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自問自答ファッション教室、人見知りの自分語り

みなさまこんにちは。立冬が過ぎ冬の香りがします。紅葉が始まり、風がつんとしますね。

11月、念願だったあきやさんのお教室に行ってまいりました。

えい!と申し込み、ワクワクしていたのに、当日になると人見知りが限界を越え、「行きたくない」「でもせっかくここまで来た」「いや、このまま引きかえそう」を電車の中で20回くらい繰り返し、到着する迄に疲労困憊でした。あきやさんも、ガールズも絶対にいい人で怖くないことは百も承知です。なのに、震え上がっていました。
教室の扉の向こうには、あのあきやさんと、明るくあたたかな世界がありました。お部屋が白く明るく、あきやさんは神々しく輝いていました。壁紙の色のせい?かもですが、少なくとも私にはそう見えました。

魅力ある皆さんとの大変充実した教室で、時間ギリギリまであきやさんは質問に答えてくださいました。
人見知りの私は、エネルギーを消耗し切ってしまい、帰宅後本当に2日立ち上がれなくなり。。
何も手付かずなのですがとりあえずの自分語りの感想めいたことを残そうと思います。

他にも書きたいことはあるのですがそれは後日にしたいと思います。

①ファッションが好き、を認めよう
私は子供の頃からファッションに興味がありました。幼少期、TV番組「ファッション通信」をみては、私もデザイナーになりたい、と新聞にはさまっている広告の裏面にきままにデザインした服の絵を描いていました。
いまもその長寿番組を見ています。
当時は、煌びやかな世界を堂々と歩くモデルさん綺麗とか、髪型可愛いとか、脚が長いなあ、とか、身体的美について主に注目していたように思います。私にないものをモデルさんたちは持ち過ぎてて、なんか遠くの楽園を見ているような気持ちでした。

現在、その番組に何を見るかと言うと、ショーを行う環境です。歴史ある美術館での開催とか、野外なのか屋内なのか、照明はどんな風かとか、動線、ゲストの配置等。服のこと、モデルさんの容姿以外のことにもとても興味があります。ブランドが私たちに何を伝えようとしているのか、をパーツではなくて空間全体で把握したい欲があります。

ファッションというものに対して、両親や周りの親族は結構ネガティブな考えでした。ちゃんとした格好をしなさい(親から見て)、着飾ることは恥です。化粧は男を騙すためのもの。綺麗になってはダメよ。と言われたこともあります。ファッションって、何か人を騙す悪いものなんだ、、と幼心に感じ、いつしかファッションに対する気持ちを蓋をするようになりました。

あきやさんのお教室でも、自分の好きなブランド、好きな服の話について、全くと言っていいほど私は言語にできなかったのは、どこかファッションについて話す自分は悪い子だ、という呪いがあったからかもしれません。
ブランドのロゴが苦手なのも「rinのくせに、高いブランド持っている」「それを持つ価値があるのか」と言われるのではないかーという気持ちというのが背景にあるような気がします。
好きなブランドについて、買った素敵なものについてキラキラと話す皆さんが本当に輝いて見えたし羨ましく思いました。

言語化が苦手過ぎる
ガールズの皆さんのお話を聞くタイミングがあるのですが、みなさんのお話に引き込まれました。悩みを持っている、その悩みの変遷プロセスを話してくれるガールズ。それを買ったに至るストーリー。流れるようなお話の仕方に何度も羨ましくなりました。

私は、ビジュアルでものを考える傾向があります。いわゆるビジュアルシンカーといわれるものです。自分の脳内では、考えたことが絵で浮かびます。それを言語に落とし込むことがテンポが遅れるのです。

絵と空気とが自分の中で、3方向X,Y,Z軸になっているのですが、それは人に伝えることができないのですよね。言語にすることで、本質が綻び落ちているような感覚もあります。言語化がビジネススキルとしてすごく大事な界であることは存じております。でも、こうしてnoteに向かうことも、結構大変で絞り出している感覚です。喋るも書くもあんまり得意じゃないから、自分のなかの絵を自分で消化している感覚。どうしたらいいんだろう。

超現実的過ぎる
もしもお金がたくさんあったらーと想像する時、私は本当に何にも思い浮かばず・・現実的過ぎる自分に驚きました。そういえば子供の頃のなりたい職業は、裁判官と言ったことがあるような、そんな子供でした。本当に心の底からやりたいか?で選んでいるわけではなくて、何か心の動きがいくつかあった上での将来の夢だったのように思います。

これ、糖衣問題です。

自分の生き方で、引っ掛かっていることがあることを思い出しました。
都会とはいえ古い風習のある街で、女が学問つけるなんて、と普通に言われたり、出る杭は打たれ、ドリームキラーしかいない環境で育ってきたため(今思うと子供を心配するが故の声掛けなのでしょうけれども)、突拍子のないことをすると後々面倒になるということを考えながら行動する子供になりました。大事にされ、幸せに育ちつつも、大人の意見を聞いて自分を言いくるめるのがまあまあ得意になりました。
もともと現実的思考ではあったとしても、輪をかけてしまったのはこの辺にルーツがありそうです。大人になった今、別の糖衣が覆い被さる前に、ここを紐解いて緩める必要があると思いました。


お教室に参加し、自分のなかにどろどろと停滞しているものに気づきました。今すぐに、明日着る服について何かを解決するものではなくて、今までの生き方が、どれほど服装に影響してきたか。これからどんな風に生きていきたいのかを真っ向から問われる時間だったと思います。(だから2日立ち上がれなかった)

私はまだ衝撃波でやられているのですが(笑)、宿題を整理して、少しづつあたらしい自分を始めていきたいと思います。あきやさん、ガールズのみなさん、素敵な時間をありがとうございました。







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