劣勢Seを全力で使って趣味を楽しんでいるINTJの話
自分にとって、趣味ってなんだろう?
ずっと疑問だった。
私の中で、趣味の優先順位があまりにも低い。
明らかに不自然なレベルに低い。
趣味はある。あるのに、私はそれをいつでも捨てることが出来てしまう。
例えば、恋人との時間と自分の趣味の時間、どちらか片方しか取れない場合、私は迷わず恋人との時間を選ぶ。
そしてその時、自分の趣味の時間が減ってしまうことにさほどストレスを感じない。
また落ち着いた時に時間が取れればいいな。
あれば楽しいけれど、別になくても困らない。
……くらいの気持ち。
INTJの性格を熟知している方には言うまでもないと思うが、この私の行動に「恋人のため」という意図は一切ない。たとえ恋人が「自分との時間よりも趣味を優先しろ!」と謎にキレて胸ぐらを掴んで来ても、私が趣味を優先することは無い。
相手がどう思おうが、私の中での優先順位は決まっている。私は自分の趣味がさほど大切ではないのだ。
私の勝手な予想だが、INTJは自分の趣味の優先順位が高い人が多いのではないだろうか。
恋愛をしているINTJがどれだけいるかはさておき、仮に恋人がいたとしても、自分の趣味の時間が取れないくらいなら恋愛なんてやってられないという人が多いと思う。きっとそれが〝1人の時間がないと無理〟という定番のINTJあるあるにも繋がっている。
INTJはオタクが多いとも言われる。
これはオタクっぽい趣味という意味ではなく、趣味への接し方がオタクということだと私は解釈している。
自分の趣味の話になるとやたら饒舌になるとか、1度何かにハマったらとことん調べ尽くし考え尽くし、気が付いたら食べることや寝ることすらも忘れる……そういった趣味に対する姿勢だと思う。
おかしい。
私の性格上、趣味に対しても多くのINTJと同じような対応になりそうなのになっていない。
一時的にガツンと何かにハマって狂ったように没頭することはあるが、それが捨てられない趣味にまで発展しない。
趣味が自分の一部になるような感覚がまるでないのだ。
他人の趣味の話を聞くのは好きだ。
彼らは自分の趣味についてイキイキと、時に周りが見えなくなるくらい楽しそうに話す。
趣味の話を通じて自分を表現している。
だから聞けば聞くほど、その人がどういう人なのか見えてくる。
私は相手の趣味の話を聞きながら、この人とは性格が合いそうだなぁとか合わなさそうだなぁとか思ったりする。合いそうだなぁと思ったことはあまりないので、私は今のところ友達が1人しかいない……という話は蛇足だ。忘れて欲しい。
相手がどういう人か知りたい時、その人の趣味の話を聞くのはかなり手っ取り早い方法だと思う。
一方、私は人に自分の趣味の話をするのが苦手だ。
コミュ障とかそういう話ではない。話せるのは話せる。自分の趣味は何で、その趣味のどこがどう好きで……そういうことは人並みに言える。
言えるのだが、言いたくないという気持ちに襲われる。相手が家族だろうが恋人だろうが、自分の趣味について話したいという気持ちになれない。
自分の趣味の話をするのは自己表現の1つのはずなのに、私は何故したくないんだ?
やはり、何かがおかしい。
付き合っていた彼氏に趣味を共有されるのが苦痛な時があった。
前述した通り、彼の趣味についての話を聞くのは好きだった。新しい世界の話を聞いているようでワクワクもする。
ただ、共有されると途端に苦しくなる。
具体的には、彼が自分の好きな音楽やらアニメやらを私に共有して感想を求めてくる時だ。
例えばアニメの場合、彼と私の好みはそもそも合わなかったのだが、それは問題ではない。
INFJだった彼は私の考えを聞きたかったのだ。
自分が良いと思ったものを自分と同じように良いと思うのでは?という大きな期待もまぁ感じるが、気に入らなかったら気に入らなかったでその理由を聞きたいと彼は思っていただろう。
そして、そのアニメが伝えたいこと、アニメの監督が表現したかったものについての考察などを深く語り合いたかったのだ。
彼は当然のようにそういう話が私と出来ると思っていたし、その会話を通じて私という人間を掘り下げたいとも思っていた。
そりゃそうだ。
趣味以外の話ではそういう話ばかりを私たちはしていたのだから。世の中の事象が何故そうなるのか、それについてどう思うのか、自分はどうするかという話を日常的に楽しんでいた2人だから。
でも、私は趣味に対してその思考の深さがない。
このアニメは主人公が不快だからイライラして見ていられないと思ったりする。何故その主人公が嫌いかという理由に関してはやたら饒舌に説明するが、そのアニメが伝えたいことや作品としての評価をしない。したとしても浅い。
彼に薦められたアニメについて色々と考えてみて、それっぽい感想を言うが、いつものように話せなかった。かなり無理をしていた。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
面白いと感じたものは面白いし、面白くないと思ったものは面白くない。
極端に言えば、趣味に関してはこれ以上深く考えたいと思わない。
どう無理をしたとしても、私にとってアニメがそういう感覚で楽しむ対象であるという事実は変わらない。
そんな私を見て、彼が困惑していたのが分かった。趣味の話をした途端、私の思考は停止してしまうのでまるで別人のように感じたのだと思う。
私自身も趣味の話をしている時だけ、自分が自分でないように感じるので苦しかった。
……とまぁそんなこんなで、ずっと何なんだこれはと悩み続けていたのだが、最近、MBTIの心理機能について考えるようになって、ようやく自分の中で納得のいく1つの結論に辿り着いた。
私は趣味を楽しむ時に劣勢Seを全力で使っている。
①絶叫マシンに乗る
②人が多い賑やかな場所に行く
③海、プールに入る
④音楽のライブに行く
⑤歌詞をろくに見ないで曲を聴く
⑥好きなアニメのグッズをコレクションする
⑦ランダムグッズを買ってギャンブル要素を楽しむ
⑧ビジュアルが好みなキャラクターを推す
順不同だが、羅列したこれは全て私の好きなこと、私が人に話すのが苦手な趣味たち。
羅列してみると、傾向が見えてくる。
これらは自分の感覚を刺激するものばかり。
そこに私の思考は存在しない。
①絶叫マシンに乗る
物心がついたときにはもう好きだった。
精神的なスリルも、体で浴びる風も何もかもが気持ちが良い。ストレス発散でしかない。
②人が多い賑やかな場所に行く
人が多い場所は疲れる人間のはずなのに、たまにやたら都会に行きたくなる。
人が多い場所に行くと自分の気分が高揚しているのが分かる。刺激を感じる。
そして、家に帰ってから初めて自分が疲れていることに気が付く。
③海、プールに入る
自分の性分的には眺める方が向いているはずなのに、海水浴やプールに無性に行きたくなる。
しかも、私は泳げない。最悪だ。何しに行くんだ。
普段、冷たい水の中に入る機会はほぼない。
だからこそ、時たま冷たい水の中に入ってその刺激を肌で感じたくなる。泳げなくても楽しい。
そして、やっぱり家に帰ってから自分が疲れていることに気が付く。
④音楽ライブに行く
これ、ライブなら何でもいいという点が重要だ。
ライブ、イベントのことになると私は突然フッ軽になる。自分があまり興味がなかったり、よく知らないアーティストのライブでも、嫌いじゃない人に誘われたら喜んで行く。そもそもお前は嫌いじゃない人が少ないだろうが……これも蛇足だ。忘れて欲しい。
私はライブが好きなのだ。
音、振動、熱気……五感への刺激が強いのが魅力的。
気分が高揚してわくわくする。
だから、ライブ後に感想を聞かれると困ってしまう。良かったとしか言えない。なぜなら、ライブを楽しんでいる時の私は刺激を全身で感じているだけで、他に何も考えていないから。
⑤歌詞をろくに見ないで曲を聴く
メロディが感覚的にぶっ刺さったら、その曲は好きな曲になる。狂ったように聴く。
歌詞を全く理解していないのにメロディだけでボロボロ泣いたりする。理由は聞かれても自分もよく分からないので聞かないで欲しい。感覚的に揺さぶられて泣いているだけだ。
そういうよく分からない感覚に、あえて疑問を持たず、素直に従って涙するという行動がストレス解消に繋がっているように思う。
後で、好きな曲の歌詞をちゃんと見てみたら、自分の思考と違いすぎて共感できないどころか嫌悪を抱くこともあって驚く。でも、気にしない。仮に歌詞に嫌悪を抱いたとしても、音を聴いた時に好きだと思えた曲はずっと好きだ。
だから、好きな曲を聞かれるのがとても苦手。
例えば、自分の恋愛観とは全然違う歌詞が綴られたラブソングのメロディがやたら好きだったりするのだが、その曲を単純に好きと他人に言ったら自動的に自分の恋愛観もそうだと思われそうで言いづらい。
好きな曲を言うことで自分という人間を判断されるのが怖くて言いたくない。
私がワイルドな歌詞の曲が好きだからと言ってワイルドな性格でもなければワイルドな考え方もしないし、女々しい歌詞の曲が好きだからと言って私が女々しいわけではない。
……と、これを説明するのがまた面倒だ。
⑥好きなアニメのグッズをコレクションする
物を集めるという楽しさ、これも刺激だ。
相変わらず、そこに私の思考は存在しない。
これだけ集めたという事実に快感を覚え、目で見て楽しむ。五感の楽しさだ。
⑦ランダムグッズを買ってギャンブル要素を楽しむ
本物のギャンブルはしない。
人生のギャンブルのようなものも絶対しない。
絶対しないからこそ、その刺激をどこかで求めている節がある。
だから、安価なランダムグッズを少しだけ買って、ほんの少しだけギャンブルに似たスリルと快感を味わう。
⑧ビジュアルが好みなキャラクターを推す
普段、人を見た目や表面的な何かだけで好きになることは絶対に無い。
絶対にないからこそ、見た目や表面的な何かだけで感覚的に好きと宣言して、その対象を応援する推し活という趣味は私にとってかなり非日常的な体験で刺激的だ。
やってはいけないことをやっている感覚すらある。
まぁアニメのキャラクターだろうが3次元のアイドルだろうが、基本的にビジュアルは良いことが大前提。だから、多少のビジュアルの好みで選別した後、最終的には性格の好みで選ぶことが多い。
だが、その性格も、その対象と実際に腹を割って直接話した結果得た情報ではなく、ある程度想像でしかないのでかなり表面的なものだと言えるだろう。
これらの趣味の中に私の思考、私のアイデンティティのようなものはない。
だから優先順位が低いし、捨てることに躊躇いがないのだと思う。
趣味の中に自分の軸となる何かがあったら、そう簡単に捨てられるわけが無いし、優先順位だって高いはずだ。
趣味は自分とまるで違うものという感覚なので、話すのが苦手なのだ。
まるで他人の話をしているように感じるし、その内容から「こういう人なのかな?」と他者に自分の性格を想像されるのが怖い。
恐らく、単純に私の趣味から私の性格を想像すると、普段の私とは真逆の人物像になってしまう。
都会、海、テーマパークが好き!
ライブなら何でも行く!
グッズを集めたりランダムグッズを買う推し活が好き!
あまりに自分じゃ無さすぎる。
それもそのはず、私は趣味を楽しんでいる時に普段ほぼ使わない劣勢Seを全力で使っている。
INTJやINFJは劣勢Seを上手く使うことが出来れば、ストレスを発散させることが出来るらしい。
まさに私の趣味はそれだ。
今回挙げた私の趣味は自己表現の方法ではなく、ストレス発散方法なのだ。
自分のストレスを発散させるために無理してSeを使っているとも言えるかもしれないし、ストレス発散のためという条件付きでSeを上手く使えるように成長したとも言えかもしれない。
普段ほぼ使えていないSeを全力で使って、今まさに与えられる刺激的な感覚を楽しんでいる私と、TeとFiを使いながらNiが指し示す未来に向かってただひたすら突き進んでいる普段の私が、別人に見えるのは当然のことだろう。
要は、私が趣味の話を人にしたくないと思うのは、他者に見てもらいたい自分が〝Seを全力で使ってストレス発散をしている姿〟では無いからだ。
私が何をする時に快感を覚えて気持ちよくなるかなんて知らなくていい。いずれ知ってくれてもいいが、少なくとも一番に知って欲しい内容では無い。
でも、どうしても趣味の話をせざるを得ない場面というのは多々ある。
趣味を聞かれているのに、突然私だけ自分の身の上話をし始めたらおかしい。だから、仕方なく聞かれた通りに趣味の話をするのだが、自分の中では割とイレギュラーなSeを使っている場面の説明をすることになるので気持ちが悪い。
「自分はこういう人です」という説明を本当はしたいのに、「自分はこういう時もあります」というレアケースだけを人に話している感覚。
しかも、だいたい初対面の人に。
自分の中でこういう結論が出たからと言って、私が趣味の話を人にしたいと思うようになることはないが、気分的に楽にはなった。
私の趣味に自分らしさが感じられなくても悩む必要はないのだ。
むしろ本来使うのが苦手な劣勢Seを趣味という場では上手く使えているのだから、褒められてもいいくらいだ。たぶん。
「趣味に対しての思考が浅い」
と彼に言われて「おい、だとしても言い方を考えろよ言い方を!」と私はちゃんと不愉快な気持ちになったのだが、それはまぁいいとして、実際そうなのだ。
彼が私に「趣味に対しての思考が浅い」と言うのは、無心でジョギングすることで気分転換やストレス発散をしている人に「あなたは走っている時に何も考えてないんだね」とわざわざ言うのと同じだ。
そんな事わざわざ言うなよとはやはり思うが、それはまぁいい。事実だし。全然気にしてない。いや本当に。(?)
(私と趣味に関して深い話が出来ないと知った彼の落胆は大きかったのだろうと理解は出来る。だとしても言い方を以下略)
さて、私は自分の趣味のあり方について一旦それっぽい答えを出してスッキリしたわけだが、ここでふと思う。
今、まさに誰に頼まれたわけでもないのにダラダラと書いているこれは趣味では無いのか?
「趣味は何?」と人に聞かれた時に手軽に答えられるものが、私の場合は劣勢Seを使う趣味ばかりなんだという話をしたかったので、あえて触れなかったが、今書いているこれも紛れもなく私の趣味である。
私にとって文章を書くことは、かなり大切な自己表現の1つで大きな趣味なのだが、これはこれで人に説明しづらいという問題を抱えている。
このnoteを書くこと、日記を書くこと、小説を書くこと、日常に起きた出来事をやたらユーモラスに140文字にまとめて𝕏でツイートすること……私はとにかく何らかの形で文章を書いて自己表現することが好きだ。
自分の思考やアイデンティティがふんだんに含まれた数少ない趣味ではあるのだが、文章を書くこと全般が趣味というのはあまり聞かないし、分かりづらいような気がする。「趣味は何?」と軽く聞かれた時の答えとしてはあまり手軽ではない。
理想としては、「趣味は絵を描くことです」と答えるのと同じ感じで「趣味は文章を書くことです」と言いたいが、「ん?文章を書くこと???小説ってこと??」と相手が少なからず困惑するのが想像出来るし、「いや、小説に限らず文章全般うんぬんかんぬん」などと追加で長々と説明するのが面倒に感じてしまってやめてしまう。
そもそも、趣味を聞いてくる相手はだいたい初対面に近い人であることが多く、私にとってそんな手間をかけてまで自分を深く理解されたいと思える段階の人間ではないことがほとんどだ。相手もきっと私に対してそれくらいの熱量なので、途中で私の話に飽きてしまう可能性も高い。
最後に強引に話を戻して、まとめのようなものを書こう。
私は運動が苦手だし、方向音痴だし、その他諸々かなりSeが劣勢であることを感じる場面が多いのだが、どうやら趣味では全力でSeを使えているらしい。
この調子で運動神経の悪さや方向音痴の改善にも努めて、Seを上手く使える完璧に成熟したINTJになることが理想だろう。
しかし、やらざるを得ない状況に追い詰められたり、具体的な収穫が得られるという確信がないと努力をしない人間である私は、今日もまた何も無いところで転んだり、地図を見ないと元来た道を戻ることが出来ずグルグルと同じ道を歩き続けたりしてしまうのだろうな、とも思う。
まぁ人に迷惑をかけないのであれば、それも自分らしさとして受け入れるのも一つの手だ。
絶叫マシンに乗って快感を感じ奇声を上げる私よりも、ウォータースライダーを気持ちよく滑り降りて上手く着水したはずが、思ったよりも水深が深くて溺れかける方が私らしいとも言える。
……え? いや別に、実話とは言ってないけど?