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連載小説 2020年代という過去<8章 戦い> #8−1 招かれざる客

目次

前話 7章 告白 #7-2 純から

 休日の午後、麗華と純は二人でテレビを見ていた。東京をコロナウィルス感染の第2波が襲い、政府の対応を批判するニュースばかりが流れている。不安を紛らわすように純が麗華に話しかける。
「今日の晩御飯何にする?」
「うーん、時間があるから凝ったもの作ってもいいよね。スパイス買って、インドカレーとか?」
「えー、ちょっと面白そう」
 共同生活ならではの穏やかな会話である。そんな平和な時間を切り裂くように、インターホンが鳴り響いた。
“ピンポーン”
「何だろう。宅急便とか届く予定も無いんだけど」
 麗華がキッチン横のインターホンのモニターに歩み寄った。そしてモニターを見た瞬間、ハッと息を吸い、その場で動かず立ち尽くしてしまった。
 それを見て不審に思った純も、後ろから覗き込む。モニターには節目がちの女性の姿があった。麗華がなぜ固まってしまっているのか理由はわからない。
「ねえ、出なくていいの?」
「……」
 麗華は何も言わずに固まったままだ。
「どうしたの? 私が出るね」
 黙ったままの麗華に疑問を感じながら、純は通話ボタンを押した。
「はい」
 純の声にモニターの中の女性がビクッと動き、慌てながら話し始めた。
「あ、あの、突然すみません。京本麗華さんのお宅でよろしいでしょうか?」
 まだ無言のままの麗華を見て、純が代わりに答える。
「はい」
 女性は麗華の声ではないことに気付いていないようである。
「私、江藤尊の妻の江藤夏美です。お話ししたいことがあります。結婚式の出席者リストからここの住所を調べて参りました。少しお時間をいただけないでしょうか?」
「え?」
 純は驚いて麗華の方に振り返った。麗華は黙ったままモニターを見つめている。麗華が硬直した理由がわかり、純は通話ボタンを押したことを後悔した。
「ごめん」
 インターホンが拾わない程度の小声で麗華に謝った。麗華は少し悲しげな顔で純の方を向き、同じように小声で答えた。
「ううん、いいの」
 モニター越しにソワソワと動いていた夏美が急かすように話しかけてくる。
「あの、すみません。今がご都合悪ければ何時間でも待ちますので、お話できませんか?」
 麗華は小さく深呼吸して応えた。
「わかりました。今からそちらに行きますので、5分ほどお待ちいただけますか?」
 麗華は心臓の鼓動が急激に速くなるのを感じた。夏美とは、尊と夏美の結婚式で軽く挨拶をした以外に、言葉を交わしたことはない。麗華と尊が付き合っていたことを知っているのか。なぜ今になって麗華と話そうとするのか。尊はこのことを知っているのか。どのように夏美に確認すれば良いか全く策が浮かばず、自分の中をドクドクと心臓が鳴り響くのを制御できずにいた。
 簡単なベースメイクだけをしてマスクを付け、バッグに財布と携帯を入れ、玄関で靴を履いた。その一連の動作を黙って見ていた純が、玄関の前に立ちはだかった。
「私も行くよ」
 麗華は驚きのあまり、少し怒ったような声で応えた。
「どうして? 呼ばれたのは私だけだし、知らない人が入ってくると夏美さんも驚いちゃうよ」
「実は、少し前に尊さんから奥さんの話を聞いたことがあるの。ちょっと精神的に追い詰められている気がする。こうやって急に麗華の家を訪ねてくるのも変じゃない? 何されるかわからないよ」
「いや、でも…」
「麗華も一人じゃ心細くない?」
「……」
「じゃ、行こうか」
 純は迷う素振りもなくドアから出て歩き始めた。麗華は戸惑いながらも純の後に続いた。

 麗華と純が一階に着いてエレベーターから降りた瞬間、エントランスの自動ドアの向こうで、じっとこちらを見て待ち構えている夏美と目が合った。おそらく、ずっとエレベーターを見つめながら麗華を待っていたのだろう。麗華はそんな夏美の視線に気味の悪さを感じ、純がついてきてくれて良かったと思った。
 自動ドアを出て近寄って見た夏美の姿は、マスク越しでもひどく疲れているように見えた。ノーメイクで髪もセットしておらず、少なくとも、幸せな新妻生活を謳歌しているようには見えなかった。
 夏美は純の姿を見つけると、麗華に挨拶もしないまま聞いた。
「そちらはどなたですか?」
 純はマスク越しでもわかる余裕の笑みを浮かべながらハキハキと答えた。
「初めまして。訳あって彼女の家に居候している坂下純と申します。心配なんでついてきちゃいました。私も一緒にお話しさせてください」
「あの…込み入った話になるので、すみませんが京本さんと二人でお話しさせていただきたいのですが」
 純は全く笑みを崩さないまま答えた。
「失礼ですが、突然訪問されたのは夏美さんですよね。こんな不躾な訪問、本来は会うのを断ってもいいはずなんです。でも麗華はこうやって応えているわけですから、私が同席する条件くらいつけてもいいんじゃないでしょうか?」
「……」
 夏美はマスクの下で黙って唇を噛み締めた。一方麗華は、好戦的な純の態度を見て、返って冷静になった。第三者である純が一気に主導権を握ってしまったことが可笑しくなり、夏美に気付かれないようにマスクの下で少し笑った。麗華が仲介するように二人の間に入った。
「まあ、純は私のことをよく知ってくれている人ですし、あと実は、江藤くんとも何度か会って話しているんです。純がいても夏美さんにとって何か悪いことにはならないと思うので、一緒でもいいですよね?」
 夏美は不満げな顔をしていたが、ゆっくりと頷いた。
「コロナのこともあるので、ちょっと暑いですけど外で話しましょうか」
 手際良く仕切る純の案内で、三人は近所にある川沿いの広場に向かった。

次話 8章 戦い #8 -2 誤解


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