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誰の言葉で生きてるの

小学生くらいの頃、ある大人に、連日私の能力を否定するような言葉をかけられていた。
その時に、誰も私を庇う人はいなかった。
それが、私が悪かったわけではなかったと知ったのは大人の年齢になってからで、人の冷たさを知った気がして、何とも言えない感情になったのを覚えている。

子どもの頃から自分軸があったら、もっと楽に生きられたかもしれない。

また別の場面で、何でいるのかと言われたこともある。「何で存在しているの」なのか、「何でこの輪の中にいるの」なのか、真意は今でもわからないが、当時はその言葉をかわすということができなかった。

私の中のデフォルトは、気付けば
「嫌われないように生きる」になっていた。

自分が汚いように思えて、ある時から外見を整えることに必死になった。
そしたら偶然、私のことを好きだと言ってくれる人が現れた。そこから完全に沼にはまった。

病的に外見にこだわり始めた私は、それ以外の重要なものをこぼれ落としながら生きていることに気づかないまま、年齢を重ねていった。 

元々肌が強いわけでもなく、使う化粧品をかなり選ばなければならなかった。
それでも肌は荒れた。
いつしか素顔を受け入れられなくなり、
元々好きではなかったパーツも、更に嫌悪感が増した。

元々の代謝不良もあってか、
クレンジングが痛くて使えなくなった時期があった。何かと疲れ諦めて、化粧をしないでアルバイトに行った。
素顔は、人を嫌な気持ちにさせるだろうかと不安だった。
その日、不安が現実化するかの如く「何故化粧をしないのか」と聞かれた。
その場をやり過ごすために事情を説明したが、ただ虚しいだけだった。

本当に大事なことが、ここにはないことを
心の奥底では既にわかっていた。
けれど、外見的に「ある意味」浮かないことで、
傷つかなくて済むこともある。
周りには、各々の事情など関係ないのだ、と思った。

今も言いようのない感情がどわっと噴出することがある。消化できない感情は、放っておけば無くなるものでもない。時間が解決してくれるのはほんの一部だ。

まだ他人との間にうまく境界線を引けない自分がいる。他人が自分に時間を使うことに申し訳なさがある。

薬を貰いにいくだけ、過去に私に起こったことは私がどうにかすると言いたいのに、ボロボロ日常が崩れて行く。

きっと、自分自身が、自分であることを許していない。他者からかけられた当時の言葉を、今自分に吹きかけているのは自分自身だ。

毎日が、過去との戦いであり、自分自身との戦いである。

そして今日もこれからも、
実験的な日々が続いていく。


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