大学に行く意義を卒業前にみつける。
いま、この記事は大学のキャンパスで書いている。
11月にもなり、少しずつキャンパスに入ることが許されてきた大学生。
大学内をぶらりと歩いてみると、
様々な場所で各々のPCに向かい、オンライン授業を受けている学生たち。
ある教室では対面授業が行われており、英語の発音が聞こえてくるところも。
学食は営業しているところと閉まっているところがあり、営業しているところは前と仕切るパネルが置いてあり、多くても3人ほどのグループの学生がしゃべりながら昼ご飯を食べていて、ベンチでは隣で座らないように張り紙が敷いている。
この春新しくできた校舎は人通りが少ないためか薄暗く、活気があるとは言えない。
そして、こうして学内でPCを使っていると充電がしたくなるので、コンセントを探していると、多くの教室で誰かが繋いでいる。充電がなくなるのはみんな一緒だ。広い大教室ではコンセントがないし、遠いし。
そして、やっとの思いで見つけた空いている教室で作業していると、先生が来て、「次の授業で使うねん、ごめんね」と教室を追い出される。
PCを充電したい学生と学内のコンセントの数、需要と供給があってないなと改めて感じる。そりゃそうだ。みんなが充電したいと思って大学を建てているわけではないのだから。
キャンパス内に学生が戻ってきたとはいえ、
やっぱり前のようにはすぐに戻らないみたいだ。
私はこのままこの大学を卒業してしまうのか。
本当なら大学まで往復約1200円かかってしまうので、来たくないのだが、このままでは寂しすぎるな、と学内での活動をかろうじて続けていて2週間に1度は大学に赴くようにはしているけれど、これにも限界があるなあ。
卒業まで、残り4か月。
学期の授業が終わるまで、あと2ヶ月。
どうやら、今になって大学に通っていたありがたみ、
キャンパスに通う意義を見出した、そんな気がする。