
20年間を振り返ってみた成人の日。
今日は成人の日。私は2001年生まれで20歳、なので成人式に出るはずだった。しかし今オーストラリアにいるので出れず、、、もともとオーストラリアに関係なくドイツやカンボジアにいることを想定していたから成人式には出るつもりはなかった。
しかし、今日と昨日、高校の友達のストーリーが成人式の写真だらけ。すごく羨ましくなってきた。出たかった。高校の同窓会に行きたかった。。。という気持ちが突然あふれ出し、突然高校時代が恋しくなった。高校の友達から「日本に戻ってきたら会おうね!連絡してね!」とメッセージが来る。うれしい。高校を卒業してからますますいろんな人とかかわるようになった。高校時代はあんまりはさなかった人たちと卒業してからよく話すようになるのだ。私のnoteやInstagramなどを見て連絡してくれる。本当にうれしい限りだ。高校時代の友達はとっても大切。
20年間を軽く振り返ってみよう。
2001年10月4日、丸山優果誕生。
1歳の私。
3歳の頃かな、、、地元の保育園とろう学校の両方に通う日々。小さいときから聞こえる人たちと関わってきた。
小学入学前、6歳の頃。ろう学校の幼稚部のみ通い言葉教育を受ける日々。ろう学校の幼稚部は聞こえない子どもたちへちゃんとした言葉教育を行っている。
小学2年生の頃。今でも忘れられないのは、当時の担任から「ゆうかさんは聴力障がいが重くて全く聞き取れないから、高学年になると勉強は大変になるだろう。」と言われたこと。実際は、、、そうでもなく、、、
小学5,6年の頃。勉強が大好きだった。低学年の頃の担任が予想していたとは違っていい方向へ進んだ。勉強面で困ったことなんて1回もなかった。
習い事もたくさんやっていた。まずテニスを4年間。
スイミングを6年間。
ほかにダンスもやっていた。
中学校はそのままろう学校の中学部へ進学。
部活動はバレー部。中学3年間ずっと「私は絶対に普通高校に行く!!」と言い続け、ひたすら勉強をしていた。
無事に念願の普通学校に進学。
部活は憧れだったバトントワリング部に入るものの、うまくいかず、1年で辞めた。(そのあと高2の途中でバレー部に入り、とても楽しく過ごした。これはまた別の機会でお話を。)高2の夏休み、初海外のオーストラリアとカンボジアへ。
このオーストラリアが今のアデレード大学留学の決め手になる。
そして今インターンシップでもかかわっているカンボジア。初めてのカンボジア。すべてが新鮮だった。このときは3年後半年間カンボジアに住むことになるなんて想像もしなかった。そして宿がたまたまSocial Compassの中村さんと同じところでこの頃から顔見知り。
海外大学1本に決めた私は高3の夏は海外大学入学に必要なIELTSを集中特訓するためにセブ島留学を決めた。
そしてスペインの大学に呼ばれて渡航もした。
フィリピンにすっかり恋した私は高3の3学期はみんな受験のため授業がない2か月間を使ってまたセブ島に留学。
そしてアデレード大学進学を決めて、ついに高校卒業。高校3年間が今の私を作ったと言っても過言ではない。
卒業旅行(?)としてセブ島留学のときのルームメイトと一緒にベトナムへ。ベトナムに仲がいい友達がたくさんいたからだ。
そしてカンボジアへも。これが2回目。このときはカンポットとキリロムへ旅行した。
そしてコロナで、、、なかなかオーストラリアへ渡航できず、、、しびれを切らした私はオーストラリアの国境が開くまでカンボジアに居ようと決めた。決めて1週間後カンボジアへ渡航。これが3回目のカンボジア。そして初めての一人暮らし。
Social Compassでインターンを始める。このときは19歳。カンボジア3回目でようやく中村さんとたくさんかかわるようになる。
ワクチンなどで8月日本へ一時帰国。このときに前撮りを済ませた。
そして2年以上ぶりの北海道のおばあちゃん家にも訪れた。
そしてドイツへ。
ルクセンブルクにもフランスにも。
そして12月15日、ドイツからオーストラリアへ。
で今に至る。
これが軽く私の20年間だ。笑
高校に入ってからはいろんな経験をし、卒業後は主に海外で生活している。これからも海外で生活をしていくし、日本で生活するつもりは1ミリもない笑 そんなに日本が嫌いか?と聞かれるととても答えるのが難しい質問だが、日本はとても素晴らしい国で好きだがどうしても私には合わない。日本は旅行つまり2-4週間の一時帰国を数年に1回やっておけば十分だ笑
5-10年前思い描いていた未来とは全く違う。当時は教師になりたくて日本の国立大学や上智大学を目指していた。海外大学進学なんて1ミリも考えていなかった。だから人生って面白い!!!10-20年後の私はどこにいるんだろう。どこにいても自分の夢を追い続けて自分の人生を楽しんでいるだろう。