プライドマンス
今年もこの時期がやってきました!
今月はじめ、バンクーバーではプライドパレードがありました。わたしにとっては今年で3回目となる参加です。
今日はすこし、わたしのボランティアのこと、カナダのジェンダーのことに触れたいなと思います。わたし個人の学びと経験、それらを踏まえてじぶんなりの解釈として落とし込んだものも含みます。ご了承くださいませ。
ボランティア
カナダでのボランティアの立場や認識は日本とは大きく違います。
履歴書にかけるほど、その社会的意義と経験は重視されており、特定の学部への出願や就職の際にも求められるものとなります。
特にNPO団体などではプログラムの運営、24時間の緊急相談などもボランティアが担うことはよくあり、これほど責任のあるタスクを?と驚くこともしばしば。
わたしはといいますと、BC州の2SLGBTQIA+コミュニティを支援している団体にボランティアとして所属しています。普段はインフォメーションセンターで電話、メール、対面相談を受け、内容に応じて当団体のプログラムを紹介したり、他団体のサービスへとつないだりしています。
相談内容としては、カウンセリングを受けたい、仲間と関わる機会がほしいといった相談や、住む家がない、ホルモンや手術などの治療(Gender affirming care)を受けたい、公的書類の性別変更手続きの法的サポートといったものなどさまざま。
ときには、カナダ国外からの相談も。
その多くは、同性愛者やトランスの方たちが犯罪者として扱われる国や紛争地域であったりで、難民申請をしたい、というものです。
このポジションで彼らの声を直接きく中で、いろいろときづかされることがあります。
彼らの生活基盤は非常に脆弱で不安定なものであるということ。社会の風向きが変わる、政党が変わる、そういったひとつひとつの変化によって彼らの安全や権利はいとも簡単に脅かされる。
それは、社会の多くのひとが、不安に感じる必要がなく、想像もつかないようなことだったりする。
普段からこのコミュニティに属するわたしにとって、パレードで仲間とマーチングをすることはわたしなりのコミットメントだと考えています。
アライ(2SLGBTQIAへの支援を表明している仲間)としてできることのひとつ。そして、この社会の特権をうけている人間の責任として。
2SLGBTQIA+:2Sって?
カナダでは2SLGBTQIA+と表記することが一般的。各アイデンティティの頭文字をとったものになりますが、2Sというのは"Two Spirit"を指し、先住民族につかわれる呼び名になります。
こちらの引用のとおり、
「Two-Spiritというのは先住民族の各部族やコミュニティ内での個人のジェンダーアイデンティティ、衣装、そして伝統的役割を広く指す用語。どの先住民族コミュニティかによって、歴史的に、多くのTwo-Spiritの人達は自分の部族の精神面、感情面、そして身体面における幸福に対する責任を負う。」
実際にはそれぞれの部族内で独自の呼び名がありますが、包括的に使用される用語として、Two-Spiritという言葉がうまれたとのこと。
あまりピンとこないとは思うのですが、わたしたちの社会で、今日、”あたりまえ”だと考えられているジェンダーの概念をここでいったん、とっぱらってほしいのです。
なぜなら、私たちが共有する概念や常識は、ある民族や文化のなかではまったく異なるからです。
カナダの歴史
この言葉がつかわれるようになったのは、カナダの歴史的ルーツに大きく関係しています。
元々この北米大陸は、はるか昔から様々なグループの先住民族がそれぞれの伝統、文化、言語を守ってこの土地に根付き、生活を築いてきました。
しかしながら、ヨーロッパの植民地政策は彼らから土地や財産を奪い、自治権を奪い、支配することで、彼らの命や生活だけでなく、伝統や文化、価値観や思考までもを奪うことになりました。
先住民族のひとたちにとって、そもそも、ジェンダーそのものの考え方が西洋的なそれとは異なるものであった。
そして、Two-Spiritはジェンダーの枠組みで分類される存在ではなく、よりスピリチュアルでパワフルな存在であり、彼らだけが担うことのできる伝統的役割があったわけです。
しかし、多くの入植者がこの土地を支配するようになると、西洋的なものの見方から、彼らはその存在を否定され、疎外され、差別の対象となってしまった。
そして、多くはその伝統的役割や居場所を失った。
カナダにおけるジェンダーへの理解を深めるためには、この国の歴史的文脈を避けては通れません。そしてそれは、この土地の先住者である人々に向けられた人種差別と迫害の歴史と密接に関係しています。
植民地政策がもたらしたもの。
多くの悲惨なできごとと失われたもの。
いまも残る差別と偏見。
カナダという国がジェンダーも人種も文化も多様な国として成り立った歩みはこの悲しい歴史のうえにある。「多様性」の共存のありかたをいまも模索し、向き合い続けているのはこの歴史と向き合う必要があるからです。
プライドはプロテスト
ジェンダー平等を巡る社会状況として、さすがだな、と思うのは、法的保障や制度の整備、リソース(社会資源)の多さです。
ジェンダー、ジェンダーアイデンティティ(性自認)、セクシュアルオリエンテーション(性的指向)、ジェンダーエクスプレッション(性表現)、これらを理由としたいかなる差別も法律で禁止されています。
わたしが法的保障がたいせつだ思う理由は、もちろん彼らの実質的利益が第一ですが、それと同時に社会全体にむけた「常識」の提示がされることにあると思っています。
「差別が禁止されている」という法的根拠はそれが社会的に許されることではないという事実になる。社会規範、つまり、社会全体で共有される従うべきルール、モラル、振舞として一度確立したものは、人々にとって「常識」としてインプットされる。
そうしてはじめて、人の権利は基本的人権として守られる。
国が社会全体にむけて確固たる姿勢を示す。法的に保障がされることのもうひとつの意義はそこにあると思っています。
教育現場でも然り。
SOGI教育といって、セクシュアルオリエンテーション、ジェンダーアイデンティティなどをカリキュラムに盛りこむ、包括的教育もどんどん進められています。
同性婚に至っては、2003年にオンタリオ州とBC州で認められ、2005年には全土で合法となりました。オランダ、ベルギー、スペインに続き、世界で4番目に同性婚が可能となったわけです。
ここに至るまで、そしてここからさらに20年、2SLGBTQIA+の権利を、命を守り、だれもがはじかれない社会にむけて声をあげ、行動をおこし、地道に取り組んできた結果、いまのLGBTQ先進国といわれるカナダに至りました。
これは、彼らが勝ち取ってきた権利であり、誇りなんです。
それゆえに、
プライドパレードはプロテストです。
2SLGBTQIA+に対して行われてきた不正義と不当な扱い、それに対する彼らの抗議であり、戦いつづけることへの決意表明。
しかしながら、これは平和的でとても前向きなものだとおもうのです。
彼らを抑圧してきた人たちを責めたり、攻撃したりするものではありません。ただただ、自分たちの存在を可視化(visible)し、ここにいるんだと示す。ファッションもメイクも振舞いも、自分の表現したいジェンダーでパフォーマンスし、パートナーへの愛を惜しみなく表現し、偽らないじぶんたちを祝福する。
そしてそこには、さまざま人種も、先住民族も、障害のある人もない人もいる。
これほどまでに力強い光景はない。
毎年、この瞬間に、空間に、溢れる人のあたたかさと強さに心を打たれ、はちきれんほどのエネルギーに感銘をうける。そして、それをサポートしにきた人たちの満面の笑みと歓声に圧倒される。
いつかこの光景を、日本でみたい。
誰もが自分のアイデンティティに嘘をつかなくていい社会に。
大切なひとたちが心から笑って暮らせる国に。
この時期は、そんなことを、毎年おもう。
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