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短編小説:想い香るカフェ
前編
その日、僕は猫背になりながら街を歩いていた。
夏の暑く強い日差しが肌をチクチクと刺すように照りつけ、額からは自然に汗が落ちてくる。
腕時計を見ると時刻は午後1時過ぎ。
朝の9時から昼食も摂らずに働き続けてすでに4時間以上が経過していた。
「流石に、休憩しないと」
と思いつつもこの暑さでは食欲も湧いてこない。
それよりも早く仕事を終わらせたい。
僕の働いている職場は3年ほど前からいわゆるブラック企業である。
サービス残業なんて当たり前。上司はだいぶ肥えた面をしているのに、他の社員はみんな死んだ目をしている。僕も含めて。
その中でも僕は下っ端も下っ端のため、こうして朝から営業回りに行かされている。10連勤なんてザラだし、給料も多くない。オマケにいつも上司の説教や愚痴に付き合わされる始末だ。
本当になんでこんな会社に入社してしまったんだ……なんて愚痴はもう言い飽きた。
一番嫌なのは、僕自身がこの日常にすっかり慣れきってしまったことだ。慣れたくなかった。こんな職場。
1年目は辛すぎるあまり、毎日「辞めてやる!」と意気込んでいた程だったが、なかなか一歩が踏み出せなかった。上司を前にすると毎回引き下がってしまった。理不尽な上司に頭を下げて従い、働き続ける日々だった。
そんな生活を続けていたら、僕の変化に母も流石に気付いたようで、休みの日に実家に帰った時に「今の職場は辞めた方がいい」と何度も心配して説得してくれた。だが僕は毎回「大丈夫だから」とぎこちない笑顔で断っていた。それまで僕は母に自分の抱いた夢のせいでたくさん迷惑をかけていた。
ここで母の言う通りに辞めてしまえば、また負担をかけることになってしまうと思った。僕の母はシングルマザーだった。だが、僕と母の間に血の繋がりはない。僕の父は母以外の女性と不倫をしていた。そして僕は父とその不倫相手との間にできた子供である。そして僕が4歳の時に父と不倫相手の女性は事故で亡くなり、1人になった僕を今の母が引き取ってくれた。
今思うと、誰も近づこうとしなかった僕を母が引き取ってくれたのかは、今でも聞けていない。
理由はどうであれ、母は僕を育てて大学まで行かせてくれた。そんな母に僕はこれ以上、負担や心配をかけたくない。社会人2年目になると母も説得を諦めた。そして2年目にもなると1年目の時よりも仕事に慣れ、仕事が忙しく実家に帰れなくなった。あまりにも仕事が多忙なため僕の睡眠時間は4〜5時間になり、今では3時間の日もある。昔はひと息つくためにコーヒーをよく飲んでいたが、今ではひと息つく暇もなく今ではエナジードリンクが僕の相棒である。毎回布団に入る度に無様だなと考える。
昔は夢に向かって無我夢中で走っていたはずなのに今では夢ではなく営業先と上司の元へ走る日々。
夢を諦めて、無気力になって、今は働き蟻の如く走る社畜だ。
「疲れたなぁ」
と呟き、今まで俯いていた顔を上げると、いつの間にか見覚えのない場所に居た。戸建ての家が転々と並ぶ住宅街だった。ここは何処かと思いつつスマホの地図アプリを開く。すると、先ほど居た場所よりはるか遠くの距離を無心で歩いていた。その事実を認識した途端に確かに体に疲れを感じていることがわかった。
「いや、疲れているのはここ数年毎日か。いい加減、休憩しよう」
そう思い、休める場所がないか再び歩き始めた。
すると、何処からか懐かしいコーヒーの香りがした。近くにカフェがあるのかと思いつつ辺りを散策し始める。すると、100メートルほど歩いた路地裏のような所にこじんまりとしたカフェを見つけた。
アンティークな外装。店先には花壇に植えられた花が青々と咲き誇っている。店の看板には『cafe プルメリア』と書かれていた。
こんな所にカフェなんてあるのかと思いつつ、店の外の窓から店内を覗いた。中も外装のようにアンティークな作りをしていた。少し躊躇いながら店の「OPEN 」と書かれた札が掛かっているドアを開ける。「カラン、カラン」と乾いた鈴の音と共に落ち着いた雰囲気の内装が目に入った。店内では小さめにカフェにふさわしい音楽が流れていた。外で香ったコーヒーの匂いが店内中に広がっていた。多くの人たちが思い浮かべるようなカフェの内装をしており、平日の昼間ということもあり客は僕以外に2人ほどしか居ない。
そして店内は冷房がよく効いていた。店の中を見回していると店の奥から店主らしき30代くらいの背が高い男性が出てきた。
「いらっしゃいませ。」
と僕を迎えた。店主に席まで案内をされ僕はカウンター席に座った。カウンター席の前には小説などの本がたくさん並んでいた。並んでいる本を眺めていると店主がお冷と小さなメニュー表を僕の前に置いた。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください。」
「ありがとうございます」
僕がそう言うと店主は微笑みながらカウンターの奥に戻って行った。
渡されたメニューをに目を通す。上部にはコーヒーやカフェオレ、ジュースなどの飲み物が記載されており、下部にはオムライスやパスタなどの食事メニューが記載されていた。
後編は明日投稿します。