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なぜ僕らは虫が嫌いなのか

こんにちは、撮影終わりの国武です。
今回は「なぜ僕らは虫が嫌いなのか」というテーマで、養老先生の「ヒトの壁」を参考にしながらお話できたらなあと思います、よろしくお願いしまーーす!

養老孟司「ヒトの壁」



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では本題です。
僕ら人間が他の動物や植物と違い、長い年月をかけて徐々に進化していき科学技術を発展させ、世界を思うがままに創り上げられたのはなぜでしょう。細かなことはわかりませんが、ただ一つあるのは「意識」です。

合目的的性を持つ人間は、「ああすれば、こうなる」を好み、ワンマイル先を読む力「予測」と身の回りのものをコントロールする力「統御」を二大機能に、現代人は意識至上主義的生き方をしています。

その典型例が「都市」です。
都市はまさに「ああすれば、こうなる」の世界であり、予測と統御の世界です。意識が形を纏った世界といってもいいでしょう。

人間の性としての「合目的的性」に敵わない、つまり「ああすれば、こうなる」がわからないものは、都市から排除されます。そこには、外部を召喚する「意味」のあるものしかなくなり、自動車は自動運転になり、政治はアルゴリズムになります。

「ああすれば、こうなる」がわからない、つまり予測も統御もできないものって、何があるでしょうか?そう、今回の主題である「」です。

意識至上主義で生きている、意識に支配された人間(特に現代人)は、予測と統御という意識の二大機能をもってしても敵わない相手や大将を嫌うきらいがあり、その典型が虫だとするならば、多くの人が虫が嫌いな理由に説明がつきそうです。

子供もそう。
僕は赤ちゃんとか小さい子が大好きですが、苦手な方もいます。僕の親友もその類です。
この理由の一つは「意識」が絡んでいると思っていて、つまり何をしだすかわからないし、自分の思うがままにできないから、嫌いなのではないでしょうか。ひとつの理由としては十分可能性としてあります。

あとは、、虫とちかいところでいくと「自然」。
都市に自然はありますか。人工的に作られた、虫が寄ってこない、コントロール可能な自然しかないはずです。特に古代都市中国・北京なんかを見てみるとまさに。
しかし、意識が通用する、予測ができる、統御できる、意味のある自然は、決して自然とは呼べないでしょう。むしろ、意識が通用しないもの全てを自然というのではないでしょうか。

僕らは変な生き方をしています。
身の回りを見渡してみても、意味のあるものしかありません。
でも長い人類史の中で、意味のあるものが周りにあったのはむしろまれで、そのほとんどが意味のないものでした。

だから、現代人はストレスを感じる。自然を見たくなる。田舎に住みたくなる。居心地がどうやら悪いようだ。

しかし、人間の特徴は「適応能力の素晴らしさ」です。
身の回りが意味のあるものしかなくなる人生にも、人間は難なく適応するでしょう。そうやって、自然は人間にうんざりして世界から身を引くのかもしれません、いや、復習してくるのかも。


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