東大前傷害事件と私
はじめに
先日、東京大学にて傷害事件が起こった。
犯人は進学校に通う高校二年生のようだ。
普段、私は人が起こした事件について何が原因であるとか考察することを酷く嫌う。自分がされても不快だし、聞く方も不快だからだ。そして何よりも本当のことは本人しかわからないことの方が多く、デマの温床となりうる。
しかし、今回は思い当たる節がある。というのも、彼の家庭はほんの少しだけ私の家庭と似ている。それは、兄弟の中に不登校児がいるということだ。
「普通」であることに安心する母
今時、不登校児なんてそんなに珍しいことではないのかもしれない。しかし、親世代の価値観では珍しく思うこともあるだろう。特に私の母親は「普通」であることに対して強く安心する人間である。そのため、自分の子供が不登校であるということに対して素直に受け止められない部分があったようだ。一時期は私の兄弟をなんとか学校に行かせるために朝から一生懸命に怒鳴ったりしていて、日中は家事ができなくなるほど疲れてぐったりとしていた。
生まれ持った性質
私の兄弟の場合、学校環境に問題があったため不登校になったのではないのではないかと私は思う。生まれ持った性質が関係しているように感じる。彼は生まれつき感受性が豊かな面がある。家の中ではその感情を表に出して発散することができるのだが、学校など、社会の中ではそれがストレスとして蓄積する。その結果、家の中で感情を出すときに暴力など、極端な形となって現れてしまう。彼は親などに暴力を振るう際に目を涙ぐませることがあるため、自分の意思に反して体が動いてしまうのが本当に辛いように私の目には映っていた。
私が高校生の頃
話は戻るが、このような生活を送っていたため、親は私のことにかまっている余裕などなかった。しかしながら、父親は自身に学歴コンプレックスがあったため、私に多大な金額をかけて塾に通わせてきた。これは私にとっては大きな負担で、中学受験の際には自分の学力を諦めてもらうために親の前で壁に頭をぶつけてニューロンを殺すほどであった。しかし、その甲斐があってか私自身進学校に通うことができた。私が高校生のころは兄弟の荒れ加減がピークに達していた頃で母親と兄弟はカウンセラーに勧められた薬を頼りに生きていた。一方父親の方は、激務によってあまり会話をする機会がなかった。
家に居場所がないということ
私は家の中で自分の居場所がないように感じていた。家族それぞれが同じ家に過ごしながら分断されたような感覚を持っていた。それが影響してか、人とのつながりを大切にするという感覚が理解できていなかった。私の場合、かろうじて学校での部活仲間がいたから、自分の生きる意味を感じることができていた。しかしながら、受験勉強が本格化してくると、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、学校の友人との繋がりさえ薄くなっていった。すると、もし受験で失敗して父親の望むような高学歴とされる大学に行けなかったら自分に生きる意味はあるのか、真剣に悩むようになっていった。最終的に、志望校に合格することはできたのだが、もし落ちていた場合、私も彼のように事件をおこしていたのかもしれない。
感謝することの大切さ
今となっては、自分がかつて居場所がないと感じていたことを大変恥ずかしく思う。会話が少なくても、母親はご飯を作ってくれていたし、父親は高額な塾代と学費、そして私の生活費を激務に耐えながら稼ぎ、払ってくれていた。当時の自分にこのありがたさがしっかりと理解できていたらと悔やむばかりである。もし、この文章を読んでいる人の中に孤独を感じている人がいれば、周囲の人に対して今までよりもっと感謝をすれば楽になることもあると伝えたい。
終わりに
少年が事件を起こした真の理由は少年にしか理解できないだろう。しかし、「人との縁」がこのコロナ禍で薄くなってきているのは明白だ。このことにより社会から必要とされなくなるような、見放されているような感覚に陥ったりした結果、世間の広さを感じられずに視野が狭くなり、社会に自分の存在を知らしめることで自分の生きる意味を見出そうとする人が出てくるのかもしれない。
※あくまでも私の見解です