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余命宣告された父と私の選択

10年前、私の父は余命宣告を受けました。
残された時間はわずか半年。

医師からは
「本人に余命を告げるかどうか」
「どの治療方法を選ぶか」

二つの選択を迫られました。

抗がん剤治療で、わずかに命を延ばすことは可能でしたが
激しい副作用に苦しむ日々を送ることになるかもしれません。

それとも治療せずに残りの時間を穏やかに過ごし
好きなことをして最期を迎えさせるか。

人は死を宣告されたらどのようになるのだろう…

私は何度も自問自答を繰り返しました。


父と母は数年前に離婚。
娘の私だけが身寄りでした。

だから私が父の残された人生を決めなければいけない状態。

父の性格を振り返ると口数が少なく沈黙で取り乱さない人。
心の中で何を考えているのか分かりません。
でも楽しむ時は思いっきり全力投球の人でした。

生きる希望を失わず少しでも穏やかに過ごせるように。

それが私の出した答えでした。

父には余命を告げず
「癌の初期段階だから治療して治そうね」
「あと10年は元気でいてもらわないと!」

と冗談混じりに伝え
治療は抗がん剤に見せかけた栄養剤の点滴に。




父は、カラオケが大好きで週末になると近所のスナックに足を運び
マイクを握って熱唱するのが日課でした。

病気が進行して入院生活を送ることになった父は
歌声を止めることはありませんでした。

小型のラジカセを病室に持ち込み
ヘッドホンを両耳につけると
たちまち表情が輝きだします。

看護師さんや同室の患者さんたちも父の歌声に誘われ
一緒に口ずさむ光景はまるで小さなコンサートのようでした。

夕暮れどき窓の外に沈む夕日を眺めながら
アカペラで「夕焼け小焼け」を歌う父の姿は
私の心に深く刻まれています。

父の歌声は少しかすれてはいましたが
そこには故郷へ想いが込められ
聴いている私たちをいつも感動させてくれました。



息を引き取る直前まで歌い続けた父。

父の古びたラジカセを見つめながら
私は複雑な思いに駆られました。

ラジカセは父の生きた証。

ほかにやりたいことはあったかな…
会いたい人はいなかったかな…
私が別の選択をしていたら父はもっと幸せだったのではないか

そんな感情が込み上げてくる。

もし、父が何かを諦めていたとしたら
私はそれに気づかずに過ごしていたことになる。

あのとき余命を告げていたら父は何を望んだのか。
次々と湧き出る疑問に答えを見つけることはできない。

治療を選択していれば父はもう少し長く生きていたかもしれない。
でも、その一方で激しい痛みと闘い苦しい日々を送っていた。

どちらを選んでも後悔が残るような気がした。

ただ一つだけ言えることは
父は最期まで希望を持ちながら生きたということ。

それは私にとって大きな慰めとなりました。

治療を選ばなかったことを後悔しているわけではありません。
でも父は何を望んでいたのか。
その答えは永遠に分からない。



人はいつか必ず死を迎える。
それは避けられない事実。

もし、父が元気なときに「いつか余命宣告されたら事実を言って欲しいか」
尋ねていたら何と言ったでしょうか。

大切な人の残された時間をどう過ごすか。
それは難しい選択。

みなさんならどうしますか…

大切な人の願いを尊重して
寄り添うことが最後の愛情表現かもしれません。

父との別れを通して
人は最後まで自分で生き方を選ぶほうがいい。
他人の人生を決めるのはとても残酷。

だからこそ大切な人が元気なうちに「どんな最期を迎えたいのか」
穏やかに話し合える関係を築いておくことが大切だと感じた体験でした。


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