなさはBlue archiveという物語の最高の魅力だと思う。いや、間違いない
……………というのが、僕が最終編の途中まで抱いていた感想だ
そう途中まで。具体的には3章らへんまで
じゃあ何か?
最終編を読み切って、その感想が覆されたのかと言えば、それは断じて違う
『甘かった』とでも言おうか
多分それが正しい。ガンギマリの覚悟とか評しておきながら、僕はこいつを甘く見ていた
焦らす意味もない。プレナパテスの話である
初め『なんじゃこの大仏は』と思っていたラスボスチックな奴は、別世界線の『先生』だったと明かされる。それに次いで、彼が『黒シロコ』とともに、こちらの世界へ来襲した意味も明らかになる
そこで僕は初めて、彼の『ブレなさ』が自身の想像を絶するものであったと知ることになるのだ
僕が今まで見てきた先生は、確かにどんな状況でも生徒を守るために頑張りそうな奴ではあった
しかし、世界線が変わってまでも『そう』なのかという衝撃。これはまぁ相当なものがあった
もう少し先のことを言えば、僕はBGMにも泣かされることになるのだけれど、それはまぁ後述することにしようと思う
次に話すのは『物語の主題(2)』についてだ
2.物語の主題(2)
『先生』の『ブレなさ』について語った
正直、これだけ芯の通ったテーマがひとつあればソシャゲのストーリーとしては十分傑作だ
ただ、Blue archiveにはもうひとつ見逃しようがないほど強く、尊いテーマが存在する
それは『信じる』という要素をやたら強調すること
まずアビドス編
ここで描かれるのは信じるというより、その裏面。すなわち『裏切り』だ
このホシノの台詞は重い
最終編で、絶望する黒シロコにホシノが自身を重ね合わせるシーンがあったが、あれらを踏まえると尚重い
ユメ先輩関連の絶望から借金漬けとはいえ立ち直りうへうへおじさんとして後輩と新たな日々を歩んでいたところにこれ。今思うとvol.1から最悪すぎるな
そしてパヴァーヌ編
ここではゲーム開発部が『アリス』を信じる
なりたいものは自分が決める、自分が信じたものになるのだと先生は説く。君は魔王ではないと
結果、自身を勇者だと信じたアリスは『key』の企みを頓挫させ、最終編では『kei』を自認した彼と分かり合うシーンに繋がる。うーん、回収が上手い
補足すると、パヴァーヌ編のラスボスとなったリオについても、客観的にはそれほど悪人だったということはできないように思う
事実、最終編では『予言と王の伝承』を用いた会話から、リオがアリスらにした仕打ちは、上に立つものとして不可避だという側面もあったというフォローがなされていた
そして、ついにやってきたエデン条約編
ここは顕著だった
エデン条約を簒奪しようとしたアリウススクワッドについてはともかく、1章と2章の補習授業部に関する問題は、ほとんどが『不信』に端を発する問題であった
誰のことも信じなかったナギサは疑心暗鬼の中で命を狙われ、ミカは『私を信じないでって言ったのに』と不敵に笑ってクーデターを引き起こす
トリニティとゲヘナ、そしてアリウスに深く根付いた不信が、先生が生徒を信じることで守られてきた平和に牙を剥く。エデン条約編が集大成として高く評価されるのも納得としか言えない熱い展開だ
しかしここからがエデン条約編の凄いところ
これとこれ
『こいつら誰のことも信じてねえじゃん』とスマホの前で嘆いてた僕を励ますような最高の展開だった
『ヒナのこと信じてるから』
そう言われたヒナは、平和条約を締結しようというときに巡航ミサイルをぶちこまれるイカれた状況で先生を守るため、トリニティの武力集団、正義実現委員会を信じる選択を果たす
これに応えるあたり、やはりハスミとツルギ(正実)も只者じゃない。戦闘力だけじゃ正義は実現できないということなのかもしれないね
この即断があったからこそ、サオリに1発貰いはしたものの、先生は命を落とさなかったといっていい
そりゃシナシナモードのヒナちゃんだって励ますさ。自分を責めるどころかMVP級の活躍だ
本題に戻ろう
『信じる』というテーマではコハルも大事
シンプルに外患誘致をやらかしたとはいえ、モブに詰められていたミカを庇う場面はエデン条約編屈指の名シーンだろう
『正義実現委員会のエリート』を自称してプライドを守っていたコハルが、自分より遥かに強いはずのミカを守るために自身の正義を貫くのだ
この場面は最終編にも繋がり、結果的に多くの市民の命を救うことになる
よし、ようやくここまで来た
最終編と『信じる』というテーマの話に入れる
初めに注目したいのが、これとこれだ
トリニティに協力を申し出るアリウススクワッド
プレイヤーからすればその心根を絶賛したくてやまないところではあるが、逆にトリニティの面々からすれば彼女らを信頼するのは、普通に考えて難しいと言わざるを得ない
そしてこれ
前述したアリウススクワッドを引き込むきっかけとなったミカ。彼女はこのシーンでもモブ達から全然信頼されてないわけだが、正義実現委員会のハスミは彼女に感謝の言葉を述べる
これらのシーンに共通するのは、ハナコの台詞にもある通りではないかと思う
『共通の友人』
ハナコとアリウスにとってのアズサ、そして、ミカと正義実現委員会にとってのコハル
『あいつ(友人)が信じたお前を信じる』という意識が伝播して、まるで奇跡のような連帯を生んでいく
このへんはマジでキヴォトス中の最高戦力が結集するだけでワクワクしたんだけど、こうしたテーマを綺麗に回収してくるあたり、話の作り方が丁寧だ
さて、物語の少し先を見てみよう
やはりと言うべきか、プレナパテスは重要な意味を持っていた
流石に別世界線の先生だけあって、物語のテーマを語る上では避けて通れないのかもしれない
そのプレナパテスだが、彼の行動原理そのものが『(別世界線、すなわち本編時空の)自分を信じる』という点にあったのはストーリーで語られた通りだ
黒シロコを救うため、彼は『自分』が下すであろう判断を信じ、色彩の嚮導者として別世界に侵攻した
彼の最期の言葉も、それを如実に示している
そして、プレナパテスの遺志を遂行したあとの先生が地上に落下するラストシーン
勝ち確BGM『RE Aoharu』が満を持して流れる中、プラナ(この時点ではまだその名前を与えられていないけれど)は、先生を救うため『奇跡を起こす』と宣言する
アロナは『そんなことができるのか』と疑念を抱くが『先生が貴女を信じたのだから』とプラナに手を重ね、原理はマジで分かんなかったけど『私たちの奇跡』を顕現する。結果、先生は助かる
これもハナコ-スクワッド、ミカ-正義実現委員会の協力と全く同じ構図だ
本来ならアロナがプラナを信用する理由はない
しかし、先生が彼女を信じた。だからアロナもプラナを信じ、奇跡を現出させたのだ
3.『あまねく奇跡の始発点』って何?(1)
さて、格好良いテーマについて話したところで次はタイトルについて語っていきたい
正直言うと、タイトルに関して初めはよくわかっていなかった
『奇跡の在る場所』がキヴォトス、つまり『先生や生徒たちのいる世界』だというのは分かるけれど、奇跡の始発点とは何なのか。そもそも電車みたいに発進するもんでもないだろ、と思っていた。何なら今でも曖昧ではあるのだけれど、それでもどうにか形にして話してみたい
それじゃあまずは、1つ目の解釈について
この意味を考えてみるために僕が取り敢えず注目したのは『始発点』という単語だ
始発点。何かが動き出す場所、始まる場所だ
ストーリーの中に、これの対義語が(おそらく意識的に)用いられている場面がある
明らかに意味深な、このシーンだ
ブルアカを始めて最初に見せられる意味不明な動画で、どう見ても死にそうな連邦生徒会長が語る言葉
捻れて歪んだ『終着点』と、連邦生徒会長は言った
これはやはり意識的な演出だと思う。『始発点』との対称性を考えないなら、『結末』とか『終わり方』とでも言っておけば良いシーンだからだ
正直、このシーンがどういう流れでこうなってるのかは未だによく分からない。何個か考察してる人のnoteとかも読んだけど、多分普通に答えは出てない場面なんだろう
(そもそも連邦生徒会長が撃たれたか何かで流血して死にかけてる理由も謎だし、この電車に乗り込んだ流れも謎。そしてこれを先生は目の前で聞いているのか、それとも連邦生徒会長が独り言で語りかけているだけなのかだって分からない)
では、この言葉選びが意味するのは何なのか
まず1つめに考えたのは、連邦生徒会長が『終着点』と語ったこのシーンこそが、実は『あまねく奇跡の始発点』だったのではないかということだ
この言葉を聞いていた(もしくは語りかけられていた)のが本編時空の先生ではないことは明らかだ。本編時空の先生は彼女に会ったことがないのだから
仮にこれを、プレナパテスになってしまった世界線の先生だったと仮定してみる
アビドスは黒シロコの回想から分かるようにシロコを除いて全滅したし、多分他にも様々な問題は山積していたんだろう。連邦生徒会長はその惨状を見て『捻れて歪んだ終着点』と表現したはずだ
こりゃあもう無理だ。捻れて歪んで、こんなん解決するなんて無理ゲーじゃんか、みたいな感じで
だが先生はまだ『終着点』だとは思っていなかった
彼はその後も行動を続け、蘇生の見込みがなかったはずの身体に鞭打ってシロコのもとに辿り着くと、彼女に言葉を伝え『先生を殺すことはできない』とまで言わしめた
それからシロコを庇ってプレナパテスに変貌するわけだが、前述の通り、それでさえ彼は諦めない
『世界を滅ぼすことになっても』とプラナが語ったように、プレナパテスは別世界線に侵攻する
そして、黒シロコを救う道を探した
その願いは本編時空の先生によって叶えられ、『捻れて歪んだ』はずの世界から、黒シロコ(とプラナ)は救われるわけだ。まさに奇跡である
つまり、クソみたいにヤバい状況になって、連邦生徒会長が『先生が正しかった』と語ったあのシーンこそが、先生にとっては黒シロコと、プラナを救うという奇跡の始発点だった
………というのが、1個目の解釈だ
やや乱暴ではあるが、まぁ、ない話ではないんじゃないかと思う
僕は『連邦生徒会長』と『先生』は対になるキャラクターなのかなと思っている(これも余裕があれば後述すると思うけれど)
なので、連邦生徒会長が諦めて『終着点』と語ったシーンでこそ先生は諦めず、そこを『奇跡の始発点』へと変えてみせたのだと予想してみる
4.『あまねく奇跡の始発点』って何?(2)
じゃあ2つ目の解釈に行こう
僕は1つ目の解釈は規模がデカくて、考えてて楽しいなと思っているけれど、どっちかと言えばこっちが本命の考えになるかなと思っている
というのも、これは物語に通底する『信じる』というあからさまなテーマに関連する解釈だからだ
つまりどういうことか
思うに『誰かを信じること』それこそが『あまねく奇跡の始発点』なのではないだろうか、という話だ
始発点という言い方を変えてみよう
信じることによって奇跡が起こる、みたいな話だ
『信じることで全てが始まる〜♪』的な歌詞、みんなどこかで聞いたことがあると思う。何の歌詞かと言われりゃスッと浮かばないけれど、こういうテーマの音楽はたまにあるだろう。それと同じだ
前に語った通り、先生は一貫して生徒を信じていた
これは『先生の責任』というテーマにも通じるところがある台詞だ
これ本当にどこだったか覚えてないんだけど『先生が生徒を信じないと何も始まらない』という台詞があったと思う。『信じる』というテーマと、『始発点』という単語の両方にかかってくる台詞だ
これは裏を返せば『先生が生徒を信じてやることによって、「それ」は始まるのだ』ということを暗に示しているのではないか
何が始まるのか?
それはアビドス編から最終編まで、絶体絶命の窮地を切り抜ける先生と生徒を見てきたプレイヤーなら想像に難くない
『奇跡』である
先生が生徒を、そして生徒が他の生徒を信じていくこと、それこそが『あまねく奇跡の始発点』だったのではないか
ここまでで語ったもので例えれば、ヒナと正実が信じあったことで、先生が窮地を脱したように
そしてこのシーン
そう考えると、ここはその顕著な表れだったのかもしれない。ラストシーンでクソデカテーマの表象をもってくるのは、長編ストーリーのお約束だし
5.『RE Aoharu』の意味
さて、後述すると語った分野に入っていこう
このゲームを語る上で避けられない要素、それがBGMだ
僕はそれほどゲームに詳しくない
一応、一通りの有名ゲームに触れてきてはいるが、偉そうにBGMの云々について長々語れるほどの知識はないと自認している
しかしそれでも、このゲームのBGMが凄え良いことは分かった。まずゲーム開いたときに流れる『constant moderato』がたまらなく良い
あのテッテッテーテーテッテーテレッテレッテレーが耳に残るのなんのって
何かを見ているシロコ、虎丸に乗ったイロハとイブキ、クソ可愛いのに名前が思い出せないゲヘナ帰宅部の2人組、あとなんだっけ。ヒナとイオリが映るシーンもあったな、あとは、ヒフアズとそれを見守るハナコのスチルもあったね
彼らが映りながら誰かがタイトルコールしてくれるまで『constant moderato』が流れる時間が何より良い。毎日ゲームを開きたくなる一因だ
そして超有名なアレ。『unwelcome school』も勿論良い。日本語訳すれば『招かれざる学園』にでもなるんだろうか?
ブルアカのドタバタコメディ性を担保する楽曲で、アウトローを志すアルには申し訳ないが、変なことが起こってこの曲が流れるたびに、かえって『キヴォトスの日常』を感じることができる
一旦関係ないこと言うと、アルは本当に可愛い
だからこそラストシーンの『welcome school』には涙腺を持っていかれたわけだが、これは最後に話すことにしよう。このnoteの最後は『めちゃくちゃ泣いたシーン』を2つ話して終える予定になっている
というわけで、『RE Aoharu』の話に行こう
これ凄えよ本当に。Blue archive有数のミスリード(厳密にはミスリードとは違うかもしれないけれど、『そういう意味もあったのか!?』と思わせる点で、広義のミスリードとしてこう表現する)だと思う
僕は最終編に入るにあたって、PVは幾つか見ていた
例えば5th PVはバンドアレンジの『Aoharu』とともに文化祭(?)準備の様子を描いている
こんなん見たらさ、誰だって引っかかるよ
『青春』がテーマの、学生時代を過ぎた人たちをメインターゲットにしたソシャゲで『RE Aoharu』。
誰だって『青春をもう一度』というのは、メタ的な視点からプレイヤーに対してのメッセージを込めたタイトルだと思うだろう。僕もそうだった
しかし、それだけではなかった
色彩の来襲により失われた日常
プレナパテスにとっては、彼自身の世界線でもはや取り戻すことはできなくなってしまった青春
最終編は、それを奪い返すための戦いだった
黒シロコをテレポートで地上へ送り届けた先生が地上へ落ちて行く最終局面。プラナが先生を助けると宣言したところで『RE Aoharu』が流れる
本当によく出来た演出だと思う
『青春をもう一度』とは、Blue archiveの世界においては『日常をもう一度』というのと同義だ。学園都市においては、青春こそが日常なのだから
この曲とEDテーマ(?)の『優しさの記憶』に送られながら、先生はプレナパテスが二度と戻ることのできない、自分の青春へ帰っていく。良すぎる
この曲、『RE Aoharu』を聞いてると、ストーリーのせいだろうけど抜けるような青空が思い浮かぶ
バカほど青い空の下、駅みたいな場所に誰も乗っていない電車が停まっている
それに乗っていけば、どこかで連邦生徒会長に会える、そんな気がする、不思議な曲だと思う
閑話休題
あまり『RE Aoharu』以外の話をすると冗長になる気はするけれど、流石に『優しさの記憶』にだけは触れておこう
実を言うと、最初にコレが流れた時は、マジで全く聴いてなかった。なぜかと言うと「うわぁ〜〜〜〜すげぇ話だ〜〜〜〜」とか1人で騒いでいて、曲を聴く余裕なんかなかったからである
なので後からYouTubeで聴いたし、歌詞は調べた
そこでまた驚いたのは言うまでもない
これ『俺ら』の曲じゃねえじゃねえか、って
だってこれから『日常』へ戻っていくだろうというラストシーンで流れる曲なのに、この曲は基本的に『思い出』の話をしている
朧げな記憶の中にある優しさ
胸の中にある青、かつて貰ったはずの愛
それで気付く
このEDは『俺ら』のためのものじゃない。この記憶を持っているのは、そしてこの曲が歌われる相手は『俺ら』ではなく、黒シロコでありプラナであり、プレナパテスなのだと
6.連邦生徒会長の謎
これも話しておかなければならない
誰も読んでないかもしれないけれど、自分で後述すると書いた以上記さないわけにはいかない
僕がこういう、よく分からん考察じみたことまで手を出したのは、全て後日談が原因だ
アレを見るまで僕は『こっちの世界には連邦生徒会長がいない。でもプレナパテスの世界の彼女は健在で、色んな問題の解決に乗り出したが、どこかで判断を誤った。だから世界は無茶苦茶になったのだ』と考えていた
さっき触れた意味不明な電車のシーンも、その延長なんだろうな、と
そこへきたのが、プラナのこの台詞である
もうわからん。どういうこっちゃねん
そしてこれ
いや、本当に訳がわからん
なんか雰囲気的に連邦生徒会長とアロナが同一人物なんじゃないかとは、確かに思っていた
つまり連邦生徒会長は何らかの技を使い、本編時空の先生が持つ『シッテムの箱』に侵入。そして本来のOSである『ARONA』に成り代わって、若干ポンコツ感のあるOS『アロナ』となった、それに伴い、超人とまで言われた彼女の精神、それと記憶は一時的に失われている……ということになるだろう
つまり、本来のOSはプラナなのだ
ああいう、なんかすげぇ機械っぽい子が正式なOSで可愛いポンコツのアロナはイレギュラーな存在だということになる
そう考えれば、シッテムの箱の合言葉が違っていた理由も納得がいく
多分、正しいのはプレナパテスの言う合言葉だ
『古則』が7つあるというのは強調されてる内容だし、正式なOSはプラナの方だという点にも繋がる
いや、まぁ良いだろう。ここまではまぁ分かる
正直分かんないことは多いけど、まだ理解できる
ただ『ここにいたから、他の世界線にも連邦生徒会長がいなかった』という部分は完全に理解の外だ
この言葉を鵜呑みにするなら、『連邦生徒会長は、全ての世界線に共通する1人しか存在しない』ということになる……そんなことがあり得るのか?
ただ、この仮説に基づくと、連邦生徒会長と先生は対比の存在なのかもしれないという予感がする
『全ての世界線に1人しかいない』という特異性と、『プレイヤーに操作される』という特異性
そして本編時空で失踪した彼女と入れ替わるように現れたのが『先生』だ
なんか小説とか漫画をたくさん読んできた経験からして、こういう謎めいたキャラは大抵ラスボスになる気がするんだけど、これは別に勘でしかない
あいつと戦いたくはないなぁ
7.フランシスの語った『主人公』とは
この、名前が結局よく分かんなかった人が言う言葉
これにも一応触れておこう。気になったから
悪いけど、こいつは一体なんなんだ
多分どれかの状態がゴルゴンダであり、フランシスであり、声デカい奴がデカルコマニーなんだろうけど、まだあんま分かってない。何で区別するんだよ
まぁ良い。閑話休題
重要なのは『先生』いや『主人公よ』と言い直した意味だ。そこに、どんな違いがあるのか
僕は最終編を『日常』そして『青春』を取り戻す物語だと解釈した。というか明らかにそうだったわけだけれど、多分これが重要なのだ
さっきの名前わかんない奴は言う
『先生』は、『学園モノ』だからこそ無敵だったと
その通りかもしれない。どれだけ捻れて歪んでいようと、学園モノで生徒を導くのは先生だ
学園モノにおいて、先生は強い力をもつ
それは発言力であり、ときには権力でもある
しかし、このBlue archiveに通底するテーマに則って語るなら、それは『主人公』とは少し違う
『先生』は生徒を教え導くものだ
先生とはあくまで、生徒たちが正しい方向へ向かうことを補助する存在であり、言うなれば舞台装置
その舞台に立っている主役は、あくまで生徒なのだ
このゲームは終始、それを貫いてきたように思う
だから学園モノにおいて先生は無敵だけれど、それでもなお、『先生』は『主人公』ではなかった
そんな流れで入ってくるのが最終編だ
最終編では色彩が襲来し、日常が破壊される。青春が失われる。それを奪い返すための戦いだ
言い換えるなら、ここまで読んできたストーリーの中で最終編だけは、学園モノではなかったのかもしれない
学園モノではない。だから先生は無敵ではない
その代わり、初めて先生は『主人公』になった
生徒たちの青春を取り戻すため、自分こそが先頭に立った。そういう解釈もできるのかもしれない
8.『帰りましょう』という言葉
ラストシーン
ウユニ塩湖のような場所で微笑む連邦生徒会長が、『こちら』に向かって語りかけてくる
大切なものは消えることはない
だから大丈夫です、と。帰りましょう、私たちの全ての奇跡が在る場所へ、と
これを初めて読んだとき、僕は少し違和感を覚えた
まず『私たちの』という部分。そして『大切なものは消えることはない』という部分
『私たちの』とわざわざ付け加えた意味は何か
そして、全てを守り切って戦いを終えたはずの先生に『消えることはない』と語りかける意味は何か
そのときは単なる違和感でしかなかった
しかし『優しさの記憶』がプレナパテスらに向けた曲だということが分かった今では、この言葉も彼に向けたものなのではないかと解釈できないか
『大切なものは消えることはありません』
これは、彼が自身の世界線で生きた『記憶』だ
プレイヤーとは違う世界。最後にはアビドス生徒会が全滅してしまった世界に、確かに存在した『優しさの記憶』だ
彼が死んでも、心の中にある青が消えることはない
そして『私たちの』と言った意味
それは、こちらの世界で死に至ったプレナパテスの『魂』みたいなものも、元の世界線へ帰らなくてはならないということなのではないか
こちらのキヴォトスは『本編時空の先生や生徒たちにとっての全ての奇跡が在る場所』だ
連邦生徒会長は、プレナパテスになってまで生徒を守り、ついに魂となった先生に対して、もう元の世界へ帰ろうと呼びかけていたのではないか
勿論、元の世界ではみんな死んでいるし、黒シロコが大暴れしたせいでグチャグチャだ
それでも大丈夫だと、大切なものは消えはしないのだからと言った。プレイヤーはそれを、何か不思議な力で垣間見たということなのかもしれない
……ただ、連邦生徒会長が全世界線に1人と考えるとこのシーンめちゃくちゃ怖いんだよな
ただ1人の彼女は全ての世界線を観測してるとしたら
どこかの世界線の先生が死ぬことになったときにはウユニ塩湖みたいな場所から先生に呼びかけて、その魂を安らげているのだとしたら?
なんかすげえ連邦生徒会長の掌の上みたいだよなぁ
明らかになるのかも分からないけれど、やっぱり彼女の素性は気になるし、いつか出会ってみたい
9.てか、ヤバいのってこれからなんじゃないの?
これはまぁ緩い考察なんだけど、気になったもんだから書いてみる
思い出して欲しいのは4th PVだ。お馴染みのね
もうめちゃくちゃ有名だからみんな知ってると思うんだけど、注目したのは中盤の音ハメパート
バッドエンドのスチルを2つ→先生の言葉→グッドエンドという流れを、アビドスからSRTまで見せてくれる。そして『あなたのせいじゃないよ、■■■』という台詞がある
これが実はプレナパテスの世界線での台詞だった、というのは最終編でも有数のビックリ要素だ
てっきりバッドエンドをグッドエンドに変えたのは本編時空の先生であって、『あなたのせいじゃないよ』は、最終編のどっかで登場する言葉なのだと思っていた。でも違った、もしかすると、全部、プレナパテスの言葉だったとは考えられないか
プレナパテス先生も、本編時空の先生と同じように皆を救っていったということではないか
プレナパテス先生はアビドスを救い、ゲーム開発部を救い、エデン条約も片付けて、SRTも助けた
こうなると怖いのは『シロコが黒シロコになったりアビドスがぶっ壊れたのはいつなのか』という話になる
とっくに世界は分岐していて、本編時空はそういうバッドエンドの可能性を回避していると思っていた
しかしそうではなければ、この先(百鬼夜行編なのか、山海経編なのか、ゲヘナ編なのか分かんないけど)で、バッドエンドへの分岐が待っているのかもしれないと思うと、無茶苦茶怖いね
10.めっちゃ泣いたシーン(1)
はい。頭使うのはここまでで終わり
色々話したけど、始めて2週間も経ってない奴の考察なんて当たるわけもない。気楽に泣いたシーンを書いていこう
まずは、前述した『welcome school』だ
これ凄えよなぁマジで
Blue archiveを通して、ドタバタコメディ的場面で使われてきた『unwelcome school』
『キャラクターが、別のキャラクターに、銀行強盗に使った覆面を渡す』なんて、誰が何と言おうと『unwelcome school』の出番だ。どう見たってドタバタコメディ展開じゃんか、って思える
でもそれがもし、すげぇ泣けるシーンだったら?
どんなBGMが、そのシーンには適切なんだろう
『unwelcome school』をアレンジすれば良い
それがここのシナリオ書いた人が用意したシンプルな答えだ。超シンプル。だからこそ素晴らしい
ちなみにこれも少し触れた話だが、『unwelcome school』は訳すと、多分『招かれざる学園』みたいな感じになるんだと思う
ここで気になるのが、Blue archiveの舞台キヴォトスは学園都市だということだ。学園=世界、それがこの物語の前提だ
つまり『welcome school』とは『歓迎される学園』であり、Blue archiveのゲーム内においては、『歓迎される世界』をも意味するのではないか?
この場面にいるのはシロコと、黒シロコ
彼女は元の世界を滅ぼす存在になってしまった
しかし、新たにやってきた本編時空は、『大人によって守られた世界』
この新天地は、彼女さえ歓迎する世界なのだとBGMのタイトルを使って示しているのではないか
11.めっちゃ泣いたシーン(2)
何個書こうかなって迷ってる
ウルッと来たシーンなら冗談抜きで無限にあるんだけど、語りならともかく、書いていく形式で無限に挙げてたらキリがないからね
まぁいくつ挙げるかは考えるとして、2つ目に挙げるのは『勇者の資格』
プレナパテスが覚悟を決めるシーンとかも最高ではあるんだけど、あれは『主題』の部分で触れちゃったから、全く触れてないこれについて言及したい
アリスは、Blue archiveにおいて有数の特殊な存在だ
なんというか、存在が規定されていなさすぎる
彼女は『名もなき神々の王女』であり、『ゲーム開発部の部員』であり、『シャーレの部員』であり、『勇者』だ
アリス自身がストーリーの中で語ったように
そんなアリスは、一度自分を殺そうとしたリオを慮り、自身の内部に眠る『key』を慮り、箱舟を救うために、プロトコルATRAHASISを起動して『光の剣』をぶっ放すことを決意する
この台詞は泣かずには読めないだろ
この台詞も泣かずには読めない
この辺を読んで僕が思ったのは、話を戻すようだがやはりアリスは『特殊な存在』なのだということだ
アリスは『人間』ではない
だから人格形成も至って特殊だった
彼女はゲーム開発部に眠っていた、バカみたいなクソゲーを詰め込まれて人格を形作った
だからこそ、彼女は普通の判断をしないんだ
『自分を殺そうとしたリオには協力しにくいなぁ』だとか
『自分が死ぬかもしれない賭けになんて出れない」だとか、アリスはそんなこと考えない
いや、もしかしたら『勇者は自分が死んだとしても頑張るものです』という判断すらなかったかもしれない
アリスは心の底から勇者なのだ
だからこそ『皆のために頑張るリオ』は自分を殺そうとした過去があろうが味方だし、『世界を滅亡に導く鍵であることが存在理由であるケイ』は自分の内部に巣食う存在であろうが救うべき相手になる。価値観が勇者すぎるんだよ
その善性……いや、もう『人間』としての価値観で『善性』とくくることが適切かさえ分からない
とにもかくにも、その『勇者性』こそが、『key』の存在するかも分からない心を打ち、彼を『ケイ』たらしめた
そして、自責の念に駆られて姿を見せさえしなかったリオを救ってみせたのである
小難しいこと言ったけど、ここは本当に泣いた
最後に壊れたロボットが眠るアリスの横に落ちてたスチルとか泣かない奴いねえよ
多分プレイヤーの99%が『せっかく分かり合えたのに……』って言ったと思う。俺もそうだったし
12.めっちゃ泣いたシーン(3)
じゃあ次
色々挙げたい場所はあるんだけどやっぱりここかな
うーん、何回見ても悲しい
最終編においては『宇宙戦艦』に乗るメンバーと、キヴォトスに残って地上を守るメンバーという2つのグループに、ほとんどの生徒が大別される
『シロコに会いに行く』というアビドス対策委員会地上最後の夜、『キヴォトスは私たちが守るから』とユウカに告げたノア、みたいな感じで
宇宙戦艦に乗ったメンバーは(連れて来られただけのフウカを除くと)皆んな宇宙でやりたいことがあったメンバーだ。もしくは頭脳担当
キヴォトスに残ったメンバーは、彼らに『私たちがキヴォトスを守る』と覚悟を伝えていたわけだ
ただ、思うにトキだけはどっちでもないんだよね
もちろん宇宙戦艦には乗ってない。でも心から自分の意思でキヴォトスに残ると決めたわけでもないしC&Cと一緒に戦うというわけでもない
ヒマリ(だったかな……)が話していたように『誰とも共闘できない』という気持ちだけで、独りで戦い続けていたわけだ。見返してみると、ネームドキャラの中で唯一と言っていいレベルで孤立してるよな。戦い方もそうだし、メンタリティでも
しかしそれでも『武装』付きのトキはキヴォトスに残ったメンバーの中では屈指の戦力
独りで戦う覚悟だけでも悲痛なのに、なまじやれちゃうんだよな、強えから
それで虚妄のサンクトゥムの顕現を独りでほとんど阻止したはいいが、流石に敵が多すぎてこれ
そしてこれ
正直『クールで人間味がないキャラが、死の間際になって普通に人間らしいこと言い出す』なんてのはよくあるテンプレなんだけど、それでも熱い
Blue archiveはテンプレをなぞるのも抜群に上手い。テンプレってマイナスイメージある言葉かもしれないけど、丁寧になぞれば良いモノになることが確約されてるからこそそれはテンプレたりえるんだよね
あと、地味に悲しいのはここだよね
これも見事にすれ違ってる
確かに、パヴァーヌ2章の頃のリオならそうだったのかもしれない。でも、今のリオは違うんだよな
勇者すぎるアリスに絆され、ヒマリに説教され、『誰かに手を差し伸べることもせず、レバーを引くべきかどうか』だけを考えてた自身を省みている
しかしトキはそんなこと分からんわけだ。宇宙戦艦に乗ってないしリオが改心するくだり見てないから
結果、トキは『誰にも助けを求められなかった』という、パヴァーヌ2章のリオをそのまんま写したような展開で死ぬことになる、ところだった
からのこれよ
正直わりと読めた展開ではあるけど、でも熱い
『先輩方と一緒には戦えない』みたいなこと言って孤立してる後輩に『何言ってんだオマエはっ倒すぞ』的な先輩が助けに来る。これもうヤンキー漫画だろ。BGM何流れてたか忘れたけど、青春アミーゴ流れてても別に許せたと思う
で、なんで増援が間に合ったかっていうと、それもまた『信じる』ってテーマに繋がるんだよね
予知夢を失ったセイアが得た『超常的直感』
ノアが何の根拠もないそれを信じたという展開だ
単に誰かを信じる、助けを求めるという『安易な解』である
ってかこれセイア弱体化どころか強化されてるだろ寝なきゃダメだった予知夢より能力として強えじゃねえか、というのは流石に野暮なんだろうね
個人的にはこの直感も無敵じゃなくて、変なところで勘が外れてたりしたらちょっと可愛いなとは思う
ミカがお菓子を切らしてると直感で気付いて差し入れてやったら、切らしてるどころかナギサにロールケーキもらったばっかりだった、みたいな感じで
13.めっちゃ泣いたシーン(4)
ラスト。マジでこれがラスト
っていうか、俺2-4章で4回も泣いてんのか。昔はゲームやって泣くなんて全然なかったんだけどね、歳をとると涙もろくなるのは本当らしい
セリカみたいに『そんなに歳変わんないでしょ!』って誰かに突っ込んでもらいたいよ
さて、前置きが長くなりすぎたね、本題に入ろう
最後に挙げるのはこのシーンだ
これ
黒シロコがマフラーを失くすシーンだ
ホシノが死亡、セリカは行方不明、アヤネは生命維持装置を外して自殺し、ノノミも原因は不明確だが恐らく死んだ
対策委員会は瓦解し、多分キヴォトス全体も崩れかかった状況で、重体に陥っていた先生にすらもはや蘇生の見込みはないという連絡を受けたシロコの絶望をものの見事に表したシーンである
言うまでもねえけど、ここはシンプルに辛い
そりゃそうだよ。なんていうか、みんな死んだってだけじゃなくて背景が想像ついちゃう死に方なのが嫌すぎるよな。アヤネの自殺なんか特に
ただ、それだけじゃない
このシーンがめっちゃ泣けた主要因はこれにある
ここなんだよな
黒シロコいつマフラー失くしたか覚えてないんだよ
省略したけど、いつマフラーを失くしたのか思い出そうとする回想の中で対策委員会メンバーの死因も語られることになる
それを踏まえるとマジでさっきのとこがキツい
なんでかって、あのシーンはみんな死んで、先生も蘇生出来ないとか言われて、いよいよシロコが絶望する最後の最後なんだよ
つまり、シロコは最後までマフラー失くさずに持ってたんだよな。対策委員会、砂狼シロコの『希望』のメタファーなんだろうけど、シロコは仲間が次々死んでいく地獄の展開でも諦めなかったわけだ
しかし、最後にはいよいよ希望を失う
そんでもってもはや『いつマフラーを失くしたか』つまり『いつまで自分は希望を抱いていたか』さえ思い出せなくなってしまう。悲しすぎるだろ
アリスやトキについては感動の涙だったけど、ここは純度100%悲しみの涙
しかしその分、最後のwellcome schoolで報われるシーンの感動も跳ね上がるんだよね。いや、報われたのかどうかは分からんけれど、それでも黒シロコにも新しい世界が開かれる形で最終編は終わる
読み手としては、せめてそれが嬉しかったな
14.最後に
よし、書きたいことは書けた
多分こんなん読むのはツイートから飛んできた僕の友達何人かが良いところだろう。それでいいよ
最後に、最終編について
最終編は『古則』のテーマからも分かるように、『分かり合う』ための物語だったんだと思う
こうして話を振り返ってみるとメタファーは各所に散りばめられてたんだなって気がついた
例えばアトラハシースの箱船に突入するとき、『バリアに波長を合わせればすり抜けられる』みたいな理論があったと思うけど、多分あれもそのひとつだ
よく分かんねえ相手に波長を合わせる、それが相互理解だってことだったんだろう
互いを理解する
これは前述した部分でもあるしさっき書いたアリスとケイの関係にも言えることだ
僕はまだ知らないことがたくさんある
連邦生徒会長のことも気になるし、単に好きなキャラの話をすれば便利屋の過去とかすげえ気になる
もちろん始めて2週間の僕に知らないことがあるのは当たり前だけど、多分、リリース当初からやってる人にも分からないことは大量にあるんだろう
だから、僕は知っていかないといけない
理解していかないといけない。生徒を、先生を
Blue archiveはマジで面白いゲームだ
これからの『先生』が見ていく物語の中で『先生』にとってはもちろん、僕にとっても大切なものが多く見つかれば良いなと、思う