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連載小説 2020年代という過去<10章 生きづらい時代> #10−2 遺伝子を残せなくても
「タイムスリップの理由? どんな?」
「純と私、それぞれの時代で頑張れるように、私たちを出会わせてくれたんじゃないかな。私は純が大好きだし、純の時代は素敵だと思う。未来の世界が今よりも住みやすく、自分自身を尊重して生きられるって知ったことで、未来は明るいと信じられるし、その時代を作っていく一人になれることを嬉しいって思えたの。純はたぶん、今のこの時代のことを知って、純の時代が作られた歴史を知って、未来に戻った時にジャーナリストっていう仕事を通して世の中に伝えていくんじゃないかな。純の時代でも何かしら足枷のような文化は残っているかもしれなくて、さらに未来のために世の中を変えていくんじゃないかなって。そういう力を、私たちはもらった気がするの」
純は結婚を控えていた母のことを思い出した。純の時代には同性婚は認められているが、三人以上による重婚は認められていない。重婚をしようとしている母は、世間から冷たい視線を浴びることになるだろう。麗華の時代で同性婚が議論されているように、純の時代では重婚について議論すべきなのかもしれない。そして純は、仕事を通して、母のためにやれることがあるのかもしれないと思った。
「…確かに。今、元の時代に戻ったら、いい記事が書けると思うよ」
「でしょ? ふふ、私、純に会えて良かったよ」
「やめてよ。お別れみたいじゃない」
「言っておきたいの。真面目な話、私たちはいつお別れがきてもおかしくないよ。このタイムスリップが起きたことに私なりに納得をしたからこそ、お別れが近いような気もしてるの」
「…やめてよ」
「私ね、純に会うまでは劣等感の塊だった。仕事はうまくいっているけど、それ以外のものはなくて。女性は仕事よりも、結婚して子供を産んでこそ勝ち組っていう考え方がまだまだあるから、世間から見下されているように感じて。仕事がうまくいってることすらも、惨めに思うこともあって。独身は本人の希望ではなく、選ばれなかった女っていうレッテルを勝手に貼られてるから、世の中に対して後ろめたさがあった。この年齢で独身だと、おそらくもう子供を産むことも無いだろうから、私の遺伝子は未来に残せないし、私は遺伝子の選別に溢れた存在なんだって」
「そんな…私、麗華に初めて会ったときは、堂々としていて素敵な人だと思ったよ」
「そう見せようとしてるんだよ。私の年代は女性が職場で活躍し始めた世代だから、弱みを見せられない人が多いの。弱音を吐くと、『これだから女は』って言われやすかった世代だからね」
「そういうの、私の時代では信じられないよ」
「うん、そうだろうね。未来では、信じられないっていう感覚になっているのが嬉しい。その時代を私たちが作るのよ。純を見ていて、遺伝子を残せない私たちにも、できることがあるんだって思えたの。私たちが声をあげ続けることで、未来が作られていくの。人工子宮が実用化されて、足枷のような男女の役割が無くなっていくんだろうなって。だから小さいことから、例えば会社でセクハラを一つ注意するようなことから、積み上げていこうと思うの」
純は、麗華を連れて帰りたいと願った自分を、小さく感じた。
「…私、勝手に、麗華の時代が異常だと思っていたのかもしれないね。自分の時代の感覚が当たり前だと思ってたけど、今まで生きてきたたくさんの女性の、もしかしたら男性もだけど、苦しいとか辛いっていう思いの上に成り立っていたってことかな。麗華や夏美さんのように戦ってきた人たちのおかげなのかな」
「うん、そう思う。だからね、純と私はDNA上の繋がりはないと思うんだけど、それでも純は私の子孫なのよ。遠い将来、純が人工子宮から生まれて、今の純のように育っていけるように、今の私はこの時代で頑張っていこうかなって。そう思うと…自分の人生に自信が出てきたっていうか。だからね、出会えて良かった」
晴々とした表情の麗華に、純は神秘的な力を感じた。それは、タイムスリップ前に、妊婦の大森馨にインタビューをした時の感覚と似ていた。
「私、麗華と恋人になりたかったんだけど」
「ごめんね。でも私にとっては娘だから、恋人よりも深い愛情だよ」
純は思わず吹き出した。そして二人で笑った。
その夜遅く、麗華が寝る準備をしていると、純が枕を持って寝室に入ってきた。
「今日一緒に寝ていいかな?」
「ええ?」
「大丈夫、襲ったりしないから」
純は笑いながら、先にベッドに入ってしまった。
「まあ、いいけど」
灯りを消して、麗華もベッドに入る。セミダブルのベッドは、女性二人が並んで眠るには十分な広さだった。どちらからともなく手を繋ぎ、互いの呼吸と体温を感じながらゆっくりと眠りについた。
それが、二人で過ごした最後の時間となった。