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母の指に希望が一つ

鈴虫が気持ちよさそうに羽をこすって歌をうたう。
そこにベランダの室外機の音が重なって、ほんの少し前に灯したキャンドルの火がゆらゆらと揺れて、そして消えた。
それでもちっとも寂しくない、今日はそんな幸せな夜。

私は今日、母に会いに実家へと足を運んだ。
私の母は、とても優しくて表現が豊かで、人一倍人の気持ちに気づき、人を思いやってそっと心を配ってくれる素晴らしい力を持っている人だ。
幼少期から、いつも笑顔で明るくて、7人家族の太陽。

父の両親の介護を誠心誠意心を込めてやり遂げ、単身赴任で仕事に励んでくれた父の代わりに、その間の一切のことを請け負ってくれた。

きっと辛いことや、誰かに弱音を吐きたくなることもあっただろうけど、
子どもたちである私たちの記憶には、辛そうな母の姿はなく、おちゃめで
よくにこにこしている母の笑顔が強く残っている。

そんな母は今、病気と闘っている。

闘うことに決めて、一歩踏み出して、山頂目指して歩き始めた。
近くで見てきた私は、その決断がどれだけ大きなものか理解ができたし、
命にかかわる手術をすることで、その後の暮らしに対しての不安があることも知っていた。
人一倍、いろいろなことに目を配ることのできる母は、そのメリットやデメリットを、きっと頭の中で何度も想像して、一日に何度も考えていたんだろうと思う。

つい先日、検査入院から退院した母。
大好きな母に、私は心からの「がんばったね」を伝えるために
今日実家へと向かったのだ。

花や草木を愛する母に、緑いっぱいのブーケを抱えて会いに行った。

出迎えてくれた母の笑顔を見たら、自分の母なのに、なぜか母性のようなものがこみあげて、私は思わず「がんばったね」と言いながら、母の肩に両腕を回して、そっと抱きしめていた。
母のその時の表情は見えなかったけど、きっとちょっぴり目を細めて
優しい言葉をたくさんつむんできたその口は、少し照れたように小さく弾んでいたはず。

ネイルをした私の指を、会うたびに褒めてくれた母。
今までネイルの道具も持っていなくて、サロンで施術をしてもらっていた私。ネイルは完璧で丈夫でテンションがあがらなくてはやる意味なんてないとさえ、思っていた。

今日は私が母の指にネイルをした。
完璧でないとかわいくない、と思っていた私だけど、母の嬉しそうに指を眺める姿を見ていたら、へたっぴでもへたっぴなりにできることがある、
自分の行動で大切な人が笑顔になってくれることが、こんなに幸せなことなんだと、実感する時間だった。


夜、パートナーの作ってくれたおいしい夜ご飯を食べている時、
「指を見てウキウキの私です」という文と共に、プレゼントしたブーケと
元気に開かれた手の写真が送られてきた。


母は来月、人生で一番大きな手術を受けることになる。

その時まで、母の指にたくさんの希望の光が灯り、母のその勇気をどうか
支え励ましてくれますように、と願った。


母の指に希望が一つ…


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