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連載小説 2020年代という過去<6章 疑惑> #6−5 ファッション結婚

目次

前話 6章 疑惑 #6-4 尋問

 尊と純が知り合って以降、二人は、週に一回程度、会うようになっていた。麗華は純の行動には干渉しないため、行き先を告げずに純が出掛けることに何も疑問を抱いていないようだった。念のため、麗華があまり行かない場所を選んで、尊と会うようにしていた。
 その日は、尊と純が会うのは5回目の日だった。麗華と純の家の近くで待ち合わせ後、麗華が滅多に行かない、最寄駅の反対側にある川沿いの公園に向かった。
 ベンチに座りながら、純が不機嫌そうに切り出す。
「で、聞いて欲しいことって?」
「はあ、もうちょっと愛想良くできないの?こうやって会うようになって一ヶ月経つのに冷たいままだよねぇ。せっかく午後休取って会いにきたのに」
「私は会いたかったわけでもないし、そもそもあなたのことを良く思ってないの知ってるよね?」
「相変わらずだなあ」
 尊は苦笑いをしながらも、なぜか嬉しそうだ。そして一呼吸おいて話し始めた。
「いや、実はね、最近、奥さんが優しすぎるんだよ。それをちょっと相談したくて」
「呆れた。この後に及んで惚気ですか?」
「そう聞こえるかもしれないけどね。不自然に優しすぎる気がするんだ。息が詰まるというか」
「……」
「うーん、何のための結婚だったんだろうね。俺だけじゃなくて奥さんも」
「奥さんも?」
「奥さんにとっては、愛情どうこうより、俺のような大手企業の有望株と結婚するっていうファッションアイコンが必要だっただけかも」
「ファッションだなんて…そんなことあるのかな」
「本人も無意識だと思うけどね。うちの奥さん、婚約したくらいからかな、SNSにアップする内容が俺のことばかりになっててね。俺と一緒に出掛けたこととか、俺と話した内容とか。例えばさ、ご飯が美味しかったこととか、それだけをアップすればいいと思うんだけどね、いつも“旦那さんと”っていう言葉が入ってるわけ。で、あいつの友達もね、毎回テンプレートのように、『優しい旦那さんだね』とか『仲良くて羨ましい』とかっていう決まった反応なんだよね。女性の友情ってよくわからないんだけど、俺にはそこに感情があるようには見えないんだわ」
 先程まで敵意とも取れる視線を送っていた純の表情が曇り、不安げな顔になっていた。
「奥さん、寂しいんじゃないの?」
「そうかもしれない。でもあんなことして何か意味あるのかなぁ」
 尊はもう諦めているかのように、穏やかに笑っている。
「最近優しすぎることは、何か思い当たることがあるの?」
「うーん、気付かれたのかな。俺の気持ちが離れていっていることに。それで繋ぎ止めようとしてくれているのかも」
「え、離れちゃったの? 新婚でしょ? 急に?」
「俺もバカなんだよね。奥さんにとって俺はファッションでしか無いのかも、って最近気付いて。というか最近まで気付かなかった自分に呆れてて…気持ちが離れたっていうか、ちょっと奥さんとの距離感がわからなくなってるんだよ」
「最近気付いたって、何かあったの?」
「……」
「ここまできて言わないつもり?」
「あ、ごめんごめん。四月くらいね、俺、仕事が忙しかったんだよね。今は落ち着いてるんだけど」
「うん、知ってる。麗華も忙しそうだったから。」
「そう、その時期だね。で、その間は遅くまで仕事してたから、奥さんとの会話も減ってたんだ。俺も仕事モードから切り替えられなくて、奥さんに話を合わせるのがちょっとね、面倒になっちゃって、必要以上に忙しいふりしちゃったり…」
「会話が少なくなって気持ちが離れたの?」
「いや、その後だね。仕事が落ち着いた頃にね、そろそろ奥さんの機嫌を取らなきゃと思ってね。最近奥さんは何をしてたのかなって、久しぶりに奥さんのSNSを見たんだけど…」
 尊が一瞬、言葉に詰まった。純は続きを急かすこともせずに尊を見つめる。
「身に覚えの無いことばかりアップされててね。俺と海を見に行ったとか、俺と料理を作ったとか…ちゃんとそれっぽい写真も上げてたんだ。それをね、もう何ヶ月も続けてるんだよ。昨日は、俺とDVD見て盛り上がったことになってたな」
「え? それって…」
「嘘だらけの発信だよね。それに対して、友達はいつものテンプレートの反応を返してんの」
 尊は相変わらず穏やかな表情で話している。尊の妻の行動にも、今の尊の表情にも、純は違和感を抱き、寒気がしていた。
「それでね、あー、俺は奥さんにとって、SNSで友達にアピールするための道具なのかなあなんて考えてね…まあ、そうしないと自分を保てなくなっちゃってるのかもしれないなあ。それからは奥さんの優しさも怖くなってきて、なんか喜べなくて、ちょっと距離を置きたくなってきちゃうっていうか。それを感じ取った奥さんが更に優しくなって、ていうね、そういうスパイラル入っちゃってんのかな」
「そのことについて、奥さんとは話さないの?」
「どう思う? ビシッと言っていいものかな?」
 しばらく考えて、純は真っ直ぐに尊を見た。
「いや、あなたに奥さんを責める権利は無いと思う」
 尊は、純の鋭い反応を待っていたかのように、にやりと笑う。
「権利? 厳しいなぁ」
「だってあなたは麗華に言ったんでしょ。麗華は好きだけど、若い人の方がいいから、今の奥さんと結婚するんだって。あなたの結婚の目的は、好きかどうかで選んででないんだって思ったの。あなたも若い奥さんっていう、ファッションが欲しかったんじゃないの?」
「いや、ちゃんと奥さんのことも好きなんだけどね。…うーん、まあ、そういうところもあるかもしれないな。恋愛感情以外の打算も、少しはあるのかな」
「そうやって、はっきりしない発言が多いよね。そういうところが、周りに迷惑をかけてるんだよ。麗華と別れる時だって、あなたは中途半端な愛情を示すべきじゃなかったよ」
「好きだって言った方が、彼女を否定しないことになると思ったんだけど」
「まるで親切心だったみたいに言うんだね。でも違うよ。あなたが悪者になりたくなかっただけでしょ」
「…好きじゃなくなったって言った方が良かったのかな」
 純の顔が徐々に険しくなり、声も大きくなった。
「そんな簡単な問題じゃない。私が怒っているのは、麗華が自分ではどうすることもできない年齢を理由にしたことで、麗華のせいのように思わせて、麗華に大人でいることを求めて、麗華から怒る権利を奪ったことだよ」
 急に熱が入った純の態度に、尊はたじろいだ。
「そんな。待って待って。俺は…」
「そんなつもりなかった? 責められることから逃げた自覚もないの?」
「……」
 純は声のトーンを落としつつも、視線は鋭いままだ。
「別にあなたが年齢で奥さんを選んだことを私が否定するつもりはないよ。この時代の結婚って、ただ相手が好きかどうかだけで決められるものではないこともわかってきたし、一種のステータスのために必要な選択もあるんだと思う。あなたと奥さんは、それぞれの価値観で結婚したんだろうし。でも、あなたの狡さで麗華を傷つけたことは自覚すべきだと思う。悲しむことを麗華に押し付けないでほしい。あの人は優しいけど強いわけじゃないから」
「……」
 尊は何も言い返せなかった。どうして自分よりも若く、麗華との付き合いも短い純の方が、麗華の気持ちを説明できるのだろう。自分は今まで麗華の隣で何を見てきたのだろうか。そう考えても答えは出ず、ただ沈黙を続けることしかできないのだった。
 純が痺れを切らす。
「何か言いなさいよ」
「あ、うん。あの…俺は見えていなかったのかもしれないね。いろんなものが」
「そうだね」
「もう遅いかもしれないけど、麗華さんに謝りたいな」
「そうだね」
「あと、純ちゃんにもお礼を言わないと」
「え?」
「気付かせてくれて、ありがとう」
 そう言った尊の目は忠犬のように可愛らしかった。実際、何度か尊と会ったことで、尊が憎めない性格であることはわかっていた。この、何かを教えられた時に見せる素直さが、麗華が惹かれた魅力なのかもしれないと純は思った。きっと麗華は忠犬に裏切られたことを、今も直視できずにいる。

次話 6章 疑惑 #6-6 勝負服


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