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自分への定義づけ 

例えば何かの物事がうまくいかなかったとき、
何かに対してやる気が起きないとき等

その原因は、まだ自分自身が不完全だからだと思ったことはないでしょうか。

私の場合、過去に外見を非難されたことで、
見た目が不完全であるが故にできない、
逆を言えば、見た目が変われば今うまくいっていないことや、他に原因があってできていないことまでできてしまうと思っていた時期がありました。

俯瞰して捉えると全く辻褄があっていないのですが、あまりにも自分のなかで大きくなってしまったマイナスイメージは、あたかもそれが関係しているかのような現実を見せてきます。

私はもう10年以上、「自分は汚い」という思いを抱え続けていますが、それには波があり、強くも弱くもなります。
実際、その強弱に従って、私が見る現実は変化します。また逆もあり、例えば普通に会話をしてくれる人が近くにいたり、笑顔を見せてくれる人がいると外から内側に影響し、私の感覚を少しの間和らげてくれます。

要は、不確定なのです。
私や、何かそういった類のマイナスなイメージを長い間持ち続けている誰かは、それが変わることのない事実のような見方、感じ方をしますが、そんなことは一切ないのです。

過去に誰かにそういう扱いをされた、もしくは具体的な言葉をかけられたのがはじまりではあるかもしれませんが、それを自分が信じた瞬間に、今度は貴方が不快な感覚によって現実を作り出し、取り込み続けるのです。

私もまだ闘いの途中です。
ただ、対抗する必要はないのです。

これは実体験ですが、苦しい思いを打ち消そうとする、無理に振る舞うと根が深いほど反動がきます。

ゆっくりゆったり物事を見るくらいが、丁度良い気がします。

自分の望みを、今の生活感でできる限り叶えましょう。辛い思いを抱え続ける自分を、蔑ろにせず、拾えるだけ希望を拾っていきましょう。

私も少しずつ進みます。
後ろを見ても、後ろに下がって動けなくなっても、諦めて自暴自棄に、後ろに走り出すようなことがなければ。

前を見る力があれば、それだけで
今はそれだけで良い、
と思います。


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