そっか、私は服がすきだったんだ
皆様こんにちは。いつぶりかわからない程、久しぶりにnoteを書いております。
引越しを終え、新生活が始まってから3ヶ月経過しました。少しづつ心地よい空間が作られています。
今月は仕事を辞めることを決め、少し人生模様が変化しています。
退職するか否か、家業にどこまでコミットするか否か等まあまあ生き方を左右する思考にリソースを取られました。ずいぶんと悩んだ気はしますが、いざ辞めると決めたら、足取りが軽く感じます。なにか事件があったわけではないし、辞めざるを得ないということでもない中での決断なので、ふんわりとしていますが、色々と心身に負担だったんだなーと改めて感じました。
じゃあ仕事を辞めて、何者になるのかわからない、という謎の焦りで、「今着る服がない!」となって慌ててしまい、たくさんの試着し、たくさんの買い物を最近しました。私はどちらかといえばミニマリストですが、服が一気に増えてしまいました。
買い物をしていて、
私はミニマリストではある、でも服が好き。ということに気がつきました。衝動的に服を買うタイプではないけれど、ミニマリストであるという精神が、服が好きという気持ちに蓋をしていました。別にミニマリストだからと言って服が好きなのはいけない、というわけではないと思うのですが、自分で勝手に制約をしていました。
どんな自分でありたいか?を問うていつも服を選んでいるつもりですが、仕事を辞めると決めた瞬間から、何かの糸が切れたかのように、糸が切れた凧のように、仕事では着ない服を買いました。
ふんわりしたシフォンのワンピース、上品なレース編みのカーディガン、アシンメトリーなトップス。フレイアイディーなどは、そもそも私には大きくて難しいのですが、多少大きくてもいい!と割り切って買いました。
今までの自分ではまず手にとらない服たち。街中で見かける柔らかい服を着た女性たちに憧れ。でも私にはない、遠い世界だと諦めていた。もしかしたら、美しい女性になることをどこか拒否していたの知れない。いざ手にしてみたものの、どこに着ていくのよ・・・とたじろぎました。(臆病)
仕事でもない、家でもない場所。
あ、、美術館に行ったらいいんだ。と思い出しました。そうでした、私は「やわらかい色気のある画商」なのです。私が存在していい場所は美術館。画商は、空間に溶ければいい。パッと目を引く色を着て目立つのが苦手。ならば、空間に溶ければいんだ・・空間に溶けて、環境と一体になる。
仕事も家も、遊びも、本当は同じ服でいいはず。なりたい自分になるというのは、それら一体になったときに感じるものなのかも知れない。
仕事を辞めても、家業を継いでも、私は私に変わりない。
自信を持って私らしい服を着て、私でいて。いいんだ。