【私の書くルール】おわる、そしてはじまる。
まぁるく円になるように文章を書いている。
実際はそんなに上手くは書けないのだけれど。
でも。私の理想はいつもはじまりとおわりがまぁるく繋がっていく文章なのだ。
0からはじまったら1,2,3,4…と始まって、大きく広がったらおわりは2…,1…,0と戻ってくる。そんな感覚。
これをなんとなく私は〝物語をとじていく〟みたいな感覚で書いている。閉じていく、なのか綴じていくなのか、ちょっとわからない。
広がった話がたった一つの核に集約されていって、はじまりと同じ場所に戻される。
場所は同じなのに、はじまりとは何かが違う。
同じ言葉が、一つの言葉が、たしかにはじまりよりももっと多くの意味を感じられるようになる。
そういうイメージで書きたいといつも思っている。
小説を書く時はより一層それを意識している。
昔誰かが言っていたことを今でも物語を書く時、思い出す。
〝物語の最初と最後、主人公達が自分の力でどうにもできない範囲の環境、性質、境遇を物語の都合で勝手に変えてはいけない。何も変わらなくて、それでもたしかに生きているキャラクター達の何かが変わっていくところを描くのが物語〟
親に愛されなかったこどもが、親に愛されるようになる物語は描きたくない。
愛されなかったという過去が誰とどう出会って、どんな時間を過ごしたらどんな風に受け止め方が変わるかを考えて描きたい。
独りぼっちの主人公が何の魅力もないまま可愛いヒロインや素敵な親友に出会ってどんどん明るくなって見違えるような青春を送る物語は描きたくない。
主人公が変わってはじめて同じ世界の見え方が変わる瞬間を描きたい。なんなら色んな人と出会って、そして最後、1人でも自分を信じられる独立した人間像を生きてほしいといつも思っている。
だって、現実はそう上手くはいかないから。
奇跡の出会いはそうそうないし、大抵苦しいことは自分で立ち上がれなければ変わらない。
なんでもない、何も変わらない人生を過ごしている誰かに読んだ後「そのままで全然いいし、変わっていきたいならそれもいい」と思ってほしい。
だから物語を書く時はじまりとおわりの場所が自分の中の感覚で近いところに落ちていてほしいと思っている。
エッセイなんかを書く時はちょっと違う気持ちで円環的な気持ちがある。
なんとなく、最初に出した話題は最後に回収すべきなんだろうなみたいな。
noteにあげている文章はそこまでではないと思う。これは気楽に好きなことを書く媒体としている部分があるから。
でも、しっかり作品としてライティングする時はこのプチ伏線回収的なものに私は結構拘ってしまう気がする。構成の妙といいましょうか。
最初にぱっと見せて興味を引いたものが、最後になって「そういう話をずっとしていたわけね」と思えるように書きたい。
こういう風に思うのは多分、私が〝ゴールを決めてから〟しか文章を書かないからだと思う。
文章を書くことはフルマラソンだ。
長い道のりがあって、下りも上りもあって、ゴールが決まっているからそこへ向かって走る。
でも適当に走っちゃいけない。めんどくさがって勝手にショートカットしちゃいけない。いくらその道が好きだからってずーっと座り込んだり、関係ない寄り道ばかりをしてはいけない。
ゴールまで続く道筋を物語の重要な要素を取りこぼさないようにチェックポイントを巡りながら走っていく。
走ってる間は息苦しかったり、気が重い時もある。でも、走り切って、今来た道を振り返った時、私はいつも最高な気分になる。
ああ、気持ちいい! と思う。
ゴールが決まっているから、いつも一行目の一言目からゴールに向かって走っている。
だから、ゴールする時ははじまりのことを考える。
本当はもっと色んなマイルールがある。
それこそ気分が乗らない時に無理して書かない。ウケが良さそうかどうかで書くテーマを選ばない。キャラクターを物語の進行のために馬鹿に描かない。誰に読まれるか読んでほしいか考えて書く。書きたいことは一個までにする。小説を書く時は思想の軸を意識する。
でも、これはこれでいつも守っているわけでもない。
noteに投稿する時は何も考えていないことの方が多い。頑張って何も考えないようにしている。
コレがウケたとか、アレが伸びたとか、こういう文章が上手いとか思ってしまうから。
だからせめて、はじまりは開いていくようにおわりは閉じていくように。緩やかに全体が繋がっていくように。
ゴールがないまま走り抜けて、自分でもここがどこかわからなくなるような走り方じゃなくて。
放り出さずに、掌の中でそっとまぁるく。
誰かのはじまりになれるように今日も言葉を紡いでいく。
参加している企画は
色んな方のマイルールが読みたい!!!