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子育ては自分育てなのだと思うと、子育てがすこし楽になるかも、という話

子育てには
自分の育ち直し
自分の育て直しの一面が
少なからずある。

きっかけは
童話館ぶっくくらぶから配本された
絵本の読み聞かせをしていた
ある日のことだった。

娘が選び
娘が「これよんで」と膝に乗ってきて
読み始めた絵本。

わが子のために読んでいたはずなのに


わたし、こうしてほしかったんだ♪


という喜びの感情が
じわっと溢れる涙とともに
湧き上がってくる感覚を覚えた。

はじめは全て
わが子へのギフトのつもりだったのに。

そもそも
なぜ童話館の配本サービスを
利用し始めたのかというと。

一つには
大学へ進学し
親元から離れ
アルバイトをして自由に使えるお金も
得られるようになり

自らの足で書店へ赴き
(高校時代までは一人ふらりと書店や
図書館へ行けるような環境でなかった)

誰にもはばかることなく
自らのアンテナが向いた本を
好きなだけ買えるようになったころのこと。

親しくしていた友人と共に行った書店で
友人が「これ好きだった〜!」と話す
数々の絵本や児童書の存在を知った。

自分が子どもだった頃には
目にしたことも
聞いたこともなかった本ばかりで

その時に感じた

わたし、本好きなわりには
子ども時代に読み逃した本が
山ほどあるんだな

今からでも読めるけど
できれば子ども時代に
子ども時代の感性で読みたかったし

子ども時代に
そういう本に出会いたかったな

という気持ちが強く残っていて

わが子には
たくさんの本に
好きなだけアクセスできる環境を
整えてあげたい

そう思っていたから。

もう一つは
小学生だった頃のこと。

一度だけ童話館(まだ中町にあった頃)に
連れて行ってもらったことがあった。

いつも連れていってもらう
生活圏内の書店とは

お店の雰囲気も
店主の方の雰囲気も
平積みされている本も
まるで違っていて

こんな本屋さんがあったんだ!と
世界の広さを感じたようで
衝撃を受けた。

気にはなりつつ
もう1回あの本屋さんに連れていってと
親に言い出せないまま
その一度きりになっていた記憶。

それで
妊娠中に産院の待合室で
配本サービスがあることを知って

それが
あの童話館だったことを知って

わが子には
この書店の本に触れる機会を
ぜったいに提供してあげたい
そう思ったから。

そう。
始まりの時点では
わが子のために
のつもりだった。

だけど
冒頭で触れた

読み聞かせ中に
自分の奥深くから
喜びの感情が湧き出できたときに

あぁ
これは子ども時代の自分が喜んでいるんだな

わが子への読み聞かせという形を通して
子ども時代の自分が癒されているんだな


はっきりと感じた。

すると
いや、待って?と
それまでの自分のいろいろな言動にも
クエスチョンが生じ始めた。

「危ないから」と制限されることなく
自然の中で思いきり遊べる保育環境

大人を頼らず自分の足で
お店や図書館へアクセスできる住環境

一切の制約なく
自分で自由に
習いごとも、進学のことも、仕事のことも
決めていったらいいという家庭の雰囲気

どれもこれも
自分が子どもだった頃に

ああだったらいいな
こうだったらいいなと
願っていたことばかり。

だからこそ
わが子にはこういう環境を整えてあげたいのだと
思っていたけれど

実は
わが子のためじゃなくて

子ども時代に自分がやり残したことを
やり直すためだったり

子ども時代に負った自分の痛みや悲しみを
癒すためだったんだ

そう言えば
童話館の配本サービスも

娘たちが学童になった今は
届いたはいいけれど
読まないままの本が溜まっていく一方。

それでもやめようとしないのは

他でもない
子ども時代の自分自身が
まだやめたくないと思っているから

もちろん
そうやってやってきた色んなことが

結果的に
わが子のためになっていることも
幾らかはあるかもしれないけれど

そもそもの起点は
自分自身の望み。

ここをはっきりと認識できていると
子育ても
いくぶんか楽になるんじゃないかなと思う。

だって
真実の領域では
自分のためにやったことなんだって
分かっていると

わが子が思いのほか喜んでくれなくても
結果らしいものが何も現れなくても

「こんなにしてあげたのに!」
「あなたのためにやったのに!」
みたいな感情で

イライラしたり
悲しみを感じたり
振り回されたりってことは
なくなるでしょう?

ひとりで背負い込むってことじゃないし
必要以上に自分に責任を感じるってことでもないよ。

そうではなく
真実を見極めていって
その起点が自分ごとであれば
謙虚に受け入れる。

誰かのせいにしないって
実はすごく楽になれる生き方だと思う。

子育てでも
他のことでも
よかれと思って何かを提供したり
手を差し伸べたりってことが
あるけれど

望むことも
必要なことも
ひとりひとり違うから

「なんで私はこうしたのかな?」
「実は自分のためにやっていることなんじゃないかな?」と

いったん自分にベクトルを向けてみて
一段深く見てみることや

自分がして欲しかったこと
=相手が望んでいるものではない
という前提で見つめ直してみると

なにかしら気づくことがあったり
こんがらがっていた感情が解けたりして

心が軽くなったり
楽になれたりする
そう感じています。

子どもに振り回される〜!
って感じたときなど
一度試してもらえたらなって
思います。


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