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こどもの自立に伴走し、一緒に小さな成功体験を積み重ねる意味

共感する記事を読んだので、今日はそこから考えたことを書きます。

こちら、私は最近読んだのですが、日付を見ると1年程前に書かれた記事のようです。1年前に書かれたものですが、「小1の壁」についてはもっと前から言われているし、今も悩んでいる人がいる問題だと思います。
「小1の壁」について、お子さんは保育園に通園し、仕事をしてきた親御さんが、お子さんが小学生になり「仕事を辞めようかな」と思うようになる過程がよくわかる内容でした。何が問題なのか、求めているものは何なのか。あずさ兎さんの書いていることは、保育園→小学校という流れで起きる可能性が高い問題だと、私も常々思っていたので、納得の内容でした。

ここであずさ兎さんとお子さんに起きている問題は、ただ単に学童の開設時間が長くなったからといって解決しないのですよね。現在の保育園の親子支援のやり方を変える必要があると私は考えていて、そのことはたびたびnoteにも書いています。この問題、おそらく幼稚園→小学校の流れではあまり発生しないのだと思います。なぜかというと、幼稚園でも子どもは保育園と同様に日中園で過ごすとはいえ、日常的に親の出番が頻繁あり、それを通じて必然的に、親自身が子どもの発達へ応答する経験を積むことになりやすいからだと思います。親は幼稚園で行っていたことをそのまま継続していくことで、小学校で子ども自身ができるようになっていくことを見守る・サポートすることがスムーズにできる場合が多いのです。本来、保育園でもこのような支援を行うべきで、もちろんそのようにしている園もあると思います。しかし、そういった保育園ばかりではなく、保育理念は様々であり、往々にして保育園→小学校の過程を経た方に「小1の壁」を感じる場合が多いように見受けられます。

「小1の壁」は働く親御さんが「時間が足りない」と思う事から、「学童保育が長くなればいい」などと思いがちですが、それだけではお子さんの自立にはつながらないので、問題は先送りにされます。小1の1年間(個人差あり)程度の時間をかけて、お子さんがゆっくりと確実に自立(小学校生活を行えるようになること、決まった時間に自分で起きる・明日の準備をする・自分で歩いて登下校するなど)に向かうようにサポートする必要があります。そこにはどうやってもある程度の時間と伴走する大人が必要です。そこに気づくのは早い方が良くて、気づくのが遅れるほど、いつまでたっても親も子も楽にならず、先送りにした分問題は大きくなります。

子育てはどこかの時点で親は子どもと向き合わねばならず、保育園に通園していた場合、そのことに最初に気づくのが「小1の壁」なんだと私は思います。就学前に広い意味での子どもの発達に関して、また我が子自身に関して、親として向き合う時間を持つことができれば「小1の壁」というものはなくなると私は思っています。

「小1の壁」は子どもが自立していく過程を、親は伴走者として傍らでサポートしていく必要性がある中で起きる問題だと私は考えています。就学前に子どもとある程度の時間過ごす生活をした場合、この段階で子どもが身辺自立をしていく過程を見守る体験があります。見守ることにより、一緒に小さな成功体験を積み重ねることになります。保育園に子どもが通園する場合、親がその伴走をし、子ともに成功体験を積み重ねる機会が必然的に減るのです。そこをどうサポートすることは保育園に課せられた大切な部分です。適切なサポートがなく、ただ「親の代わりにやる」だけのサポートに終始してしまうと、親は「知らないうちに子どもがいろいろできるようになった・楽だった」という感想をもつだけになってしまいます。一見面倒に思えるような伴走する体験は、親としてしておいた方が良い類のもので、何らかの形で「自らの成功体験」になっていないと、後に親が困難を抱える可能性の高いものなのです。

父親も母親も仕事をしながら子育てすることがマジョリティ―になっている現在、そこをどうクリアしていくかが今後の子育て支援に問われている問題だと思います。これまでのままでは解決しないのは自明です。

様々な思いをしながら続けてきた仕事を、ここで「辞めようかな」と思う人が少なくないことの意味を、子育て支援に関わっている人はもっと考える必要があるのでしょう。「辞めようかな」と思う人の中には、子どもの自立には伴走者が必要で、その重要性に気づいたからなのだと思います。



↓「小1の壁」を「子どもを知る機会」ととらえることで、向き合い方を変えると…という話を書いた過去記事です。



ここからは私個人の話です。

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