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連載小説 2020年代という過去<7章 告白> #7-2 純から

目次

前話 7章 告白 #7-1 尊から

「お米、研ぎすぎじゃない?」
 後ろから麗華に声をかけられて、純の肩がビクッと動いた。振り返ると、リモートワークをしていた寝室から麗華が笑顔を覗かせて、キッチンに立つ純を見ている。
「え? え?」
「いや、たぶん10分以上、お米研いでる音がしてるなって」
「ああ、ほんとだね。もういいかな」
 純は夕食の準備をしながら、ぼんやりとしてしまっていたことに気付いた。思い掛けず動揺している純を見て、麗華が怪訝な顔で近付いてきた。
「大丈夫? なんか調子悪いんじゃない?」
「いやいや、ちょっと考え事をね」
 麗華は純の肩に後ろから手を乗せ、純の肩越しに研ぎ終わっている米を覗き込んだ。急なスキンシップに純の心臓が高鳴る。
「今日の夕食は何にするの?」
「あ、アジフライにしようかなって」
「いいね。じゃあ、今日は私が作るよ。もう仕事終わったから」
「え? いや、いいよ」
「いいよ、たまには料理しないと腕が鈍るし。ほら、テレビでも見てて」
 そう言って、麗華は純の背中を押して、リビングのソファに追いやった。手早く炊飯器をセットする麗華を横目で見ながら、純はテレビを点けた。この時初めて、麗華の優しさを辛いと感じた。

 夕食の間は、いつも通りテレビを見ながら二人でたわいもない話をした。この女優が最近痩せたとか、あのアイドルのダンスが可愛いとか、自分たちの生活には直接関係のない有名人の話で気を紛らわすような会話だった。
「珈琲いるよね?」
 食べ終わると同時に麗華が立ち上がる。マグカップを取り出す麗華の後ろ姿に、純が話しかけた。
「ね、どうして急に観葉植物捨てるって言い始めたの?」
「ん? ベッドを買うためだよ」
「ベッドを買って狭くなったとしても、普通は観葉植物の新しい置き場所を考えようとしない?」
「…ああ、まあ、そうかもね。それでもいいけど」
 歯切れの悪い返事の後は、珈琲を淹れ終わるまで沈黙が続いた。二つのマグカップを持って純の向いに座った麗華は、答えを待つ純の視線を見て観念したようだった。
「もしかして、さっきのお米研いでた時の考え事ってそれ?」
「うん、まあ」
 麗華は軽く笑いながらテレビを消した。
「あはは、そんな事かぁ。そんな不自然だったかな。いや、たいした事ではないのよ。ないんだけど…まあ、そう、あれだよ。あの観葉植物、ここに引っ越した時のお祝いで、尊から貰ったんだよね」
 純は察した。尊が純を好きになったこと知り、観葉植物の世話をする純を見るのが辛くなったのだと。
「ああ、そうか。だからもう捨てようとしたんだ」
「あ、ソファベッドの寝心地が悪いんじゃないか、ずっと気になってたのも本心だよ」
「うん、わかってる」
 麗華は部屋の隅の観葉植物を眺めながら、気怠く頬杖をついた。
「他のプレゼントは別れた時に捨てたんだけど、あれは生き物でしょ? なんか捨てれなくてね。あれ、モンステラっていう種類なんだけどね、花言葉が“うれしい便り”なんだって。だから尊が『麗華さんの新居に良い知らせが届くように』って言って持ってきたの。…まあ、その半年後の知らせが、夏美さんとの婚約だったんだけど」
「あの…」
「あ、でも、引きずってるとかじゃないのよ。今更になって、無理に捨てたいとかじゃないから」
「あのね、麗華。私、今日尊さんと電話したの」
 その言葉を聞いて、麗華が驚いたように真顔になって純の顔を見た。
「麗華が尊さんとどんな会話をしたかも聞いたの。尊さんと会ってたこと、黙っててごめんね。その…ごめんね」
「それは、何に対して謝ってるの?」
「えっと、その…」
「尊に好きだって言われたの?」
「…うん。あ、でも、もちろん何かあったわけではないよ。全然そんなつもりでは無かったの」
「そんなつもりは無かったのはわかってるよ。尊が勝手に好きになったんでしょ。でも…何かあったとしても私に謝る事じゃないよ。怒る権利は私には無いよ」
「怒ってなくても悲しいでしょ? 私だったら悲しい」
「もう、この話やめない?」
「麗華だけじゃない。私も悲しかった。麗華を傷付ける存在になんてなりたくなかった。私は麗華を本当に大事に想ってるって、それだけはわかってほしい」
 純の目が赤く充血し始めていた。
「うん。わかってる。それはわかってるよ。ありがとう。でもね、その…私に遠慮してほしいわけではないよ。まあ尊は既婚者だから勧めないけど」
「待って。わかってないじゃん。尊さんと何かあるか疑ってるの? そんなことは起きないよ。違うよ」
 純の声が熱を帯びた。思い詰めたように体に力が入っている姿に、麗華が驚く。
「いや、疑っているとかじゃないけど、可能性の話だよ」
「そんな可能性無い。私が好きなのは尊さんじゃない。麗華だよ」
 再び麗華は驚き、一瞬目を丸くした。しかしすぐに表情が和らぐ。
「ふふ、ありがとう。私も好きだよ」
 しかし純は笑わない。
「違う、そうじゃない。…ずっと言わないでおこうかとも思ったんだけど、恋愛対象として好きだよ」
「え?」
 しばらくの間、沈黙が流れた。
「驚いた?」
「え? ああ、えっと…うん、ちょっと何て言ったらいいかわからなくて、ごめん」
「この時代は女性が女性を好きになることは珍しいもんね。でも私にとっては自然なことだから」
「ごめん、そういう偏見があるわけじゃなくて、そうじゃなくて、純は可愛い妹みたいで…」
「うん、妹でいいの。本当は言わないつもりだったし、違う関係を望んでるわけじゃない。今のままでいたい。ただ、私が好きなのは尊さんではないし、本気で麗華を大事に想ってることは知ってほしいだけだから。だから今まで通りだよ。ね?」
 そう言い放って、純はテレビを点け、キッチンに移動して食器を洗い始めた。テレビから聞こえてくる笑い声が、部屋に響いた。

 麗華は呆然と座ったまま、テレビに顔を向けることもできなかった。偏見はないと言ったが、自分が女性と恋愛をすることは想像もつかない。それどころか、女性の恋愛対象になっている事実が理解できないままだった。そのことを純は悲しむだろう。今まで尊の相談に乗ってくれていた純は、どんな気持ちで麗華を見ていたのだろうか。純に対する申し訳なさが押し寄せた。同時に、尊と純が恋人になる可能性が無いことに対する安堵もよぎったことに、罪悪感が重なった。

 その夜だけ、二人はほとんど会話をしなかったが、翌朝にはいつも通り純が麗華に話しかけるようにしたため、何事も無かったように二人の共同生活が続いた。

次話 8章 戦い #8 -1 招かれざる客

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