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エンターテイメントで人が涙を流す理由について考える

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こんには、くにたけりんと申します
今回は、エンターテイメントで人が涙を流す理由について考えていきたいと思います。なんとなく「涙を流すものをつくるって、えぐいよなあ?」と思いまして、ビジネスシーンで涙を流すってあんまりないのに、エンタメは何がそんなに人の心を動かしているのだろう、と気になったので、まとまりもなさそうですが思ったことをつらつら書いていきまーす!


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さて本題です。
先に言っておきますが、エンターテイメントに関してズブズブのど素人だし、基本定番が大好きなやつなので今回の記事は特に期待しないでください笑
エンターテイメント・娯楽ってなんだろうとまず考えた時、それはあってもなくてもどっちでもイイものです。劇を1ヶ月みないと死ぬとか、音楽を日々聞かないとがんになるといったことはないので、生活必需品と違って一円もお金を払わなくても普通に生きていける、いわば浪費対象の一つでしょう。
にも関わらずと言っていいのでしょうか、そこには嬉し涙や感動の涙さえも流させる力がある。現実とはかけ離れた、ゆーたら必要のないものに、何かしらすごいパワーが秘められてる。なぜなんでしょうか?

エンターテイメントはあってもなくてもいい、いわば現実と距離があるからこそ、現実では絶対あり得ないことが作れるし表現できる。現実に近くないからこそ、人間の思い描く、宇宙より広大な妄想を具現化できる。しかし、それらの妄想は現実では不可能なゆえに、それを具現化してくれたことに感謝をし、改めて自分の頭の中の広さや人間の絶え間ない欲望を知る。その驚きや感動が涙を流す原因となるのではないでしょうか。

現実に起きうること、生きていく上で必要なものやサービスに感動することや驚くこと、涙を流すことはなかなかありません。多分、それらは当たり前だと認識しているからでしょう。よくよく考えてみると、あんなちっさい精子と卵子が合体して、意識を持った人間が誕生することはものすごい神秘的で当たり前のことではないと思うのですが、「慣れ」「当たり前」というものが、そこにある感動を気づけない要素となっていると思います。

その点、エンターテイメントで表現するもの、例えば演劇で人を殺すとか、ドラマで超貧乏から大富豪に成り上がるとか、そういったものが、「慣れ」「当たり前」からかけ離れているからこそ、自分の叶えられない欲望を満たしてくれたことに対する感動や、こんなものが世にあるのかといった驚きが生まれやすく、カタルシス(精神浄化)としての涙や笑顔が生まれる、こういった感じなのかなあと思いました。

思い返せばSNSで遠くの人と繋がれるようになったのはここ10年ほどで、それ以前はこんなことはあり得なかった。こんなずぶの素人のうんこ記事をあなたが読むこともあり得なかったわけです。でも、それができるようになったぞとわかったときは、「ああ、なんて素晴らしいものが誕生したんだ」と感動しました。しかし、今はいちいちブランジルの人とつばがったところで特になんお驚きもないし、そこから発展してストーリーが生まれその一途として感動することはあっても、繋がるということ自体に感動はないですよね。これもやっぱ「慣れ」「当たり前」の一つとして我々が捉えているからでしょう。

こう考えてみると、人生をいつまで経っても楽しんでいる人は、常に今目の前に起きていることを「当たり前」と思わない力が優れているからではないでしょうか。また、それを「当たり前」と思わないからこそ、そこに「不思議だ!知りたい!」といった好奇心が芽生え、小学生が給食を目の前にワクワクしているかのような目の輝きをしている。

人生に活力を与えるのはいつだって当たり前からかけ離れたものであり、知的好奇心であり、不要不急である。
エンターテイメントに力を少し考えてみると、こういった結論が生まれました。やっぱ、思考を外に吐き出すとノードとノードの結合が起こって思考が発展するので最高ですね。


ということで今回は「エンターテイメントで人が涙を流す理由について考える」といううんこ記事を書いてみました。ぜひ皆さんのご意見お聞かせください!ではまた


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くにたけ りん
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