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連載小説 2020年代という過去<9章 変化> #9-3 セクハラのボーダーライン

目次

前話 9章 変化 #9-2 男にどうしてほしいのか

「あ、京本さん、お疲れ様です」
 麗華がオンライン会議に参加すると、戸山美香が挨拶をした。戸山は新卒で入社してまだ半年しか経っていない新人だ。彼女にとってはこれが初めてのフィードバック面談である。緊張した声にまだ学生のあどけなさが残っている。麗華はその初々しさを愛らしく思った。
「お疲れ様。なんか緊張してる?」
「あ、はい。課長にこんなマンツーマンの時間をもらえるなんて、正直緊張します」
「そっか。こうやって二人でゆっくり話すのは配属の日以来かもね。リモートワークじゃなかったら、仕事の合間にもっと相談とか雑談とかしてるから、例年の新入社員より距離ができてしまったのかも。戸山さんの世代は最初からリモートワークだったし、出社許可が出てからも複数人のランチや飲み会が禁止だもんねぇ。周りの先輩とはちゃんと会話できてるかな?」
「はい、皆さんとても親切に教えてくださいます。それなのに、まだ会議で話している内容も理解できないことが多くて、お役に立てておらず申し訳ないです」
「いや、それは気にしなくていいよ。うちは業界用語も多いからね。みんな新人の頃は同じだから、焦らないでね」
「はい。ありがとうございます。でも頑張ります!」
「ふふ。あー、でもやっぱりね、もっと現場で会話できる環境なら、そういう不安とかも薄れるんだろうなぁ。飲み会みたいな、先輩たちが『自分の新人の頃はこうだったよ』とか話す機会がなかなか無いよね。私たちもリモートワークに慣れていなくて、フォローが足りなかったかもね。申し訳ないな」
「いえいえ。そんな。今でも十分皆さんによくしていただいています。…でもあの、飲み会ってそんなにいいものなんですか?」
「え? そりゃあ、やっぱり仲良くなれるからね」
「…そうなんですね。」
 戸山の声が暗くなった。
「ん? 何かあった?」
「…実は、あの、リモートワークで皆さんとの会話が少ないことは残念なんですけど、飲み会が無いのは正直ちょっとホッとしてるんです。すみません」
「え? 謝ることないよ。気を遣わなくていいから、心配なことがあるなら話してもらえる? お酒が苦手とか?」
「ありがとうございます。お酒は人並みに飲めるんですが…あの、私、大学の頃はテニスサークルに入っていて、飲み会は結構多かったんです。私は女子大なんですけど、周辺の大学がいくつか集まったインカレサークルだったんで男性もたくさんいるんですね。そこで気付いたのは、なんていうか、男性がいる飲み会がちょっと…」
「…何か嫌な思いをしたのね?」
「あ、いえ。そんなたいしたことではないんです。気にしすぎるのは私の自意識過剰っていうことはわかってるんで。私、中学も高校も女子校だったから、男性に慣れてないんでしょうね。過剰に怖がってるんだと思います」
「何があったか教えてもらえる? 戸山さんが嫌だったっていう事実が大事なんだから、自意識過剰とは思わないよ」
「…ありがとうございます。いや、ほんと何かの被害にあったっていうほどではないですし、テニス中は皆さんびっくりするくらい女性に優しくて紳士な人たちなんです。男性はみんな有名大学の学生なんで、そういうところはさすが育ちがいいなって感心してしまうくらいで。ただ飲み会って、やっぱりちょっと酔っ払っちゃうせいか、偏差値の低い私たちと共通の話題が無いせいか、毎回好きなタイプとか今までの恋愛とか聞かれるんですよね。それで遊んでる女の子が一人でもいると盛り上がるし、男遊びをしているような答えを期待されていて、だんだんストレスに感じてしまって。あと私、ちょっと人よりも胸が大きいんですけど、胸のサイズとかもよく聞かれてたんです。テニスでサーブを打つ時って、ちょっと体をこう、空に向かって胸を反らすじゃないですか。『サーブの時に胸が強調されてるけど、わざとなんでしょ』とか言われたり、そうするとテニスコートに出るのも怖くなったりして」
「はあ…まあ男子大学生って感じだね。特にインカレのテニサーなんてそういう人多いし、そこにいる有名大学の男子学生ってモテるから調子乗ってるよねぇ」
「やっぱり、それが普通ですよね? そういうの、女子校育ちで免疫が無いっていう自覚があって、慣れるためにサークルは続けようとしたんですけど…二年生になるともう下っ端じゃなくなるじゃないですか。そうすると、下ネタを振られて困っていたら、いつまでも純情ぶるなよっていう反応をされることがあって、そうすると流石に居づらくなったのでサークルをやめました。そこから男性がいる飲み会って行ってないんです。あ、全然男性と話せない訳ではないんです。男性と付き合ったこともありますし。ただ、大勢の男性がいる飲み会が怖くて」
「なるほど…なるほどなぁ」
「すみません。こんなノリの悪いやつ、面倒なだけだってわかっているんですけど、会社の飲み会ってサークルより失敗できないと思うので、自信が無くて」
「……」
 麗華は一瞬沈黙をして、どのような言葉をかけるべきか考えた。麗華自身は、学生時代からずっと男性が多い環境で過ごしてきているため、戸山の苦悩がどれほどのものなのか、理解できている自信がなかった。むしろ、戸山のように女子校育ちの女性が入社していることが新鮮だった。
 麗華の同期には、男社会でも生きていける自信がある女性しかいない。麗華が入社した頃は、システムを扱う業界はまだまだ男性社会というイメージが強かったが、徐々に女性社員が増えたことで、戸山のようなタイプも入社するようになったのだろう。そんな風に時代の流れを感じ、これからは戸山のような女性でも生きやすい職場にしなければならないのかと気付いた。
 麗華も過去に飲み会でセクハラを受けて不快な思いを経験したことは数えきれない。果たして戸山は同じようなセクハラを受けても耐えられるだろうか。いや、そもそも耐えなくてはならいのだろうか。
「あのさ、戸山さん。まずあなたに理解して欲しいのは、仮に戸山さんのノリが悪かったとしてもね、それは悪いことじゃないんだよ。サークルの飲み会で戸山さんが辛いと思ったことも恥ずかしいことじゃない。それはわかるかな?」
「…はい。ありがとうございます」
 そう返事した戸山の声がかすれていた。麗華の想像よりも、戸山にとっては深い悩みだったのだろう。
「もう一つ、伝えておかなければならないのは、正直言って、テニスサークルほどではなくても、今後会社の飲み会でそういうセクハラめいたことを言われることはあると思う」
「…はい。そうですよね。そういう時、どうすればいいんでしょうか。京本さんはどうされてきたんですか?」
 これは麗華にとって心苦しい質問だった。
「私の場合は、相手が少し喜ぶような返しをしてたかな。」
「少し喜ぶ…ですか?」
「例えば胸のサイズを聞かれたら、にっこり笑って『皆さんの想像より大きいですよ』って言ったり、太ももを触られたら、その手を握り返してあげたうえで太ももから剥がすの。そうすると、相手は拒絶されたんじゃなくて、焦らされたくらいに思って喜ぶんだよね」
「なるほど。はぁ、勉強になります。確かにそうすれば雰囲気を悪くせずに逃げれますね。…そういう風に笑って流せてこそ、大人の女性なんだなって思いました。私も京本さんみたいな対応をできるようになりたいです」
「……」
 麗華は悲しくなった。純粋な新入社員に教えたいことは、こんなことではないはずだ。
「うん、でもね、前向きなのはいいんだけど、私みたいになるべきではないと思うの」
「え? どうしてですか?」
「私も若い頃はそうやって適当に笑って流すことが正解だと思ってたんだけど…やっぱり、嫌なものは嫌だし、嫌だと思っていることを教えてあげるべきだったなって。私たちは仕事をするチームとして集まっているんだから、親睦を深めることは大事だけど、年上の男性を性的に喜ばせることは業務外だよね。会社の女性がそういう態度を取り続けると、男性たちも会社の飲み会とキャバクラを混同してきちゃうし」
「それでは、もしもセクハラだと思った時、どうすればいいでしょうか?」
「そこだよね。新人の戸山さんが、『それセクハラですよ』なんてはっきり言えないでしょ。実際、私も当時は言える立場じゃなかったから、そういう対応するしかなかったわけだし。何なら今でも、クライアントには言えないんだよね。特に今の時代、お尻を触るようなわかりやすいセクハラなんてなくて、例えば女性社員を偉い人の隣に座らせようとする、みたいなセクハラかどうか曖昧なものが多いから、訴えるほどのことは起きないし」
「難しいです。どんな対応をしても間違いのような気がします」
「そう。どんな対応をしても間違い。でもね、一番の間違いはセクハラが起きることなんだよね。戸山さんが一人で対応する必要は無いの。組織として、まずは小さいチームから、セクハラが起きないように変えていくんだよ」
「そんなことできるんですか?」
「まず、幸いなことに、このチームはリーダーが私だからね。このチームの飲み会では、まあセクハラはないよ。やっぱり女性が上にいると、なんかそうなるよね。怪しい発言があったら、すぐに周りの人が『今のセクハラだからダメですよ』みたいに早めに注意する文化もある。本人じゃなくて、周りの人が指摘するのが一番いいんだよね。冗談っぽく伝えれば空気も悪くならないし、注意された人もちゃんと自粛するもんだよ」
「はぁ…よかったです」
「それでも私たちが気付けないところや他のチームとの飲み会で、戸山さんは不快な思いをするかもしれない。そういう時は自分で何とかしようとせずに私に言ってね。私ももう若手の頃と違って発言権もあるし、何が嫌なのかを組織に教えてあげるスピーカーだと思っていいよ。女性が我慢していたら何も変えられないんだから、ちゃんと伝えて組織を変えていきたいの。一緒に頑張ってくれるかな?」
「…はい、もちろんです。ありがとうございます」
「不安は薄れたかな?」
「はい。やっぱり、京本さんみたいな女性の管理職がいてくれて良かったです。男性しかいない職場だったら、相談すらできなかったと思います」

 ホッとする戸山の顔を画面越しで見て、健気な彼女の会社員人生に、セクハラに苦悩するような、本来なら不要な時間が降りかからないことを願った。
 そして、先日の尊との会話を思い出した。これからの時代を切り拓く一歩とは、こういうことかもしれないと思った。

次話 9章 変化 #9-4 わきまえない女

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