空っぽの銀行
雪が降り始めた。夕暮れ時が近く冷え込みが厳しくなった。寮に戻るような時間。それでもこの日は一心不乱にATNを巡り続けた。
どこのATMにも長蛇の列ができている。30分以上待ってようやく辿り着いた先には、ルーブル紙幣はなかった。代わりに待っていたのは、「残高不足のため引き出し不可」と書かれた取引画面。「そんなことある?」思わず動揺してしまう。現金を引き出せなかったことを思うとくらくらした。ふと周りを見る。周りのロシア人は、なんと冷静なんだろう。地図でATMの場所を調べ、動き出していた。我に返った。彼らの真似から始まったルーブル集め。気づいたら日は暮れて、あたりは真っ暗。4時間以上かけて集まったのは、僅か3500ルーブル。「やっぱり私は、戦争をしている国にいる」。
4日前の朝だった。8時を知らせるアラームで目を覚ます。窓から遮る太陽の光は眩しい。モスクワの空は絵に描いたように美しかった。眠い目を擦りながらスマホの電源を入れる。【ロシア、ウクライナへ侵攻】。目を覚まし
たら戦争が始まっていた?意味が分からないし分かりたくもない。空に目をやる。美しい。スマホに目を落とす。物騒な写真や映像ばかりが並んでいる。ネットでニュースを見る。どのメディアも「特別軍事作戦」について報
じている。音量を下げてラインを開く。命の心配をされている。涙が静かに頬を伝った。
この日を境に奇妙な日々が過ぎていった。透き通った青空。公園で遊ぶ子供たち。散歩している人。平和を訴えては拘束される市民。街に溢れる「戦争反対」。それだけではない。ロシアの主要な金融機関がSWIFTから排除されたことでクレジットカードが使えなくなった。
日本からの送金ができなければ、金銭的に頼れる人もいない。生活ができなくなることが怖かった。銀行でお金が引き出せること、クレジットカードが使えることは決して当たり前ではない。日常に感謝を。今日も一日、生きていく。
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