『シュバルツ・アプフェル~黒果~』第一話
【あらすじ】
柚木城学園の時計塔には魔女がいる――。
母を亡くした雪華は、十月のある日クラスメートの頼みで時計塔へと向かった。
そこで出会ったのは、魔女と見紛うほどに美しく妖艶な男。
「ここには来るな」
そう言って、彼は毒のような口づけをした。
家では義父が雪華に母の面影を見るようになり、見かねた義弟・眞白にとあるシェアハウスに連れて行かれる。
そこにいたのは時計塔で会った魔女――暴走族《黒銀》の総長でもあるギンだった。
七年前からずっと雪華が好きだったというギンの思いに戸惑い、それでも彼に惹かれていく雪華。
全てを知ったとき、雪華は狂おしいほどに彼を愛しいと思う。
『白雪姫』をモチーフにした、危険な男との学園ラブロマンス。
【捕捉】
*登場していない人物紹介
○杉浦
《黒銀》と敵対している族の総長。
ギンに手下を奪われ恨んでいる。
○キョウ
ギンたちの母親・桔梗が亡くなる前に自分のコピーとして残そうとしたAI。
だが途中から金多の手が入り本来の母とは全く別の人格になってしまった。
美しい姿のギンに執着している。
*本作は恋愛を主軸にした作品ではありますが、ヒーローのギンの兄弟や亡くなった母を映しとったAIなどにまつわるミステリー要素もあり、恋愛以外のストーリーとしても楽しめるようになっています。
*小説投稿サイト『野いちご』『魔法のiらんど』にて小説として完結している作品です。
【本文】
ギィ、と恐怖をあおるような音を立てて重そうなドアが開いた。
ただでさえ薄暗くて寒いのに、こんな音までしたらもはやお化け屋敷じゃないの?
そんな風に思いながら、私・梶白雪華は学園敷地内にある時計塔へと足を踏み入れた。
5年前に改装したらしいけど、それなら近づきがたい外観も何とかすればよかったのにと思わずにはいられない。
そうすれば私一人で来ることにならなかったかもしれないのに。
恐る恐る足を進めながら、一人で来る羽目になった経緯を思い出した。
***
「梶白さん、お願いがあるんだけど」
帰る準備をしていた私に声を掛けてきたのは比較的仲の良いクラスメートだ。
入学式前と、二年になる始業式前にことごとく不幸ごとがありクラスにいまだ馴染めていない私。
そんな私をよくグループ行動のときに入れてくれる子たちの一人だ。
でも、率先して声を掛けてくれるのは彼女ではなくて――。
「ごめんなさい、この鍵時計塔の管理室に戻してきてくれないかな?」
申し訳なさそうな表情をした美人さんがそう言って、古そうな鍵を差し出してきた。
ストレートの栗色の髪、こげ茶の目は少し釣り目だけれどまつ毛が長くてくっきりしている。
いつも声を掛けてくれるのはこの優姫さんだ。
「水野先生に頼まれたんだけど、あたし今から用事があって……」
「水野先生ビビリだからねー」
最初に声を掛けてきた子が苦笑気味に笑った。
水野先生はちょっと脅かしただけで大げさに驚き倒れてしまうくらいビビリな先生だ。
確かにあの先生なら時計塔に行きたくないと思っていてもおかしくない。
そして、そういう嫌なことはいつも生徒に押し付けるんだ。
「……そっか、優姫さん今日日直だったもんね」
そのせいで頼まれちゃったんだ。
「優姫、これから彼氏とデートなんだって。ね、頼むよ。いつもグループ入れてあげてるでしょ?」
「もう、そういう言い方しないの!」
「あ、ははは……」
率先して声を掛けてくれる優姫さん以外は大体こんな感じ。
本当は入れたくないけど、優姫さんが言うから入れてあげてるっていうスタンスだ。
正直思う所がないわけでもないけれど、実際グループに入れてもらえて助かってる部分はある。
それに、唯一ちゃんと気遣ってくれている優姫さんが困っているんだ。
だったら強く拒む理由もない。
「いいよ、分かった。管理室って、中に入って真っ直ぐのところにあるんだよね?」
「うん、そう。鍵が開いてなかったらドアについてるポスト口に入れてくれればいいから。……ありがとう、久しぶりのデートだから遅れたくなくて……」
鍵を受け取った私に、申し訳なさそうに理由を口にする。
「優姫さんの彼氏って生徒会長でしょう? 忙しそうだもんね。こっちは気にせず楽しんできてよ」
生徒会長はこの柚木城学園の王子様と呼ばれるほどのイケメンだ。
二年生にして生徒会長。
聞いたところによると理事長代理もしているとかいないとか……。
そんな忙しそうな彼と久しぶりのデートとなれば、少しでも一緒にいる時間は多く欲しいだろう。
「ホントごめんね? ありがとう」
最後まで申し訳なさそうにする優姫さんを見送ってから、私は仕方ないなとため息をついて時計塔へ向かうために立ち上がった。
***
というわけで今に至る。
校舎から少し離れている時計塔は五年前に改装したにもかかわらず古びていて、えもいわれぬ雰囲気を醸し出していた。
そのせいか、この時計塔には怖い言い伝えというか……噂がある。
《柚木城学園の時計塔には魔女がいる》
そんな噂が。
正直何で魔女? と思うけれど。
普通幽霊とかだよね?
まあ、だからと言って魔女に会ったなんて話も聞いたことはないんだけど。
「……でも本当に何か出てきそう」
夕方で陽が落ちかけているとはいえ、まだ太陽は出ている。
それなのに中はすでに薄暗い。
魔女や幽霊じゃなくても、ネズミとかはいるかもしれない。
それは普通に嫌だなぁと思いながら時計塔の一階部分を横切った。
入り口の反対側に管理室として部屋があるだけで、あとは螺旋階段しかない。
見上げれば動きの止まった大きな振り子は見えるけれど、二階部分から上は一階からじゃあ全く見えない。
流石に上にまで行くことはないから、きっと見ることもないと思うけれど。
管理室にたどり着くと一応ドアをノックしてみる。
返事はないけれどノブに手をかけてみるとカギはかかっていなかった。
この管理室も謎なんだよね。
管理人はいるらしいけれど、誰も見たことがないって言うし……。
それにどういうわけか、学園の校舎にある大事な資料室などの鍵はここで管理されている。
だからこうしてたまに持ち出して返さなきゃならないことがあるのだとか。
管理人がいるかいないか分からない管理室。しかも人がほとんど寄り付かない気味の悪い時計塔。
こんなところで管理して……セキュリティとか問題はないんだろうか?
まあ、問題ないから大事な鍵を置いてるんだろうけど。
なんにしても私が考えることじゃないか。
そう思い直した私は、いくつかの鍵が並べて掛けられている場所に持ってきた鍵を掛けた。
「これでOK。早く出よう」
怖い雰囲気を緩和させるように声を出して、私はすぐに管理室を出た。
でも、そのドアを閉めたところで異変に気づく。
――カツン
私が立てたものじゃない音。
――カツン
それが、一定のリズムを持って時計塔の一階に響いている。
これは、階段を下りてくる誰かの足音だ。
誰だろう?
怖いもの見たさとでも言うのかな。
つい、足音の主を見つけようと螺旋階段を見上げた。
視線が階段を上って行く。
そして――。
カツンッ
足音の主の靴を視界に捉えた。
黒い革靴。
黒のスキニーパンツ。
白いシャツを着て、その上から黒のテーラードジャケットを羽織っている。
男の人、だよね?
そう少し疑問に思ってしまったのは、彼の銀髪がとても長いストレートだったから。
そして、真っ先に見えた顔のパーツ。
形の良い顎の上にバランスよく配置されたふっくらとした唇が、男の人とは思えないほどに艶やかに見えたから……。
その唇が、もともと持っていたらしい真っ赤なリンゴに触れた。
シャクリ
と、靴音の合間にリンゴをかじる音がわずかに響く。
その仕草一つ一つが妖艶で、目が離せない。
鼻は高めで、形のいい眉の下には冷たくも見える切れ長な目。
少し赤みを帯びているように見える茶色の目を縁取るまつ毛はことさら長い。
咀嚼したリンゴを飲み込むと、のどぼとけが上下したので確かに男の人なんだと分かった。
それでも、その美しさは性別を超えていて……。
ああ、この人が魔女なんだ。
自然と、そう理解した。
その美しさに、その妖艶さに目を奪われていると、彼の瞳が私を捉える。
「っ!」
妖しい眼差しは魔力でも帯びているかのように私を拘束してしまう。
彼が何かをしたわけじゃないのに、動けなくなってしまった。
ドクンドクンと心臓が大きく鳴り響き、魔女の行動一つ一つから目が離せない。
リンゴの果汁でも残っていたのだろうか。
唇を舐めて軽く指先で拭う姿にドキリとする。
そんな彼の瞳が軽く見開かれた後、細められた。
艶めかしく濡れた唇が開き、思ったよりも低い声が言葉を紡ぐ。
「何で、お前がここにいる?」
「っえ?……あ……?」
まるで私のことを知っているかのような言い方に戸惑う。
知り合いにこんな人いたっけ?
こんな美人、知ってたら忘れないと思うけど……。
そうして答えられないでいるうちにも魔女は一歩、また一歩と近づいて来る。
わずかな恐怖に震えつつ、魅せられたように彼から目が離せない。
……足が、縫い付けられたかのように動かせない。
「雪華」
「っ!?」
目の前に立った彼は、妖しく誘うような眼差しで私を見下ろし名を呼ぶ。
やっぱり、この人は私を知っているんだ。
どうして?
と思うと同時に。
ああ、魔女だからか。
と何故か納得してしまう。
非現実的なほどの美しさを持つ魔女に、まともな思考を奪う魔法でも掛けられたかのようだった。
彼の、リンゴを持っている方の腕が私の腰に回る。
力強い腕に驚きつつも、私は抵抗の意志すら見せることが出来ないでいた。
体が密着するほど引き寄せられ、もう片方の手が私のあごを捕らえる。
オレンジがかったような赤みのある茶色の目が、妖しく揺らめく炎を灯しながら私を見つめた。
その瞳に、その炎に、私の心は絡めとられていく。
まるで、心臓そのものを奪われてしまったかのよう。
「ここには来るな」
そう告げた声と共に、その秀麗な顔が降りてきた。
「……んっ」
はじめは、ただ口を塞がれたと思った。
でも、私の唇を割り入ってきた舌が私のそれを絡めとろうとしてくる。
その動きで、キスされているんだと気づく。
「ん、んぅ……」
でも、そのキスはとにかく苦しくて……。
唇を離してくれないから、息がしづらい。
鼻で呼吸をするのにもこの状態だと限度がある。
強引で、私の全てを奪うようなキスは、とにかく苦しくて……。
彼が直前に食べていたリンゴの味も相まって、まるで毒リンゴを食べさせられた白雪姫の様だと思った。
意識が朦朧として来ても、魔女はその毒のような口づけをやめてくれない。
私を知るあなたはだあれ?
口にすることが出来ない問を頭に浮かべながら、私は意識を手放した……。
***
「あ、起きた?」
うっすら瞼を上げたところで聞き慣れた声が掛けられる。
見ると、義弟の眞白がベッドで寝ている私を見下ろしていた。
ここ、保健室?
眞白、ついててくれたのかな?
眞白は義父さんの連れ子で、年は私の一つ下。
ふわふわした茶髪で、クリッとした焦げ茶の目が可愛いなと出会ったときから思っていた。
今は身長も追い越されてしまって男らしさが増したけれど、やっぱり可愛いという印象は変わらない。
そんな可愛い義弟の顔だけれど、意識を失う前に見た美しすぎる顔とのギャップに目を瞬かせてしまう。
……あれ? もしかして夢だったとか?
なんて思ったけれど。
「義姉さん? 大丈夫? 時計塔で倒れたって聞いたけど……何であんなところ行ったのさ?」
眞白の言葉に、夢ではなかったんだと知る。
それもそうだ。
だって、私を抱く腕。見下ろす瞳。唇の感触に、苦しいキス。
全てをまだ体が覚えているもの。
思い出してドキドキしてきた私の顔を眞白が更に顔を近づけて見下ろす。
「義姉さん、ホント大丈夫? 何かあった?」
「なっ! 何もないよっ!」
明らかに何かあったと言わんばかりの様子にジトッとした目になる眞白。
けれど、重要性もないと取ったのか追及はしてこなかった。
「……まあいいさ。とにかく帰ろう、暗くなってきたし」
そう言って窓の外に視線を向ける眞白に、つられるように私も外を見る。
まだ少し明るいけれど、夕日ももう落ちてしまったみたいだ。
すぐに暗くなりそうだな、と思った私は眞白の言葉に頷いた。
「うん……そうだね」
夕飯の支度しなきゃ。
物悲しい気持ちを思い出しながら、そんな事を思った。
***
眞白と二人で家に帰ると、家の鍵は開いていて明かりもついていた。
眞白と二人顔を見合わせて肩を落とす。
「……定時で帰ってきたとしても、流石に早いよな?」
「そうだね。また早退してきちゃったのかな?」
玄関に投げ捨てられたかの様に散らかっていた皮靴を整えながらそんな会話をする。
気持ちは分かるけど……もう半年経つのに……。
「父さーん、ただいまー!」
そう声を上げて先に家の中に入って行った眞白は、真っ先に奥の部屋に向かう。
私も後を追う様にそっちへ向かった。
「ん? ああ……お帰り、二人とも」
弱々しい笑顔で迎えてくれた義父さんはすぐに視線を元の場所に戻す。
そこにあるのは仏壇。
比較的新しいお母さんの写真が立て掛けてある。
お母さんが事故に遭って意識不明の重体になったのが一年と半年前。
私の高校入学式直前のことだった。
そしてそのまま意識が戻らなくて、二年になる始業式前に容態が悪化して亡くなってしまった。
せめて一度くらいは目を覚ましてほしかった。
ちゃんとお礼やお別れを言いたかった。
今でもそんなことを考える。
でも、私と眞白は寝たきり状態のお母さんを見続けて、ある程度の覚悟は出来てたんだと思う。
悲しいし、辛いけれど、半年経った今はある程度お母さんの死を受け入れられている。
ただ、義父さんはそうじゃなかったみたい。
「沙奈、二人が帰って来たよ……」
写真に向かってそう報告した義父さんは、一度私たちに場所を譲ってくれる。
お線香をあげて「ただいま、お母さん」と二人で挨拶を済ませると、立ち上がった私たちに変わってまた義父さんがその場所に座り込んだ。
寝るときとご飯を食べるとき以外はここが義父さんの定位置になってしまっている。
一応朝はちゃんと仕事に行っているけれど、しょっちゅう早退しては家に帰ってきてこの状態だ。
たまにお酒が入っているときもあって、そういう時はベッドにも入らずここで寝てしまうからもはや心配を通り越して迷惑な状態になってる。
「義父さん、今日も早退したの? そんなんで仕事クビにならない?」
流石にそろそろ立ち直ってほしくて、ちょっと強めに言った。
「大丈夫だよ。どうしても必要なことはちゃんと済ましてから帰ってきてるから」
力なく笑ってそう言う義父さんに、「そういう事じゃないんだけど」と少し怒って見せる。
「ああ、分かってるよ。明日で丁度半年になるものな……こんなんじゃあ沙奈が心配する」
「分かってるならいいけど……」
「それにしても、雪華はまた沙奈に似てきたんじゃないか? 今のお小言なんて本当そっくりだったぞ?」
「そうかな? まあ、母子だしね」
似ててもおかしくないでしょう、と答える私に、義父さんは目を細めて「ああ、似ているよ……」と呟く。
その目が数時間前に見たある人と重なって見えてドキリとした。
妖しい熱をはらんだ、オレンジがかった赤みを帯びた茶色い目。
そういえば義父さんも似た色の目をしているな。
そう思ったとき。
「義姉さん!」
「はい!?」
突然大きな声で呼ばれて体全体がビクリと大きく震えた。
「何よ眞白。ビックリするじゃない」
ドッドッと鳴る心臓を押さえながら文句を言うと、眞白は眉間にしわを寄せて私の腕を引く。
「早く着替えよう。夕飯の支度遅くなるだろ?」
少し乱暴な声でそう言う眞白に引きずられるように、私は仏壇のある部屋を後にした。
お母さんが事故に遭ってからは私が主に料理担当をしている。
他の家事は眞白がやってくれるけれど、私も手が空いているときはそっちの家事もやっていた。
お母さんが亡くなる前は義父さんもやってくれてたんだけど……。
まあ、あの状態だからやってくれるわけもないよね。
お母さんが亡くなって明日で丁度半年。
自分で言ったように、少しでも区切りがついて立ち直ってくれるといいんだけど……。
そんな風に考えていた私は、次の日あんなことになるなんて夢にも思っていなかった。
***
翌朝、相変わらず元気はないけれどちゃんと仕事に行く義父さんを送り出し、私と眞白も学園へ向かう。
「雪華ちゃん!」
校門を過ぎた辺りで声を掛けられ、振り返ると優姫さんがいた。
隣には彼女の彼氏でもある生徒会長の柚木金多くんがいる。
金多くんは明るめの茶髪に茶色の目をしていてまさに王子様といった雰囲気の優しそうなイケメンだ。
二人連れ立っていると美男美女で本当に絵になる。
「優姫さん、おはよう」
「おはよう、雪華ちゃん。昨日はありがとうね。問題なかった?」
お礼と心配の言葉に一瞬グッと言葉に詰まる。
問題は……まあ、あったよね。
でも魔女に会ったなんて言っても信じてもらえるか怪しいし、何よりその魔女にキスされたとか普通に言いたくない。
結果。
「うん、大丈夫。何もなかったよ?」
笑顔で誤魔化した。
「そっか、良かった」
「ああ、友達に頼んだって雪華さんのことだったんだ。ごめんね? でも助かったよ、ありがとう」
「え? いやいや、そんな大したことじゃないし」
隣にいた金多くんにまでお礼を言われて恐縮してしまう。
そんな私たちの会話に近くにいた眞白も加わってきた。
「ああ、義姉さんが昨日時計塔に行ったのって優姫さんに頼まれたからだったんだ? 災難だったね」
昨日私が保健室のお世話になったことを言っているんだろうけれど、そうなった経緯を詳しく話したくない私としては余計な言葉だった。
スッと目の前の二人に気付かれないように眞白の足を踏む。
「うっ」
小さく痛みの声を出した眞白を軽く睨みつけると、頷いたので意図は伝わっただろう。
「災難? 眞白、何かあったのか?」
訝しんで聞いてくる金多くんに、眞白は軽く目を泳がせてから答える。
「あー、いや。そのせいで夕飯遅くなったってだけの話だよ。気にしないでくれ兄さん」
「そうか?」
不思議そうにしながらも金多くんはそれ以上聞いてこなかった。
そんな二人を見比べて、やっぱり顔立ちはどことなく似てるよねって思う。
さっき眞白が金多くんを兄さんと呼んだ通り、この二人は正真正銘血のつながった兄弟だ。
義父さんが前の奥さんと離婚するとき、眞白だけが義父さんについてきた。
あともう一人兄がいるんだけど、私はその人とは一度しか会ったことがない。
学園に在籍してるって話は眞白から聞いたんだけど……。
まあ、そっちとはちょっと会いづらいから無理に会う必要もないんだけどね。
大体金多くんとですら優姫さん経由でちょっと話すときがあるくらいだ。
眞白は兄弟だから私よりは会って話してるかもしれないけれど……どっちにしろそんなに多く会ってるわけじゃなさそう。
何より金多くんはいつも忙しそうだしね。
「じゃあ、俺生徒会室に書類を置いてこなきゃならないから先に行くな?」
と、今日も朝から忙しそうだ。
「ああ、じゃあ」
眞白もそう返して私たちは二人と別れる。
優姫さんも金多くんについて行ったので、私たちもそれぞれの教室に向かった。
……そういえば、眞白達のお母さんも亡くなってるんだよね。
三年前くらいだっけ?
お葬式に呼ばれて二人で出席してきて。
あのときも義父さんは気落ちしてたっけ。
それをお母さんが元気づけて……。
今回も誰かそういう人が義父さんの側に居てくれれば立ち直れるのかな?
そうは思うけど、私がなれるわけじゃないし義父さんが自分で見つけてきてくれるのを待つしかないのかも知れない。
なんて思ってた。
そして今日もほとんど一人で過ごした私は、帰り際に眞白からメッセージが届いている事に気づく。
『委員会の仕事入ったから、今日は先に帰ってて』
私は『了解』とスタンプを付けて返すと、まずは買い物していかないとなーと考えながら学園を出る。
私と違って眞白は友達もいるし、他にも何かやっているのかたまに用事があるとか言って一緒に帰らない事も多かった。
でも、お母さんが亡くなってからは私を気遣っているのか一緒に帰ることが多い。
まあ、義父さんがあの調子だから二人で家のことしなきゃならないってのもあるんだけどね。
だから最近はずっと一緒に帰ってた。
そのせいかな?
帰り道をちょっと心細いって思うのは。
***
「ただいまー」
買い物をしてから来たから今日も少し遅くなってしまった。
今日も玄関は開いていたけれど、電気はついていない。
外にいる分には明るいけれど、家の中じゃあちょっと暗いんじゃないかな?
「義父さん? 帰ってるの?」
玄関の明かりをつけながら声を上げるけど返事はない。
見れば昨日と同じように靴が脱ぎ捨てられてあった。
「いるんじゃない……」
呟きながら靴を揃えて私も家の中に入る。
先に台所に買い物袋を置いて奥の部屋に向かうと、薄暗い部屋の中で義父さんが座っていた。
今日は仏壇の前ではなくて、部屋にある座卓の方に座っている。
座卓の上にはお母さんの写真と大量のお酒の缶やビンがあった。
「義父さん? 寝てるの?」
「んう? ああ……」
肩を揺すってみるけれど、反応が薄い。
本当に寝ていたらしい。
「もう、こんなに飲んで……お水飲んで、ちゃんとベッドで寝て?」
仕方ないなとため息をついて、義父さんが立つ手伝いをする。
お母さんの月命日は必ずお酒を飲んでいたから、この光景は予想出来た。
ただ、今日は本当に量が多い。
せめてこれ以上飲ませないようにしなきゃ。
「水? ベッド……? ああ、そうか。ベッド行こうな、沙奈」
「え?」
意識がハッキリしないのか、義父さんはお母さんの名前を呼んで私の肩を掴んだ。
その手の力が、嫌な感じだった。
「義父さん? 何言ってるの? 私雪華だよ?」
「ああ、分かってるよ雪華。お前の中に、沙奈はいるんだろう?」
うつろな目が私を映す。
そこには確かに私の顔が映っているのに、義父さんには見えていないんだろうか?
「義父さん? ちょっと!?」
両肩を掴んで、のしかかるように体重を掛けられ畳の上に倒れこんでしまう。
倒れた私の上に覆いかぶさるようになった義父さんを見上げると、いつもの優しい顔が悲しみに満ちた笑みを作った。
「沙奈……つらいよ……」
「っ!」
私を見ているのに、見ていない。
今の義父さんは、私を通してお母さんを見ている。
私という、娘を見ていない。
「とう、さ……」
「沙奈……慰めてくれ……」
その瞬間、何かにビキリと亀裂が入ったような音がした。
「ただいまー。父さーん? 義姉さーん?」
そこへ、場違いな程のんきな声が響く。
眞白が帰って来たらしい。
その足音が真っ直ぐこの部屋に来るのを、私は義父さんから目が離せない状態で待っていた。
「義姉さん?――っ!」
部屋に来た眞白の息をのむ音がハッキリ聞こえる。
そしてすぐに近づき義父さんを突き飛ばすように押して私を助けてくれた。
「何やってるんだよ父さん!?」
怒りと焦りを含んだ声にも、義父さんはろくに反応しない。
突き飛ばされて倒れた状態のまま、「沙奈……」とお母さんの名前を口にするだけ。
「チッ! 義姉さん、来て」
「え?」
舌打ちをした眞白は、倒れたままの義父さんを放って私の腕を引き二階へと階段を上がった。
そうして入ったのは私の部屋。
「とりあえず、着替えとか大事なもの一通りバッグに詰めて」
「え? 何? どういうこと?」
今にも泣きだしたい心境だけど、眞白の言葉の意味が分からなくてそれどころじゃない。
眞白は私をどうしようとしているの?
「……義姉さんはいったん家を出た方が良い。父さんが義姉さんを義母さんの代わりにしようとしてるのは何となく気づいてた。でも、まさかあんな……とにかく、準備して」
硬い表情で指示を出す眞白に、私は従う事しか出来なかった。
どうしてこうなったのか。
何か間違えてしまったのか。
分からない。
分からなくて、考えることすら放棄したくなる。
だから、言われるがまま荷物を詰めた。
「出来たよ」
手持ちのバッグの中で一番大きめなものを選んで、とにかく何となく必要そうなものを詰め込んだ。
「うん、じゃあ行こう」
そうして部屋を出ると、眞白は階段を下りて真っ直ぐ玄関に向かう。
義父さんのことは気になったけど、またさっきみたいな目で見られたら心を保てなくなりそうで……。
だから、私は振り返りもせず眞白について行った。
何も考えたくなくて、無言でひたすら足を動かす。
前を歩く眞白の靴だけを見ながら、ついて行った。
「ん? ヤバ、降ってきたかな?」
眞白がそう声を上げると、ポツリポツリと小粒な雨が降り始める。
「急ごう」
そう言って小走りになった眞白に私も走ってついて行く。
雨の量はどんどん多くなって、私の髪と制服を濡らしていった。
秋の雨は冷たくて、心も体も冷えていく。
そうなってから、私はやっと涙を流した。
今なら雨で誤魔化せそうだから。
今なら泣いてほてってしまう顔を冷たい雨が冷やしてくれそうだから。
だから、苦しく辛い思いを洗い流すように泣いた。
お母さんが再婚したのは私が九歳のころ。
それから八年間、義父さんはちゃんと実の娘のように私を育ててくれた。
でもその八年で培ってきた絆も、さっきの出来事で亀裂が入ってしまった。
まだかろうじて壊れ切ってはいないけど、この亀裂は多分ずっと直ることはない。
それがまた悲しくて、辛かった……。
第二話:https://note.com/rin_himura61132/n/ne71aee81cf3e