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連載小説 2020年代という過去<7章 告白> #7−1 尊から

目次

前話 6章 疑惑 #6-6 勝負服

 8月になってやっと梅雨が明け、待ち構えていたような夏の暑さで、純はアラームより早く目が覚めた。気だるいため息と同時にうっすらと目を開けると、麗華が近くに立っているのが見えた。純が横になっているソファの側にある観葉植物の葉を一枚、人差し指でゆっくりと撫でている。カーテンを閉じているため、シルエットしか見えない。
「おはよう」
 純の声に、麗華のシルエットがビクッと動いた。
「ああ、起きたんだ。おはよう」
 そう言って、麗華がカーテンを開けた。純はゆっくり起き上がって、グラス二杯に水を注ぎ、そのうち一杯を麗華に渡した。それを受け取りながら麗華が聞いた。
「ねえ、ソファはやっぱり寝心地が悪いんじゃない?」
「え? いや、全然。このソファ大きいし、硬すぎず柔らかすぎない感じがちょうどいいよ」
「遠慮しなくていいよ。ベッド買っちゃおうよ。ソファベッドでもいいけど、もうちょっと広いやつ」
「いや、ほんとに大丈夫。このソファで十分すぎるくらいだよ」
「買っちゃおうよ。そうすると部屋がちょっと狭くなるから、この観葉植物は処分するかな」
「え? ちょっと待って。私その子、気に入ってるから捨てないで欲しい。植物も生き物なんだから、そんな簡単に捨てない方がいいんじゃないかな。ほんとにこのソファで十分だから、ベッドはいらないよ」
「そう? そうかぁ。純、よくこの子のお世話してるもんね…」
 麗華はぼんやりと一点を見つめながら水を飲んだ。二人とも、その話はそれ以上続けなかった。

**********

 朝食の後、寝室でオンライン会議を始めた麗華を見届けて、純はジョギングするために家を出た。走り慣れたジョギングコースを息を切らして走る。
 走りながら、今朝の麗華との会話で感じた違和感を思い出していた。純が麗華の家で暮らすようになって半年以上経った今、どうして急にベッドを買おうと言い始めたのだろう。麗華が観葉植物を捨てると言ったことも意外だった。生き物である植物を簡単に捨てようとするのは、麗華らしくないと思った。リビングで邪魔になるのであれば寝室に移動させればいいじゃないか。寝室にそれくらいのスペースはあるはずだ。純が目覚めた時、じっと観葉植物を見つめていた麗華のシルエットも不思議と印象に残っていた。あれは何か考え込んでいる姿ではなかっただろうか。

 ふと、あることに気付いて、純が立ち止まった。そういえば、ここ2週間ほど、尊から連絡が来ていない。2〜3日に一度はメッセージが届き、週に一回程度会っていた尊から、音沙汰が無くなっている。麗華と尊の間でまた何かあったのかもしれない。そうではなくても、麗華が最近仕事で悩んでいることがないか、尊なら知っているかもしれない。
 そう考え、ジョギングで乱れていた呼吸を整えながら、ポケットから携帯を取り出した。尊にメッセージを送る。
“最近連絡無いけど元気?”
 数秒でメッセージが既読になり、すぐに返信が届いた。
“最近、仕事が忙しくて連絡できてなかったね。純ちゃんは元気?”
 今は麗華のチーム全体が忙しくないことを知っていた純は、少し不思議に思いながらメッセージを送る。
“元気だよ。ところで、最近麗華と話してる? ちょっと様子が違うというか、気になることがあるの”
 また、数秒で既読となった。しかし今度はなかなか尊の返信が来ない。10秒、20秒、1分、2分…純は携帯の画面を見たまま返信を待ち構えていたが、3分が経った時、待ちきれずに尊に電話をかけた。驚いた声で尊が電話に出た。
「うわ、純ちゃん。今、一応、勤務中なんだけど」
「あんなにすぐ既読がつく時点で、会議中ではないでしょ。メッセージのやり取りより、電話したほうが早いかと思って。奥さんも出社してるから、家に一人だろうし、話せるでしょ?」
「まあ、そうだけど。…なんか純ちゃんらしいね」
「最近、麗華と話した?」
「話したっていうか、同じ職場だからね」
「仕事以外では話してないの?」
「えっと、まあ…うーん」
「話したんだね?」
「話したけど、それが、麗華さんの様子が違うことと関係あるかはわかんないよ」
「どんなこと話したの?」
「…ごめん、言えないな。ごめんね」
「ふうん、じゃあいいよ。麗華に聞くから。じゃ、もう切るね」
 尊は慌てて、電話を切ろうとする純を引き止めた。
「いや、待って。いったん待って。麗華さんには聞かないで。わかったよ。わかった、話すから」
「もう、初めから、そう言ってよ」
「あの…この前、純ちゃんと俺が会ってたのを、偶然麗華さんが見てたらしいんだよ」
「え? 麗華が? そんなこと私には全然話してくれなかった」
「純ちゃんには言いづらかったんじゃないかな」
「なんで? 私じゃ話し相手にならないってこと?」
「いや、違うよ。麗華さんが純ちゃんを信頼してないとかそういう意味じゃないよ。何ていうか、そのさ、俺が悪いんだよ。ごめん」
「変な慰めは、やめてよ」
「慰めのつもりじゃなくて…あのさ、麗華さんに言われたんだよ。純ちゃんと会ってる時の俺の顔を見てさ、その、俺が、俺がね、あの…純ちゃんを好きだってすぐわかったって」
「はあ? 何それ? 麗華が? そんなことあるわけないのに」
「…好きだよ」
「え?」
「好きだよ。ごめんね。そんなつもりじゃなかったし、俺自身、誰を好きになってるんだよって思ったよ。だから、麗華さんは純ちゃんに言わなかったんだよ。俺のせいだよ」
「ちょっと、思考が追いつかない。おかしいよ」
 純の声が大きくなる。それは、恥じらいではなく怒りの感情だった。
「うん、ごめんね。もちろん、純ちゃんと恋人になりたいとかは考えてないよ。まだ会った回数も少ないし、好きになりかけてるだけだと思うんだ。なんだろな、純ちゃんって俺の周りにいないタイプだからさ、話してて発見が多いっていうか。いや、ごめん。そういうこと言ってる場合じゃないね。…だから、連絡したり、会おうとするのは、いけないって思って」
「やめてよ。おかしいよ。ひどいよ。私は麗華のために、麗華のことがもっと知りたくて、あなたと会って話してただけなのに」
「うん。ごめんね。…俺も最初は麗華さんとの繋がりを作るために純ちゃんに連絡してたんだよ。だから、なんていうか、俺も麗華さんに言われるまで自覚なかったよ」
「麗華に言われるまでって…麗華にそんなこと言わせないでよ」
「ごめん」
「あなたは、若い方がいいからって今の奥さんを選んで麗華と別れたんでしょ。好きだとか好きじゃないとかで、選んでない人じゃない。そんな人に、誰かを好きになる感覚なんてあるのかな?」
「いや、ちゃんと奥さんのことが好きだから結婚したんだよ。麗華さんも好きだったけど、結婚ってさ、やっぱり将来的に子供を産んで育てることも考えるから、奥さんの方がそういうイメージが湧いて、より好きになれたっていうか」
「子供を産んで育てられる人が好き? だったら残念でしたね。私は子供を産めないの! だから恋愛対象から外してよね!」
「え? それはどういう?」
「もうそういう体なの! 産めたとしても、あなたには関係のない話だけどね。産めるか産めないかで、あなたの恋愛感情が変わるんでしょ?」
「…わからないよ」
「それが理由で麗華と別れておいて、今更わからないっていうのはおかしいよ。とにかくもう連絡も取らないし、会わないっていうのはわかったから。奥さんとお幸せに!」
 純は興奮気味で電話を切った。もうジョギングを続ける気力は無くなっていた。尊と会ってしまったことを激しく後悔し、イライラして頭を掻きむしった。自分が麗華を苦しめる要因の一つになっていたことが許せなかった。

次話 7章 告白 #7 -2 純から

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