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小鳥遊ホシノに脳を焼かれたオタクのアビドス3章感想【ブルアカ】


0.はじめに


こいつ絶対ただの昼行灯じゃないよなぁ。
それが、俺が半年前に初めて小鳥遊ホシノを見た時の感想でした。

対策委員会委員長(なぜか生徒会長を名乗っていない)にして、圧倒的強キャラ感を出しているヒナが一目置く存在。学校を守ろうとして明らかに怪しい黒服とも契約するし、捕縛された後にはユメ先輩という全然知らない人の名前を口走り、キヴォトス最高の神秘と称されていた。
部屋にあるのは繋ぎ直されたポスター、無愛想なホシノとそれを抱く誰かを写した写真。そして、ヘイローが点灯したまま布団を被るホシノ……

ヘイローの設定知った瞬間吐き気しました

あれ、これもしかしてやばい奴か
俺はアビドス2章のハッピーエンドを眺めながら、薄らとそう思っていた。
小鳥遊ホシノから覗く、暗すぎる過去と大きすぎる傷。おそらくその傷はまだ全然癒えていないくせに「うへ〜」とか言いながらおじさんキャラをやっている小さな3年生。その、奥底で破綻した精神。

それを感じた時から、ホシノの過去は、ブルアカをやる俺にとって最重要な謎のひとつであり続けた。
ホシノの放つ圧倒的な暗さと、それを覗き見ることの怖さに、俺は完全にとりつかれていた。
それから俺は、エデン条約を読み、最終編を読み、アビ夏を読んで水着ホシノも引いて、ホシノは関係ないけどカルバノグと百花繚乱も読んだ。

そして、半年弱を経てアビドスに帰ってきた。
『夢が残した足跡、始まるよ』と、低い声でホシノが言った。

怖い予告PV。遺影みたいな彩度やめてね

というわけで、そんな俺が読んだアビドス3章『夢が残した足跡』の感想を書いていきます。
ホシノに関することを中心に、ユメ先輩や黒シロコについても適宜触れていく形を取ります、まぁアビドス3章の感想を書いたら、自動的にそういう形式に落ち着くとは思うんですけど

1.いきなり心を折ってくるスチル

まずは冒頭からいこう。このスチル

ホシノ、お前はずっと『何』を見ているんだ?

もうね、語弊を恐れずにいうとこれ見たくないんですよ。怖すぎて。
いやアビドス3章を読み終わったのでもう怖くはないんだけど、当時これを見た瞬間の恐怖を思い出すので、いまだに薄らトラウマだ。

これは前述の通り、アビドス3章プロローグの冒頭で登場するスチル。
対策委員会の会議を始めます→ホシノが来てません→どうせまた寝てるんでしょ?といういつもの流れでホシノを呼びに行ったらコレが出てくる。

まぁ、見て分かるけど寝てない。そしてその表情は全く見えず、見つめる先には馬鹿みたいに青い空。そして入道雲。

これ、まさに当時のホシノを表す完璧なスチルだと思うんだよね。

『寝てるかと思ったら起きてる=根底のところでは誰もホシノを理解できていない

『表情が見えない=何を考えてるか分からない

『窓の外(空)を見てる=手の届かないものに固執している

『対策委員会の会議に遅刻している=手の届かないものに囚われて、現在や未来を志向できていない

たぶんこういうことなんじゃないかなと思う。
そしてこれが、俺が恐怖した要因だった。

さっきも言いましたが、一応イベストとか、別衣装の絆ストーリーとか読んではいたんですよ。それでなんとなくホシノのことが分かってきたかなぁとかホシノも先生に心を開いてくれてるかなとか思っていたわけですが、そこからのこれ。

あぁもう全然ダメだと。まだ全然浅いんだと。
ホシノが囚われているどこかには、こんだけ色々なものを一緒に乗り越えてきた先生でも手が届かないのかという絶望、というより無力感を痛感させられた。

この深すぎるホシノの喪失を、先生は埋められるんだろうか。埋められないまでもホシノの求める何かを見つける助力が出来るんだろうか?

ここまではユメ先輩とホシノの過去パートが見れてテンション上がっていたんですが、最終的には怖くなりながらプロローグを終えることになった。

2.幸せであればあるほどキツい過去パート

「ユメ先輩とホシノの過去パートが見れて〜」で思い出した、ここもプロローグだったのか。

はい。ユメ先輩とホシノの過去パートです。
まぁそりゃタイトルからしてこの2人の昔話が見れるのは分かってたので、別にそれは意外でもなんでもないんだけど、何がキツいって死ぬほど幸せそうなこと。ねぇ、死ぬほどって比喩やめない?

ショタ()ホシノ
おねショタって正直理解できなかったんですけど、これは『啓示』になりうるキャラデザだと思う

このへんとかね。
ホシノが目輝かせてるわけですよ。アビドス1章とか観たときは「ホシノと先輩って喧嘩がちだったのかなぁ……」とか思ってたんですが、まぁそうだよね。仲良かったのに最後は喧嘩別れして、そのまま死別の方が展開としてキツいもんね……って話で。

個人的に、アビドス3章でとても良い働きをしていたのがこの辺の過去パートだと思う。
有り体に言って、アビドス3章は『ホシノが過去の傷を克服し、前を向けるか』がテーマである。つまり一旦ホシノにとってユメ先輩がいかに大事な人で、その死がいかにキツかったかを描かなければならないわけだ。そうしないと、プレイヤーに感情移入は促せない。

その点で、こういう過去パートの出来はとても良かったように思う。
現在と過去をシームレスに移動していくのもすごく良かった。おそらくホシノは、街を歩くたびに過去に引き摺り込まれていたんだろうね。

ぶっちゃけPart2.3付近のカイザーとかスオウさんの話は「この展開本当にいる?」ってなった場面がいくらかある(後述する)んだけど、過去パートにはあんまりそれがなかったな。
無駄がなく、綺麗に苦しい。

俺たちが思っていた以上に、ユメ先輩は暖かく、優しく、ホシノにとっての太陽だった。
環境が荒れていたせいか屈折した中学生みたいだったホシノがユメ先輩に絆されていく流れは、本当にこいつこの後死ぬんですか?と大多数の人が思わずにはいられなかったんじゃないかな。

しかしどうしようもないことに、ユメ先輩は死ぬ。至極ありふれた喧嘩をして、それきり何も言えないうちに。
そしてそれをきっかけに、トラブルメーカーの先輩に手を焼きつつ()も幸せだったホシノの精神は破綻を始めた。短髪の過去ホシノが砂漠を探索したあと、何も見つけられなくて号泣しながら帰ってくるとことか本当に辛かったからね。

3.過ちを繰り返す。過ちを繰り返さないために。

じゃあ、話を現在に戻そう。
この言い回し凄い良いよね。俺が考えたわけじゃなく、臨戦ホシノの立ち絵が出たPart3公開時とかにTwitterで見つけました。今更遡れないんですけど。

格好良すぎ

いや。本当に良い。要するに
『大切なものを守るため、周りの制止を振り切って独りで行動する』というアビドス2章での過ちを繰り返しているわけだ。
『最善手を打たなかったせいで大切な人を失う』という2年前の過ちを二度と繰り返さないように。

俺はこのように、ホシノの後悔において『最善手を打たなかったこと』がかなり大きかったのではないかと思っている。
単にユメ先輩が死んだだけでも悲しいのに、ホシノは『水筒を買うのを止めたこと』『喧嘩をして独りで行動させたこと』『スマホの機種変を強く勧めなかったこと』と、自分が『ミス』までも犯したことを悔いているんだよね。
つまり、ホシノはベストを尽くせなかったのだ。
ベストを尽くせなかった。その末に、ユメ先輩は死んだ。

そんなん言ったら、大切な人が死んだ後で『でも俺はやれるだけのことはやった。仕方ない』と思える奴なんているのかという話だが、ホシノの場合、特にそういう後悔が大きかったと見るべきだろう。

そんな状況下で勃発した、ノノミの誘拐。
ネフティスやハイランダー、そしてプライベートファンドがどれくらい悪どい連中かは予測がつかず、先生もシャーレ爆破で入院中。今動けるのは自分と、自分より遥かに弱い、けれど守り通さなければならない後輩たちだけ。

この状況で、ホシノには何が出来ただろう。
アビドス3章を読み切った今となっては、この時既に地下生活者の介入は始まっていて、ホシノは行動に干渉されていたという考察もできる。
だが個人的には、そうでなくてもホシノは独りで、『臨戦フォーム』になってノノミの救出に向かったのではないかという気がしている。

なぜかといえば、おそらく、それが最も『後悔が小さくなる選択』だから。

ミニマックスリグレット』という理論がある。
和訳すると、『後悔最小化法』

複数の選択肢があって、将来が予測できない場合、その選択をした後で状況が悪化したとき、最も後悔が小さくなるような行動を選ぶという理論だ。

ホシノの場合、戦力として足しにならない(と思っている)後輩を連れて行ったり、先生を待ったのに結局来なかったりしてノノミを助けられなかったら、その後悔がどれほど大きいか、想像に難くない。

それに対して、自分独りで突撃した場合、ノノミを助けられればハッピーエンド。失敗して自分が死んだり、ノノミを助けられなくても上記の場合と同じ結末で済む。

そういう悲しくも合理的な思考の末、ストーリーで見せたような結論に達したのではないか。

……しかしもちろん、この理論には穴がある

問題はホシノが独りで突撃して死んだ場合、残ったアビドスの面々にどんな傷が残るだろうかということだ。

というのも、ホシノは初めからずっと、2年前からずっと、死に場所を探している節がある。主君を失った忠臣のように、あの日死んでおくべきだったと悔やんでいる。

その心境も邪魔をして、自分の死がアビドスに何を残すかはあまり重視していない。
きっと、あの後先生が戻らずホシノも独りで死んだとしたら、それを止めることもできずボコボコにされた後輩たちは、ユメ先輩が死んだときのホシノと同じくらいの悔いを抱えて生きていくことになっただろう。

俺は、ホシノにそれが分かっていなかったとは思わない
ただ、後輩に同じ呪いを与えるかもしれないと知ってなお、ホシノは止まれなかったのだ。
同じ過ちを繰り返さないために。
もう二度と、目の前で大切な人を失わないために。

4.無双するホシノと『ユメ先輩ならそうする』

じゃあ、ここからはホシノ無双編の話に入ろう。

大体Part2の終わりからヒナとホシノが邂逅する辺りまでについて、この部分で話そうと思う。その途中にはアヤネが生徒会長になったり、シュポガキが存外良い奴らだったりするというシーンもあるのだがここでは一旦割愛する。

勿論、これらは普通に良いシーンだ。
しかし個人的には、アビドス3章なんてホシノとそれ以外の対策委員会メンバーとユメ先輩の話だけしてあとはシロコテラーやヒナを適宜挟むくらいで良かったんじゃないの?と思ってもいるので、一旦割愛する。それについては、また後のほうで話す。

さて、そういうわけでホシノ無双。
いやね、もう凄えのよ。本当に無双という他ない。

これは完全に私情……とはいえ、小鳥遊ホシノにそれなりの感情を抱いていた人なら誰しもそうだと思うのだが、本気のホシノを見られたことがまずは普通に嬉しかった。話の展開とか抜きにね。

今までのホシノが手を抜いていた、というとそれは不適切な表現になるだろうけど、現実としてホシノが今回ほどガチになったことってあんまりなかったんじゃないのかな

最終編のシロコ誘拐も、『先生がいるから大丈夫』と言われて冷静さを取り戻したし、ビナーとか別にそんなガチじゃなくてもいい程度の敵なんだと思う。ビームも全然無傷で、マキちゃんもビビってたし。

ビナービーム。微塵も効いてない

ちなみに、この『最終編でシロコが拐われたとき、ノノミに嗜められてホシノが冷静さを取り戻す』というシーンは、いつ地下生活者がホシノに干渉を始めたかという考察への手掛かりになる。

というのも、ホシノはアビドス2章を経て一応は成長してるんだよね。
ユメ先輩への固執とかには全く改善が見られないけども、『まぁ先生がいればどうにかなるか』という信頼はある程度生まれている。メモロビとか見てもそれは明らかに分かることだ。

それなのに、今回はこうなった。

ここ。先生が合流すりゃ止まるだろと思っていたけど、
さっぱり止まってくれない

個人的に、ここはリアルタイムで読んでる間、3章の中でも特に不可解なシーンだった。
今思えば「あ〜地下生活者が既に干渉してるんだろうな」と察しがつくけど、当時はかなり理解に苦しんだ覚えがある。ホシノは『先生がいないなら独りで行くしかねぇ』と思ってるけど、先生が復活したときには話を聞いてくれると思っていたからだ。

そして、これが地下生活者の干渉なのだとしたら、やはりこの台詞が重要になってくる。

ユメ先輩ならそうする』だ。

ここから、急にオタク特有の比喩表現を始めるので我慢してほしいのだが、俺はホシノのことを『中に猫が入ったビニール袋』みたいだなと感じたことがある。別に中にいるのは猫でも虫でもなんでもいい。可愛いから猫にしただけだ。

『中に猫が入ったビニール袋』
この中で、猫が動き回るとどうなるだろう。勿論、ビニール袋は猫に引きずられて動く。しかし外から見ると、ビニール袋がひとりでに動いているように見えるはずだ。

めちゃくちゃ察しのいい人ならピンと来たというか普通の人は意味不明もいいところだと思うので補足すると、ホシノがビニール袋、ユメ先輩が猫に当たる。
厳密に言えば、『ホシノの中にいる、思い出のユメ先輩』が猫だ。
ホシノというビニール袋は『ホシノの中にあるユメ先輩像』によって動かされていた。

ホシノは1人で動いているように見えて、実際は自分の思い出の中にいるユメ先輩の意思に引き摺られていたのではないか。

そうであるからこそ、地下生活者の干渉はホシノに効いたのだろう。
実際、ホシノが暴走しているくだりでの『ユメ先輩ならそう言う』は、かなり無茶苦茶だった。

列車砲を壊して欲しいだの。
アビドスを守るために後輩をしばき倒して進撃するだの、ユメ先輩ってそんなこと言うかなぁ?のオンパレードだったと言っても過言ではない。

百歩譲って『列車砲を壊してほしい』とユメ先輩が思っていたとしても、彼女ならそれ以前に『後輩の声に耳を傾けてあげて』と言うはずだし、ホシノにそれが分かっていないはずはない。
やはり、地下生活者の干渉ということになるのだろう。話の展開が全て地下生活者の干渉で説明できると言うのは構成としてどうなの?と思わなくもないが、まぁそれはいい。後で話す。

ちなみに、今のオタク特有のビニール袋と猫の比喩は、恐ろしいことにこの後もう一度だけ登場する。
自分でも驚いたのだが、『ユメ先輩という猫に引き摺られて動く、ホシノというビニール袋』に対する完璧なアンサーとも言える台詞が、この後で登場するのだ。

5.『最高』と『最強』

さて、何はともあれ進撃を続けるホシノ。
しかもスオウは列車砲を強奪して爆走し始め、もう何がなんだか分からない状態である。

しかしながら、それはそれとしてホシノを止めないわけにはいかない。でもどうやって……?

というところで、先生が頼った最強の生徒。
話の流れ的に一瞬黒シロコかと思ったが、電話口の応対ですぐに分かった。

『キヴォトス最強』空崎ヒナ

そう、ヒナね。

こんな格好良いスチルある?って感じだ。
夜の管制室に光るモニターの照明に腕も脚も組んで威圧感マシマシのヒナ。

ヒナのこと、俺らはもう完全に可愛い等身大の女の子だと思っている節があるが、実際はキヴォトスで最大級の勢力を誇る学園の、しかも武力組織の長。威圧感があるのは当然なんだけど、それをスチルで表し切れるかと言われると難しいと思うんだよね。あんまりイラストレーターさんとか詳しくないけど、このヒナの雰囲気を過不足なく表せるのはものすごい技量だと思う。

ここは前の2人の会話も凄く良かった。
『迷子』と呼んで軽佻浮薄な態度を崩さず、ヒナの名前を頑なに呼ばないホシノ。

それに対して、かつては『小鳥遊ホシノのようにはなれない』と言って折れてしまったヒナが返す言葉が『私の名前は、空崎ヒナよ』

こんな熱い台詞があるか。
舐めた雰囲気のホシノへの反発であり、3周年イベを経て、他の誰でもない空崎ヒナとしての強さを確立したことの証左でもあるのだろう。まさしく『最高』と『最強』の戦端を開くのに申し分ない台詞だった。

そして始まるホシノvsヒナ。

これがまた凄えんだ。
急に始まるSD戦闘。明らかに室内向けじゃないヒナのデストロイヤーと、異常な耐久力を誇るホシノ(ユメ先輩)の盾。
ホシノの狙いは徹頭徹尾、大オアシスに行くことであって、ヒナを倒すことに固執していないのも良かったね。

狙い通り意表をついて電車を発進させ、ヒナの妨害を突破したかに見えたホシノ。しかし、どうやってか(多分飛んで)電車に追いついてくるヒナ。

『激戦』

いやもうね、戦闘の経緯を順々に書いていくとキリがないからこの辺にしておくけど、クソ強いのよ2人とも。

まぁなんとなくホシノに勝てるならヒナだけだろうとは思っていたけど、これはもうキヴォトストップ2はこの2人で確定なんじゃないのかな。
もちろんホシノは1日中戦い通した後だし、単純な力比べじゃないからなんとも言えないんだけど、多分他の誰を呼んでもホシノは止められなかっただろう。

あともう、言うまでもないから詳述はしないけどアニメも凄いです。あのコマ送り感のあるアニメって30秒間とかが使用限度だと思うんだけど、それを上手く使って臨場感を演出した。脱帽だ。

そして一旦時系列を無視して先に言うと、ホシノに『困ったとき手を貸してくれる友達』が出来るならそれはヒナを置いて他にいなかったんだとも思う。

まず、ホシノの周りには同級生が誰もいない。
それに、ホシノに『手を貸せる』と言えるくらいの力を持ってる子なんてのは尚更いない。

別に同級生じゃなきゃ友達になれないとは言わないし、力に差があったら友達ではないとも思わない。しかし、えてして友人とは対等、ギブアンドテイクの関係であるものだ。力の差は知らず知らずのうちに、片方をgiver、もう片方をtakerにしてしまう

その点で、ホシノとヒナは数少ない『対等』だ。
話の流れで言えばヒナのほうが勝利したことになるのかもしれないが、まぁ対等ってことでいいだろう。少なくとも『力を貸しあえる』存在ではある。

だからこそ最後にホシノが『ヒナ』と名前を呼べるようになり、ヒナに頭を預けて眠っているシーンはとても良かった。

天国の飛地?

先生にも、対策委員会にも、ユメ先輩でさえ与えることができなかったもの。
ホシノにとっての『対等な友達』ができたことは、アビドス3章、ホシノという人間にとってすごく重要なことだったんじゃないかな。

6.『何も知らないくせに』

じゃあ、そろそろ終盤に入っていこうか。

ホシノとヒナの尊い友情の話をしたところだが、章タイトルで分かる通りクソキツいとこに行こう。
ホシノの『反転』だ。

最初に言った通り、なんとなくホシノがエグい闇を抱えてそうだなとは1章の頃から思ってたんだけどね。まさか闇堕ちというか、ブルアカ世界で最高に重いところ(テラー化)までいくとは思わなかった。

それもこれも言っちゃえば地下生活者の干渉のせいなんだが、やはりホシノの中にあった底なしの絶望というのは事実として大きな要因だったんだろう。

流石に大した絶望も神秘もないような生徒に色々と吹き込んだところで、皆がホシノみたいになるとは思えないしね。

底なしの絶望。誰にも理解できないもの。先生にも触れることができない『過去

それが何よりも発露したのが、まさにテラー化目前で溢れたこの台詞だったのだと思う。

『俺たち』は何も知らない

クソ苦しい台詞だけど、俺は結構、この台詞好きなんだよね。

なぜかって、まさしくホシノの言う通りだから。
ユメ先輩と2人で過ごして、彼女を喪って、その後悔を抱えたまま生きてきたのは、他の誰でもなくホシノでしかない。
先生だって過去には介入できないし、対策委員会のメンバーもそれを真に理解することはない。
彼女たちなら、それでもホシノを理解したいと思うだろうし、分かり合いたいと言うだろうけれど、それはあくまで志の話だ。

人の心を、誰かが感じた絶望を、他者が完全に理解することはできない。
それでも理解したいと思えるか。手を伸ばそうとすることができるか。それが重要なのではないか。

そういう意味で、ホシノが『この苦しみは誰にも分からない』『何も知らないくせに』と言ってくれたことは、苦しいけど、ある種嬉しくもあった。
相互理解というのは、相手を完全に理解することなんてできないと分かって初めて、スタートラインに立てるものだからだ。

もうひとつ付け加えるとすると、ここ、よくみると『誰の台詞か』という表記がない。
俺はこれを、ホシノの心の奥底にあった、ある種の『本音』であると同時に、地下生活者の干渉が頂点に達したことの表れなのではないかと考えている。

地下生活者の干渉というかシンクロ率みたいなものが頂点に達し、もはやそれは地下生活者が干渉の末に言わせた台詞なのか、ホシノの本心なのかさえ区別がつかなくなった。
その表れとして、ああいう表記(というか、表記なし)になっているんじゃなかろうか。

7.『苦しみを知る少女』と『責任』

で、ホシノがテラー化からの黒シロコ登場。

『そんなものに手を出しちゃダメ』

ヒナを電話で呼ぶところで『一瞬黒シロコかと思った』って書いたと思うんだけど、ここで来た。なるほどここかと思ったね。
そして直前に書いた話とは若干矛盾するんだけど、黒シロコは『大切な人を喪った苦しみ』というのを対策委員会(というか、アビドスの面々)の中で、唯一理解できる存在だ。ここでホシノを止めるためには神秘パワーの面でも精神面でも、黒シロコは最適解だったんじゃないかな。

そしてこの後、まぁ戦闘でホシノを一旦止めるんだけど、そこで黒シロコが言う。

反転した人は元には戻せない。もうヘイローを破壊するしかない、と。

ここ。もうこんなとこまで読んでくれて覚えてない人は見返してきて欲しいんだけど、ここで『responsibility 』が流れるんだよね。
最終編、黒シロコはどうしても先生を撃つことができず、そこに色彩が到来する。どうしようもない、何もかもぶっ壊れた世界で、プレナパテス(になる前の先生)が最後の責任を果たすシーン。そこで流れるBGMが、こんなところで再来する。

『responsibility』、すなわち『責任』だ。

プレナパテスが『大人が子供を守ること』を責任と語ったように、黒シロコは『まだ滅んでいない世界を、今度は自分が救うこと』を責任だと考えているのだろう。

今ここでホシノのヘイローを破壊するなら、その主力は間違いなく黒シロコになるはずだ。多分ヒナも含めて、黒シロコは1番強い。神秘の面でも。

それが分かっていて、ホシノを『再び殺す』ことになろうとも、今度こそ『自分たち』を守る。それが己の責任だと考えているのだ。誰に課せられたわけでもなく、何の道義的責任も負わない立場であるはずなのに。
なんて悲痛な覚悟だろう。やっぱこの子も抱きしめてやらなきゃダメだよ。絆ストーリー読み返してこようかな。

……という冗談というか、まぁ本音ではあるんだけどはさておき、いよいよホシノを殺すしかないのか、という話になったところで、彼女らは発見する。
テラー化したホシノの胸に、あからさまに浮かんでいる不思議な空白。

手帳だ。

ホシノが探し求め、ついに唯一見つけられなかった最後にして最重要の遺品。
ユメ先輩が最後に遺した言葉とは何なのか。
ユメ先輩が日々紡いでいた想いとは何なのか。
それを知らないまま生きていくしかない絶望と自責が、ホシノを自罰の怪物に変えてしまっていた。

先生は言う。
未だにホシノは砂漠を彷徨って、それを探し続けているのだ、と。

8.『アビドスの声』は届くのか

そしてまぁなんやかんや色々あって、対策委員会と黒シロコは、ホシノの精神に干渉を試みる。
ブルアカがたまにやるこの『ゴリ押し精神干渉』のロジックは時々よく分からなくなるんだけど、まぁ別に良い。精神干渉にまともな理屈がついてる作品のほうが、よく考えれば少ない。

そして、ホシノの精神との対話が始まる。

まず登場したのはノノミだ。
アビドスに現れた、ホシノの初めての『後輩』。

背景は列車だった。ノノミがネフティスの令嬢で、アビドスの外からやってきた存在であるということの比喩だろう。

ノノミは言う。
ホシノは、ユメ先輩に思いを告げることができなかったから悔やんでいるのではないかと。

ホシノは言う。
まさか、『アレ』が最後だなんて思わなかったと。

日々を大切にとはよく言うものだが、本当の意味で友人に『こいつと話すのはこれが最後かもなぁ』と思ってる人なんて、この世に滅多にいないだろう。誰しも思いがけない別れには後悔し、もっと言葉で伝えておけばと思うものだ。苦しいが、それは誰が悪いわけでもない。

次に現れたのは、シロコだ。
背景は砂漠。砂漠からやってきた、記憶をもたない不思議な『後輩』。

シロコは言う。
貴方がマフラーをくれたから、私はここにいると。

どれだけ暑くても外さないマフラー
この『世界』に、確固たる砂狼シロコが存在する証左

ホシノは言う。
それは、ユメ先輩がそうしろと言ったからだと。

そしてそれに対して、シロコは返す。
俺の個人的なことを言うと、正直この後の挿入歌のシーンと同じくらい泣いた台詞だ。

なら、ユメ先輩にもお礼を言わないと

この台詞、分かるだろうか。
俺が少し前にした、オタク特有の比喩表現と通じるところがある。

ビニール袋と猫
ホシノは、自分がしたことはユメ先輩がそうしろと言ったことなのだ、として自分を卑下する。なんか『私の意思でやったことじゃない』みたいな物言いをしている。

ホシノにとって、自分が後輩にしてあげたことは全て、ユメ先輩にしてもらったことの向け返しなのだろう。彼女の先輩は、ユメしかいなかったから。
人間関係は自身が受けた人間関係の向け返しであるという理論がある。新フロイト派心理学である。

つまり、後輩との接し方という点においてホシノは、ユメ先輩と殆ど一体化していたといえる。
これは正直、プレイヤーも薄々察していたことなんじゃないかな。

別に『ホシノがユメ先輩をエミュレートしてる』みたいなしょうもない話をするつもりはない。
エミュレートとかよりもっと単純に、ホシノの中にある『後輩への接し方』は、ユメ先輩がしてくれたことを教本にしていた、みたいな話だ。

だがそれはあくまで、ホシノの過去からの変遷をプレイヤーとして見た『俺たち』だから思うこと。
今のホシノしか知らない人から見れば、ユメ先輩の考えなんか関係なくて、それはホシノの行動以外の何物でもない。

今のホシノしか知らない人。
昔のことなんて知らない人。
その最たる例がシロコなのだ。

シロコはユメ先輩なんて知らない。というかもはやホシノを含め、対策委員会が彼女の全てだ。

私にとっての世界なんだよ
後輩たちをぶちのめして『総会』に向かおうとするホシノに、シロコはそう呼びかけた。その通りだ。記憶喪失でアビドス高校にやってきたシロコの世界は、ホシノにマフラーを巻かれた瞬間に始まった

『自分の手で触れたところだけが世界だ』という言葉がある
シロコに世界を与えたのは、他でもないホシノだ

そんな彼女にとって、ホシノのムーブがユメ先輩と一体化してるとか、そんなことはどうでもいい。

ホシノがやったことはホシノがやったこと。
そこにどんな経緯があろうと、それは変わらない。

けれど、ホシノがシロコの世界をつくったように、ホシノの世界をつくってくれた人がいるのなら、その人にもお礼を言わなければいけない。

どこまでもシンプルで、筋の通った理屈だ。
ホシノに開かれたシロコの世界の中では、ホシノはホシノでしかない
いや、どんな世界においても、彼女は彼女としてあるべきなのだけれど。

そして次に現れるのはアヤネ
背景は対策委員会室。いつでも真面目に学校再建に取り組む、アヤネのイメージだ。

この辺りから、徐々にホシノの対応が変わり始める。無愛想というか、本当に『ホシノの苦しみ』とだけ会話していたようなノノミやシロコのときとは違って、やや普段のホシノに近い雰囲気が感じられるようになる。

絆ストーリー参照
配管修理ができる高1、奥空アヤネ

水道を直してくれたの、アヤネちゃんだよね。
ありがとう。
本当はもっと早く、伝えるべきだったんだけどさ。

これは明らかに、ノノミとの会話と通じる部分だ。多分『ノノミに言われたからこう言ってる』というよりは、『前々から思っていたことを伝えるためのトリガーがノノミの言葉だった』という形だとは思うのだが、それでも段々『苦しみ』ではない感情を取り戻し始めている。

これはノノミやシロコのような、いわば『訳アリ』ではない1年生(アヤセリ)が入学してくれたことで、ホシノが少なからず救われていたということの比喩なのかもしれないね。

そして、4人目はセリカ
背景は自室。屈託も裏表もない、セリカの性格の表れだろうか。

セリカは言う。
何を言えば良いか分からないけど、またラーメンを食べに行こうと。

想いを素直に伝えられるツンデレは強い

これもめちゃくちゃ良い台詞だ。
そこまでの3人がアホほど深いことを話していたからちょっと面白い感じになっちゃうけど、これはセリカという人間の、凄まじい美徳である。

セリカは本当に裏表がない。
例えるなら、相手がどんなバッターかに関わらず、得意なストレート一本で勝負してくるピッチャーのようなものだ。
でもそれは別に、バッターがどんなボールを得意としているか知らない馬鹿だというわけではない。相手は何が得意で、何が苦手か考える頭の良さというか思慮深さを持ちつつ、その上で得意のストレートを投げ込む勇気がある。

それが、ホシノのこの台詞に繋がるわけだ。

ほんまそう

うん。かなり見慣れたホシノに戻っている。

そして最後は、もう1人のシロコ
便宜上ここではシロコテラーとか黒シロコと呼ぶけど、正直あんまりそう呼びたくはない。

ではその会話の内容に入っていきたいところだが、それは次の章にしよう。

9.『罪』を抱えるものたち

ね、もう最悪な章タイトルよ。元凶悪少年犯罪者に密着したテレビ番組みたいになっちゃってるわ。

しかしながら、ここはシロコテラーとホシノという2人のキャラにとって、間違いなくめちゃくちゃ大事なシーンでもある。

黒シロコは言う。
ホシノが今でも握っている、故人……ユメ先輩の手、それを放してあげてほしいと。
過去に拘泥するのではなく、思い出を未来につれていってあげて、と。

これはまぁ、なかなか含意に富んだ言葉ではある。

死んだ人は何もできない。もちろん死人に口無しという言葉もある通り喋れないし、意思表示だってできはしない。しかしながら、もはや完全に消えてしまったのかと言うと、そうとも言えないわけだ。

生きている人の思い出の中の、彼らの遺志(と生きている人が考えるもの)は、強く生者を拘束する。
だからこそ、生きている人は過去に囚われるべきではない。未来を志向して生きていくことで、心の中の故人も未来を生きることができるのだ、というのが、黒シロコの主張だろう。

普通に良いことを言っている。
しかし、それに対するホシノの返しがこれ。

ホシノは問う。黒シロコが後生大事に携える武器を、捨てることなどできるのかと

いやカウンター決まりすぎだろ。
黒シロコの話を聞いてる間から薄ら思ってはいたけど、まぁ実際この通りなんですよね。

「そんならお前はどうやねん」って話に留まらず、実際に記憶が薄れていく中で、形に残るものを手放す、求めることをやめる、そんなこと出来る?って話になる。真っ当な指摘だ。

ちなみにこの話は後述する『非有の真実は真実であるか』という点にも繋がってくる。

そして、そんなカウンターに対し、黒シロコはこう答える。というか、言う。

うん、これに尽きるのかもしれない。
黒シロコも、実際そう言われると分からないんだと思う。

故人の手を放して、未来に歩いていくこと。
そういう言葉で言えば綺麗に聞こえるけれど、現実として『故人を過去に置き去りにする』という意識が芽生えてしまうのは仕方がないことだろう。
しかも黒シロコにとってのアビドスの面々、ホシノにとってのユメ先輩は、『自分の不手際で死なせてしまった』なんて思っている相手だ。

だからこそ彼らを『置き去りにする』のは、その魂を再び殺す行為とすら感じられるだろう。

それが、彼女らにとっての『』なのだ。
例え先生がそれを「そんなものは罪ではない」と赦したとしても完全には消せない、心の中にだけ存在する『罪』である。

大切な人を死なせてしまったこと。
それに対して自分の中で折り合いをつけない限り、『未来に歩いていく』とかなんとか言葉を尽くしたところで、その罪悪感は消えないのである。

10.古則の答え

結局、アビドスの面々の呼びかけでも、ホシノの心を完全に開かせることはできなかった。セリカの時とかだいぶ揺らいでた感じはあったけど。

そこに、先生からの声が届く。

『先生』にかこつけて先取りするんだけど、古則の答えの前に触れたいところがもう一つある。
これはこのあとの制約解除決戦の直前、『俺たち』に提示される選択肢。

二重の選択肢
もうひとつの世界から託されたものがある

見れば分かる通り、選択肢がふたつあるのだ。『先生』ではない、別の誰かが重なるような選択肢。
おそらく、それを『言って』いるのはプレナパテスなのだろう。黒シロコが『アレはアビドスで始まった』と語るように、ホシノのテラー化やヒナの死は、間違いなくプレ先世界崩壊の機先だったはずだ。

本当にやめてね。怖すぎるから

シロコのこのシーンとかも含めて、アビドス3章は露骨にプレ先世界との重なりを意識させてくる。
その点も踏まえると、きっとこれは世界線を超えて届いたプレナパテスの想いだったんじゃないかな。

という良い話はこのへんにして、本題に入ろう。
プレ先の意志を脇道みたいに言うのは気がひけるけれど、この章はあくまで古則の答えが本筋なのだ。

先生の話、特にこの台詞が重要だ。

真実と事実

『真実』と『事実』
どちらも大体同じ意味に思われるし、俺もぶっちゃけよく考えずに使っている時は結構ある。

だが実は、
事実』は『ただ1つ揺るぎないもの
真実』は『各々が事実だと信じるもの
という、それなりに大きな違いがあるのだ。

つまり、これが古則の答えである。

非有の真実は真実であるか?

答えは『非有の真実も真実』だ。
なぜなら、真実が事実である必要はないから

故人が遺した事実を知ることができないなら、遺された人はどうすればいいのか?

ホシノが「あの日」から2年間、自分に、そして世界に問い続けてきた答えは、どこまでも残酷に、ブルアカが貫いてきたテーマに帰着する。

信じるしかない』ということだ。

『唯一の選択』
遺された者に残された選択肢は、信じることだけ

エデン条約編でミカを信じたナギサ。
最終編でアリウススクワッドを信じたハナコ。
先生を救うため、プラナを信じたアロナ。

これまでブルアカのキャラクターたちは『信じる』ことによって、求めたものを『手に入れて』きた。
事件の解決を、世界の平和を、先生の命を。

しかし今回、ホシノは初めてその例から逸脱した。
ホシノは手帳の内容を『信じる』ことによって、手帳を見つけなければならないという固執、そしてどこかにあるはずの手帳を見つけるという未来の可能性を、事実上『喪失』したのである。

11.夢の邂逅

そしてホシノは謎空間でユメ先輩と再会を果たす。

いや、厳密には違っていて、実際に会っているわけではいというのはホシノも分かっている。
だからこそ、最後にはこの台詞が出るわけだし。

ユメ先輩はもういない

つまりこれは言うなれば、ホシノの妄想にブルアカ特有のゴリ押し精神世界解釈が合わさったシーンということになる。
ホシノは妄想と現実の狭間みたいな場所で、自分の深層心理に刻まれたユメ先輩と邂逅したのである。

そう考えると、このへんの質問にもすごく深い意味があるように思えてくる。

このあと「『うへ〜』って笑えてる?」という問いがくる

これ多分、全部ホシノが『出来てないと思っていること』なんじゃないかな。

俺は別にそんな悪いことやってるとは思わないけど現にホシノは二度(アビドス2章と3章)も独りで突っ走り、今回に関しては結局後輩を危険に晒してしまった。
頼れる友人と言える存在もいないし、『うへ〜』と笑ってはいるけれど、それはユメ先輩といたときのものではない。あの頃には存在しなかった屈託が、今のホシノの中には渦巻いている

だからきっと、ホシノはそれを訴えたかったのだ。

自分は何も出来ていない。自分がユメ先輩に憧れたようなことを、実際はひとつも出来ていない。
でも、出来るように頑張ってきたつもりだとホシノは泣きたかったんじゃないか。

アビドスの皆の呼びかけは確かに効いた
それでもやはり、ホシノの張り詰めた糸を切れるのは
ユメ先輩しかいなかったのかもしれない

先生ならそれを受け止めてくれたかもしれないが、これに関しては先生に解決できるものではない。

でも、ホシノが強いのはここからだ。
ここでのユメ先輩の台詞は、さっき書いた通り全てがホシノの深層心理からくる『妄想』である。

つまり、ホシノが心底何もかもやめてしまいたいと思っているのなら、妄想のユメ先輩もそういうことを言うはずなのだ。
『もう全部投げ出して楽になっちゃおうよ』とか、なんかそういう闇堕ち前の台詞みたいなことを。
でも、ユメ先輩はそうしない。

ホシノを『めっ』と叱り、こう呼びかける。

これは要するに、ホシノも心の奥底ではそうしたいと思っていたということなのだろう。
ただそのために、弱い自分を叱咤してくれる存在が必要だったのだ。いや単に『存在』というか、自身が2年前から追い求めてきた『バイブル』であるユメ先輩にそうしてもらうことが必要だったのだろう。

そして、ホシノは立ち上がる。
このシーンについては、また次の章で書く。

12.スチルと歌の勢いが物凄いゲーム

もう章タイトルの通りですよ。

このゲーム、本当にスチルと歌のパワーが凄い。
パヴァーヌ2章とか正直「先生がそれでいいんですか」みたいな感じがあったけど、わたしたちのクエストが流れたらこっちもハッピーエンド気分になっちゃったからね。
アビドス3章も結構そのきらいがある。

プロローグとPart.1-5まで、合わせて6個に分かれて実装されたアビドス3章だが、ぶっちゃけPart.2から4らへんでは「何やってんだこれ」って時間が結構あった。「これは伏線なのかな」って思ったら回収持ち越しになったものもあるし、最終編みたいに何の文句もない展開かと言えばそうでもなかった、まぁ個人的な感想だけどね。

でも、やっぱこの歌とスチルがやばいわけですよ。
まずスチルからいこうか。

これ、手帳を胸に抱いて涙するホシノ。
辛いって。そりゃ死んだ奴が甦らないのは当たり前だけどさ、やっぱこの子抱えてるもの重すぎるよ。

この胸に手帳を抱く構図。
なんか意味あるのかなって思って考えたんだけど、多分これテラー化したときの胸の穴(?)に自分で手帳を嵌めてるんじゃないかな。

これね

先生は『手帳を求めて砂漠を彷徨っているんだ』って言ってたし、多分アレを見たプレイヤーは多分『あの穴(?)にアビドスの皆が手帳を嵌めるのかな』って思ったと思う。

でも結局、そこに手帳を嵌めたのは他の誰でもなくホシノ自身だった。
これは多分、手帳の内容、ホシノが求めていたものを手に入れるには、他の誰から与えられるでもなく自分が納得して『真実を信じる』しかなかった、ということの表れなんだろうね。

いやキツイって。これを『救われない』と表現するのは間違っているんだろうけれど、この割と何でもアリになりつつある世界でホシノには超常的な救いというものが全然ない。
『死んだ人は生き返らない』、当たり前なんだけどね、別時間軸から来た奴とかいるのに急にゴリゴリの常識で押してくるんじゃないよ。

と感情では思いつつも、まぁそんな無法の展開を何回もやってたら感動も薄れるからね。ドラゴンボールでキャラが死んでも「まぁ生き返らせれるか」って思っちゃうのと同じでさ。

じゃあスチルはこのへんにして、曲に行こう。
この曲の歌詞もめちゃくちゃ良い。メモを取った俺のツイートがあるから貼っておこう。

特に良いのはどこだろうと考えると、やっぱりサビかなと思う。

振り返れば 後悔しかないけど

この歌詞でサビが始まり、それに重なるように『分かりました、ユメ先輩』という台詞が入る。

振り返れば後悔しかない。
それは多分、ホシノにとっての真理だと思う。
ホシノはこのシーンで過去に区切りをつけ、前を向いて歩いていくことを決意するわけだけど、それは別に後悔が無くなったって話じゃない

ユメ先輩と喧嘩別れしたこと、最新のスマホや水筒の購入を勧めなかったこと、感謝を伝えられなかったこと。

ホシノはその全てを今でも後悔しているだろうし、嫌な話をすれば、多分これからも時々悪夢とか見るだろう。

ただ、ホシノが布団にくるまって、ツギハギのポスターを眺めている時間、対策委員会の会議が始まる裏でうなされている時間、そういうのが次第に減っていけばいいんじゃないかと思う。

後悔が完全に消えるわけではないけど、時々は思い返して泣きながら、グラデーションのように傷を薄めていく。それが前を向いて歩いていくということなのではないか。

『悲しみは包んで泣く 貴方なら』
『振り返ろう 今を生きてくために』
『綺麗じゃなくても明日が来るから。そうでしょう?』

2人は『約束の最中』で邂逅した
ユメ先輩は消え、ホシノも現実に戻り、
そこにはもう誰もいない

13.『砂狼シロコ』の再誕

そしてホシノは元に戻り、前を向いて生きていくのを決意するわけだが、まだ話は終わらない。

この章が終わって実装されたのは、臨戦ホシノと、シロコテラー。
つまり、この章では『もう1人のシロコ』も救われなければならないということになる。

その点でまず重要なのは、やはりこの台詞だろう。
先ほども触れた、精神世界でのホシノとの対話。

うん。何回見てもカウンターが決まりすぎだ。
さながら全盛期の八重樫東である。相手のパンチを貰いながらも、全く同じコースへ鋭いパンチを打ち込んで言葉を詰まらせている。

そして、その後(エピローグ)に出てくるのがこれ。

黒シロコが最終編登場時から使っていた、アビドスの皆が遺した武器だ。シロコはそれを、砂漠に投棄して歩き出す

これはやはり、黒シロコが元の世界の皆との思い出に区切りをつけたこと。つまり『手を放し、思い出を未来に連れて行く』決意をしたことの表れとしてみるべきだろうか?

確かに、『仲間の遺品を手放し、過去と決別する』というのは、物語でよく使われる技法のひとつでもある。

しかし、どうも引っかかるのだ
というのも、別にホシノだってユメ先輩の盾を捨てたわけじゃないし、アビドスの外に目を向けると、百花繚乱編のナグサだってアヤメが扱っていた『白蓮』を手放すどころか引き継いで百鬼夜行を守っている。まぁ『白蓮』は継承されるものだが。
こうしたことから分かるように、これまでブルアカでは『モノを捨てて過去と決別する』という表現はあまりとられていないように思えるのだ。
単なる過去との決別以上の意味が、もしかすると存在するのではないか。
その点が俺は気にかかって、少し考えてみた。

その結果、さらにその後のシーンも参照することによって、黒シロコのより具体的な心情が察せられるのではないかということに気が付いた。

具体的に見ていこう。まずはここ。

『死を知りたいなら教えてあげようか』はヤクザだろ


アビドス3章でいっちゃんスカッとするシーン。地下生活者の居所を突き止めた黒シロコ(ブチギレ)が、銃を向けてヤクザみたいな脅しを入れている場面だ。
重要なのは、この台詞である。


『アヌビス』と、わざわざルビがふってある。これはどういうことなのだろう。これまでは、『シロコはシロコであって、他の何者でもない』というスタンスが貫かれてきた。最終編でプレナパテスになる寸前の先生が告げた、感動的な台詞のように。

先生は『シロコは死の神ではない』と否定する

しかし、ここでは違う。
黒シロコは自身が『アヌビス』であり、単なる砂狼シロコとはもはや違った、裏面の存在でもあるのだということを堂々と宣言している。

つまり黒シロコは、アビドス3章……元の世界ではホシノが死に、アビドス崩壊のきっかけとなった事件……を、こちらの世界では乗り越えてみせた。
それにより、新たな世界に来て新たな(テラー化した)存在となった自分を、本当の意味で受け入れることができた、という解釈はできないだろうか。

別に、シロコがシロコでなくなるわけではない。
しかしながら、黒シロコは『砂狼シロコ』であると同時に、アビドスを傷付けるものに死を齎すアヌビスでもある。
その両面があってこそ、彼女は彼女なのだ

だからこそシロコテラーは、シロコ(成長)とか、シロコ(別時間軸)とかではなく、シロコテラーと呼ばれる彼女として、俺たちのシャーレにいてくれる。

だからこそシロコテラーは、ホシノの『(思い出を)手放す必要はないんじゃないかな』という台詞に反し遺品を手放す形で、新たな人生を始めるのだ。

ホシノは『後悔(など)を手放す必要はない』と語る
その全てを抱えて前に進む。誰かが差し伸べた手を、いつか必ず握り返すために

つまり、これは砂狼シロコの『再誕』である。
アビドス3章がホシノにとって『再生』の物語であるとすれば、黒シロコは、2度目の体験となるこの事件を通じて、新たな、俺たちプレイヤーがいる世界に再誕したのではないか。

14.きっと彼らに必要だった喪失について


『君が手にするはずだった黄金について』みたいな章タイトルになってしまった。いや、あれはあれで良い小説なんだけど、この章とは無関係である。

本題に戻ろう。
彼らに必要だった喪失』とは、何か?

最も分かりやすい方法で示せば、これのことだ。

ユメ先輩の手帳に書いてあること。
黒シロコが持っていた対策委員会メンバーの武器。
クズノハを追うこと。

ホシノ、黒シロコ、先生。
彼らは今回の事件を通し、前を向き歩き出す覚悟を決めた。そして、彼らは覚悟と引き換えに、上記のものをそれぞれ喪失している。

ホシノは手帳の内容を信じることにより、手帳を追いかけることをやめた。今後、何かしらの外的要因がなければ、ホシノは手帳の中身を知ることは永遠にないだろう。(なんかスオウさんが色々言ってた気はするけども)

手帳の中身はもう分からない

黒シロコは、前述の通り遺品の武器を手放した。
新たな自分になることを受け入れることで、かつての仲間たちとの唯一の縁を、彼女は喪失した。

黒シロコと彼女らを繋ぐのは、もはや朧げな記憶だけ

先生は、上記のような黒シロコの姿を見て、『どうしても反転を直したくなったら訪ねて来い』と言い残したクズノハを追うのをやめた。結局百鬼夜行編とかで出会うんだろうなというメタ読みは正直あるけど、とにかく先生は『テラー化』を直す唯一の術を追うことをやめたのだ。

黒シロコの『反転』を戻すことをやめる
再誕した彼女は、きっと彼女のままで生きていけるから

これはきっと、彼らに必要な喪失だった。
特にホシノはブルアカに通底するテーマ『信じる』ことによって、今回の喪失を経験した。

前述したが、これまでエデン条約や最終編で、先生や生徒たちはお互いを『信じる』ことで、命を、平和を、このキヴォトスという世界を『守って』=『失わないで』きたわけだが、今回のホシノは逆の展開になったわけだ。

有名な話で、ソラニンという毒がある。
幼いジャガイモの中に含まれ、人間には有害な毒である。しかしながら、幼いジャガイモが大きく育つためには、ソラニンは必要不可欠な物質なのだという。

アビドス3章の最後に、アレンジされた『constant moderato』が流れたように。

ホシノが対策委員会と一緒にいるときのBGMに、『Shoujo Delight』が初めて流れたように。

ここ
OST208が、初めて対策委員会の後輩たちと共演する

普段と何も変わらないような景色のなかに、どこか彼女らが成長した足跡を見ることができる。
彼女らは少しだけ変わりながら、また見慣れた日々を繰り返すのだ

15.流石に気になったこと

じゃあ、最後にこれを書いて終わりにしよう。
平たく言えば『不満』みたいな感じになっちゃうのかもしれないが、まぁ飛ばしてもらってもいい。長々と読んできた文章の最後の方で不満を聞かされる方もご気分が悪かろう。

ただ、流石に書かないわけにはいかないので、色々と触れていく。
まずはミクロな点から、スオウさんだ。

スオウさん。貴女は本当に何だったんですか?
まさしくこの画像の通りだ。

最近はプロジェクトKVの中止に伴い、この画像を使ってDYNAMIS ONEを皮肉っている人も見かけたが正直DYNAMIS ONEより原作(スオウさん)のほうが遥かに意味不明である。

『(アビドスの5人)全員まとめてかかってきても勝つのは私』発言もフェイクだったし(ネフティスの政治的な力を利用してアビドスを丸め込む、という意味ならまぁ分かる)、『最強にならなければならない』ってのも意味がわからない。普通に臨戦ホシノには歯も立ってなかったみたいだし。

さらに『手帳のありかを知っている』という、もうホシノどころかプレイヤーですら「ホンマかお前?」みたいな感じになることを口走り、特に回収もされていない。なんなんですか?貴女は。

まぁマジレスすると、恐らく次(ゲヘナ編とか)の鍵を握る人物になるのだろう。かつてはアビドス自治区にいたとか、砂漠を彷徨ったという趣旨の話をしていることとか、あとホシノやシロコと同じくオッドアイであることからもアビドスとの関連は窺える。

っていうかむしろ、そういうのじゃないなら失礼だがアビドス3章のライターが頭おかしいとしか言いようがない。
それくらいスオウさんは謎を残しているし、もっと言えばソシャゲで次の章に持ち越すにしては謎の量が多すぎる。せめてもう少し回収してほしかった

で、次。
こっちはマクロの視点になるのだが、もう端的に言ってしまおう。

もう少し端折れなかったか?

さっきのスオウさんの話とか、カイザーグループ大集合のところとか、本当にあんな尺必要だった?

あとこれは完全に俺の好みの話なんだけど、個人的には別に地下生活者とかも要らない
先生、対策委員会、ユメ先輩、鉄道契約関連のネフティスの人たち、それだけでも良かった。

ホシノも知らない、ユメ先輩が最後に結ぼうとした契約。ホシノとユメ先輩の日々はどんなものだったのか、そして、ユメ先輩の死因と、彼女がアビドスに残そうとしたものとはなんなのか……

みたいな感じで良かったんですよ。俺としては。
もっとこぢんまりとした、ホシノがユメ先輩との記憶を辿りながら、彼女の胸の内を知って前を向く、その程度の、泣けるデカめのイベストみたいな規模で良かった。何をテラー化だの破壊兵器だのバケモンみたいな風呂敷広げてんねん、と思わないこともないです。正直ね。

あとさっきも言った通り、俺はホシノの内心にある葛藤が大好きだった。
ユメ先輩の遺志は大事。でも勿論後輩も大事。先生は信用できる。じゃあ、それらの利益が対立したら一体どれを優先する?

ホシノの(外から見ていて)素敵なところはここだ。
この優先順位が分かりにくい。断言できないこと。

なので正直、これを全部ぶっ壊して『ユメ先輩ならそうする』とかいう雑なバーサーカーモードに持ち込んだ地下生活者というのは、あまり好意的な目で見ることができない。
もっと言うと、物語を動かす上で『精神干渉ができる』なんて、まさしくチートアイテムだ。精神面が見どころのキャラを精神干渉で動かすというのは御法度とも言えるレベルで、ここに関してはライター何やってんのという思いが未だにある。
ホシノみたいな内心が読み切れないキャラ作っといて、精神干渉で行動させるって何だよと思わずにはいられない。

ただ勿論、一方では理解してもいる。
全ては必要なことだったのだ。

ここを逃すと実装のタイミングがないシロコテラーや臨戦ホシノの3.5周年に伴う実装。
今後絶対にやってくるゲヘナ編への伏線や、それに伴うホシノとヒナの友情の端緒。
あとはアビドス復興に必要不可欠な、カイザー弱体化のきっかけ。

こういうのを描くためには、俺の妄想みたいなこぢんまりとしたストーリーではいけなかった。
あれではシロコテラーはおろか、ゲヘナすら関わる必要がなくなるし、カイザーも弱体化しない。

こういう都合で、アビドス3章は膨れ上がり、なんか気付けばエデン条約編を越える話数になったのだろう。戦闘やアニメもあって、1話が短かったというのも理由のひとつかもしれないね。

ということで、俺の不満はこんなところだ。
まぁアビドス3章単体で見れば「何やねんこれは」と思うところも正直あるし、ストーリー最序盤から心にブッ刺さっていたホシノの過去を描く章でそんな展開にしないでくれよと思わないこともないけれど、こればっかりは仕方ない。ソシャゲの宿命だ。

俺が不満を垂れたところでアビドス3章はあれが完成品だし、なんならisakusanさんもNEXONからいなくなっちゃった。詮無いことだ。ゲヘナ編や、話題の山海経編を楽しみに待とうではないか

16.終わりに

終わりに、つって、もうあらかた書いちゃったな。
雑なまとめでも書いて締めにしようか。

最初からずっと語ってきたように、俺はブルアカを始めて以来、小鳥遊ホシノの(見え隠れする)破綻した感情や過去に大いに惹かれてきた。

彼女の過去には何があったのか。
彼女は心の奥底に何を隠しているのか。
その葛藤を、先生は砕いてやれるのか。

それが描かれるであろうアビドス3章にはプロローグの段階で正直はちゃめちゃに期待をしていた。
100点満点中150点を出してきたエデン条約編、なんかもう2億点くらいあった最終編。そこまではいかなくても、15,000点くらいは期待していたと言ってもいい。

ただ上記の不満で述べたような部分から、100点満点中300点とか、10,000点とはいかなかった。色々な意味で予想を遥かに上回ってはいたが、俺の理想をなぞってそのまま超えていくような感じではなかったというのが正直なところだ。

しかし、まさかアビドス3章が駄作というつもりはない
ホシノは今回の事件を経て多くを手に入れた。

友人。過去との決別。前向きに生きて行く覚悟。

そのどれも、小鳥遊ホシノにとって大切なもので、小鳥遊ホシノが大好きな俺にとって歓迎すべきものだ。新しく再生された彼女がこれからの人生にどう向き合って行くのか、文字通り目が離せない。

言ってみれば、アビドス3章は100点満点中100点だった。わりと不満垂れといて100点かよと言われればそうなんだけど、まぁ2億点とか言ってる奴にまともな採点を期待しないでほしい。

小鳥遊ホシノ、そしてブルアカというゲーム。
俺は彼らにとんでもなく期待しているし、今後を楽しみにしている。

ホシノが『先生』に、誰よりも彼女らしい生き方を見せてくれることを楽しみにしているし、ブルアカが再び100点満点中2億点のシナリオをぶち上げてくれることを、心から期待しているのだ


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