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感じていたい。御嶽山、石室山荘山日記。

今朝も雷鳥を見かけた。4羽。4時45分ごろ遠くの岩場で声が聞こえた。かなり距離がありそうだから、今日は見れないかと思って反対の雨雲や雲海を見ていたら、10分後ぐらいにパタパタと白い羽をばたつかせ3羽飛んできた。少しの間眺めて、ちょこちょこ歩くところや羽をブルっとするところを見た。朝食準備帰ろうしたら、1m後ろにも雷鳥がいたようで飛び立った。合計4羽。最近雷鳥の脚らしきものをお客さんが見つけたと言っていたので、不安だったが、近くに4羽はいるとわかった。一応この近辺では最大6羽の目撃情報があるから、あと2羽見つけたい。

雷鳥をみているくらいから雨が降って霧がきた。8時ごろ頂上から降りてきたお客さんは「上では雪だ降ってた」と言っててびっくり。たしかに寒い日だった。ストーブを沢山たく。

昼ごろまでに合計15人くらい通ったり、腰掛けたりしていった。土間やこたつ、炭のそばで暖をとっている。僕はわりあいに雨の小屋の中が好きだ。少し暗くて、日の見えるストーブが周りをぼやっとさせる。登山者は寒さと少しホッとした気持ちで静か。ただ、それぞれのことをして、それぞれの場所で座っている。食事をしたり、窓の外を見たり、白い息をついている。店番として、そんな光景を見ていると落ち着く。ただ、時間だけを共有している空間が目の前にある。そして、自分もそこにいる。

昼ごろ雨雲が少し切れる。遠くの青い山々、そのところどころを隠す、白い雲々。美しい。そういえば、その中を近くの山小屋で6月から働いていた女性が降りて行った。また一つの別れだった。そして、彼女との出会いを明確に意識させる。

昼からはこたつを囲む泊り客がのんびりしていた。僕は1時間ほど休憩をもらってから、従業員でお茶を飲む。ひといき。

夕食前、山々と雲を見て、ぼぅっとする。最近、思考が感覚より先行していたことに気づいた。それが何とも怖かった。

思考が先行すると、僕は先が不安になる。今思えば、今まで物事最終的には、「賢いか、よりもやりたいか」「凄いか、よりも美しいか」で選んできたと思う。そのことを改めて意識できた。

散歩して、小屋より少し下から、足音を立てない様に歩く、すると自分の足音、周りの音、遠くの音が順に聞こえ始める。息遣いを小さくする。深い集中と感覚が優れる。

夕食を出して、夜また外に出る。また少しぼうっと考える。

本当にやる意味があることなんてほとんどないと感じる。大抵のことはやらなくてもいいと思える。でも、今の社会ではお金がいるから、何かすることになる。そんな事を思う。でも、自然的にはなんか変な気もする。日記もつけると決めたが。つける意味があるのか。でも、やると決めたからやろうとする。でも、決めたらやるのか。続ける意味なんてあるのか。多分、続けなくてもいい。でも、続けないぞ、とそっちに縛られるのも違う。伝えたいことがないから何も伝えない、と縛られるのも違う。だから今日は、迷ったけど二日目の日記をつけてみた。

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