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連載小説 2020年代という過去<8章 戦い> #8−3 華のない人生

目次

前話 8章 戦い #8-2 誤解

 麗華は純の様子を見て、もう静止することを諦めていた。力無く座ったまま二人の会話を傍観してしまっていた。
 純の夏美に対する攻撃は続く。
「おそらく尊さんが家に帰らない理由は、麗華でも私でもありません。夏美さんだと思いますよ」
「え…私? 私ですか?」
「尊さんが言ってました。夏美さんは周りに自慢するために尊さんと結婚しているんじゃないかって。その証拠にSNSに嘘の夫婦のエピソードをアップしてるんだって。そこで友達の反応を見ることで自分を保ってるんじゃないかって。そう思うと夏美さんの優しさを素直に受け取れなくなってきたって。夏美さん、あなたが尊さんの機嫌を取ろうとすればするほど、尊さんが遠ざかっていったんじゃないですか?」
「そんな…」
 夏美がまた唇を噛み締めた。
「さっきから見てると、そうやって言葉を飲み込む癖があるみたいですけど、言いたいことはもっと言えばいいんじゃないですか? 反論あるんでしょ? 抱えてきた気持ちとかあるんでしょ? そもそも、夫婦でちゃんと話し合っていれば、今日ここに来ることにもならなかったんじゃないでしょうか?」
「…そんな、簡単に言わないでください」
 夏美は怯えるように純から視線を逸らして下を向いた。見兼ねて麗華がフォローに入る。
「純、もうちょっとゆっくり話そうよ。夏美さんも今いろんなことを聞かされて混乱してるだろうし。夏美さんも、整理できてなくていいから、思っていることがあればゆっくり話してみる?」
 そう言いながら、自分から尊を奪った夏美にも優しく接してしまうことに虚しさを感じた。こんな風にお人好しだから、尊を奪われたんだろうと思った。

「お二人には私の気持ちなんてわからないと思います。私はお二人のように堂々と自分の道を進むための才能も魅力も無いんです。私はずっと自分に自信を持てないまま、今まで生きてきたんです」
 夏美は下を向いて顔を隠し、か細い声で自分の生い立ちについて話し始めた。その声は少し震えていた。
「私の母は、私から見ても可愛らしい顔で、目がパッチリとした童顔で、今も年齢よりずっと若く見られる人なんです。そんな母に父が一目惚れをして結婚したそうです。父は母と違って、地味で老けた顔をしています。だから、新婚の頃は父親と娘に間違われることも珍しくなかったそうです。そんな母を父は溺愛していて、今でもお姫様扱いしています」
「自慢のお母さんなのね」
 麗華の言葉に、夏美の体がピクリと動いたが、顔は下を向いたままだ。
「姉がいるんです。私の一つ上なんですが、母にそっくりの美人なんです。我が家の二人目のお姫様です。二人とも容姿も性格も華やかで…でも、私は三人目にはなれませんでした。私の顔は母ではなく父にそっくりなんで」
 麗華と純は顔を見合わせたが、二人とも何を言っていいかわからず、気まずい空気が流れた。夏美は淡々と話し続ける。
「両親は私のこともちゃんと可愛がってくれたのですが、久しぶりに会う親戚は、姉と私に対して態度が違うんです。そういうの、案外小さい子供でも気付くんですよね。小学校の頃は授業参観に人目を引いてしまう母が来るのが嫌でした。小中高と、入学した直後に姉の同級生が私の顔を見にきてがっかりしていくのが嫌でした。母とは違う、姉とは違うと、そう思うたびに、見えないナイフに刺されるような気持ちでした。それでも姉を追いかけ続けました。いつも姉の真似をしていました。私も姉が大好きでしたし、姉の光の中にいれば、私もいつか同じ光を浴びれるんじゃないかと思ってたんですよね。…でも姉を追いかけて同じ短大に入った時、両親に言われたんです。『今時、短大卒だと就職も厳しいから、夏美はいっぱい資格を取りなさい』って。姉にはそんなこと言わないのに。両親にとっては私のためを想って言ってくれた言葉だと思います。だからこそ思い知らされました。私は一生、姉と同じ光を浴びることはできないって、生まれた頃から決まっていたんです」
 麗華が思わず口を挟んだ。
「そんなに思い詰めることは無いんじゃないかな。お姉さんは美人なのかもしれないけど、夏美さんには夏美さんの魅力が…」
 夏美が急に顔を上げて麗華の言葉を遮った。その目付きには怒りが混ざっていた。
「京本さんって、可愛い、美人、って言われて育ってきたタイプじゃないですか? 学校で男子から告白されてきた人じゃないですか? そんな人に慰められても虚しいだけです。あなたに私の気持ちがわかるはずがないんです」
「……」
「両親の予想通り、姉は資格なんて無くても就職が決まりました。規模は小さいですが、波に乗っているマーケティングの会社です。今は社長秘書になって、社交パーティに同席したりして、私が絶対に似合わないようなドレスを何着も着こなしてます。姉だけじゃないんです。ずっと姉と同じ環境を選んできたから、私の周りの友達も姉のように華やかなんです。キラキラしてるんです。私はいつもその輪に入って無理して笑ってきました。…結局、私は保険会社の事務職に就職できましたが、両親に言われた通り資格をいくつも取っていたからだと思います。…それでも新人の頃は楽しかったんです。年配の男性が多い職場で、“なつみん“なんて呼ばれてちょっとちやほやしてもらえたっていうか。可愛い可愛いって言われる環境は生まれて初めてでした。やっと自分の価値をわかってもらえる場所を見つけた気がして、嬉しかったんです。女性の先輩たちに冷ややかな目で見られていたのは気づいていましたが、嫉妬されている感じがまた気持ちよくて。…でもそれも短い春でした。私が入社3年目になっときに、新人の女の子が入ってきたんです。そしたらあっさり、アイドルの座は新人ちゃんに奪われました。おじさんたちが新人ちゃんに群がって、可愛い可愛いって。新人ちゃんはニコニコしておじさんが喜ぶように対応をしていました。お菓子を食べたら美味しいって、子供やペットの写真を見せられたら可愛いって、高い声で言ってニコッて笑うんです。作った声と笑顔だとすぐにわかりました。それはちょっと前まで自分の役割だったんで、ああ、私もあんな風におじさんたちにサービスしていたなって。…で、気付いたんです。私、あの時の先輩たちと同じ目で、その新人ちゃんを見てるんだって。そうやって世代交代していくものだったんだって。私の役目は終わったんです。今更キャリアウーマンを目指せるスキルも無いし、もう私の居場所は無いんですよ」
 夏美はゆっくりと麗華と純の顔を見て、また下を向いた。
「こんな私、どう思います? お二人とは違うでしょう?」
 夏美の肩が震え始めた。目から涙がこぼれ落ちている。麗華がハンカチを差し出したが、そのハンカチは受け取らず、麗華の腕を強く握り返し、絞り出すような声で話を続ける。その目には気迫がこもっていた。
「やっと、やっと抜け出せたんです。尊さんみたいな人と結婚できたんです。やっと救われた気がしたんです。姉よりも、友達よりも、先輩たちよりも先に結婚できたんです。羨ましいって言われたんです。失うわけにはいかないんです。どうしたら失わずにすむんでしょう」
 麗華はかける言葉を見つけられず、代わりに夏美の背中に手をあて、ゆっくりとさすった。夏美に対して抱いていた黒い感情が、行き先を見失っていく不安感を覚えた。
 一方、純は、苛立ちを感じていた。周りの目ばかりを気にして生きている夏美の感覚がわからないのだ。その夏美に寄り添うように麗華が夏美の背中に手をあてたことも理解ができなかった。
「申し訳ないですけど、私にはわからないですね。そんなに周囲の目を気にする必要はないんじゃないでしょうか。周りの価値観に合わせて無理をしていて、自分を追い詰めているだけで、これから良くなるようには思えません。夏美さんの価値は、夏美さん自身が決めるべきです。尊さんと一緒に生きていきたいって思ったから結婚したんじゃないんですか? 周りを見返すために結婚生活を維持していきたいんですか? それって、尊さんに対しても、麗華に対しても失礼だと思いませんか?」
 夏美は、恐ろしいものにでも出会ってしまったように、怯えた目で純の顔を見た。
「すみません。自分でも何が正しいのかわかりません。いえ、坂下さんが仰っていることがきっと正しいんだと思います。でも私の価値なんて、無いんですよ。いつも手に入れられないものばかりを追いかけて、これといった取り柄のないまま大人になってしまいました。私は坂下さんのように堂々と自分の考えを話すこともできません。でも…そうですね。坂下さんがそういう人だから、尊さんも好きになったんでしょうね」
「……」
 純は言い返すことをやめてしまった。言いたいことは山ほどあったが、何を言っても夏美はネガティブに捉えてしまい、話にならないと考えたからだ。

次話 8章 戦い #8-4 麗しい人生


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