「忘れないこと」と「特別をすること」は別だと思う。という話-あれから12回目の3.11に寄せて-
こんばんは。
めちゃくちゃ久しぶりにnoteを開きました。なんとなく、この話はnoteに書くテンションだったから。スマホでぽちぽち書いてるんだけど、なんか色々変わっておばあちゃんはびっくりしてるよ。
さて、表題のお話。
私は宮城で生まれ育っているにんげんなので、この日付にはどうしても思うところは出てきてしまうのです。
ただ、私は被災地ど真ん中にいた中では幸運である方だと、自分では思っています。そこを掘り下げる気はあんまりないんだけど、私の手を離れたものはなかった、くらいにしておこうかな。
なので、そんな私にとっては、確かに凄絶であったこと。だけど、十年一昔。干支が一周して、高校生だった自分が三十手前になるくらいの時間が経っている。そうなると、毎年毎年、そのことばかりでも居られない――居られなかったのが現実です。
一方で、暦的には、という言い方が則しているかどうかは分からないんだけど、十三回忌を数える節目でもあります。もう、11日になる度に地元メディアが月命日とあらわすことはほとんど無くなったけれど、たくさんのひとにとってはそういうことでもある。きっと、今年も海中捜索がある……かもしれない。あれはもう、執念を通り越して、儀式のようになっている気がしてならない。だけど、何年か前にはあった。ほんのちいさな欠片でも、家族のもとに帰れたひとがいた。そういう奇跡を、祈って行われる儀式。そういう、感じがする。きっと、そういう人にとってはいたく特別だ。それは、間違いないし、誰にも侵されるものではないと思う。
だからさ、特別にしなくてもさ、責められるもんじゃないと思うんだ。仕方ないじゃん。この忙しない中で、現実を生きてるんだからさ。
そりゃあ私だってきっと、明日は然るべきタイミングで黙祷をささげるだろうし、車に積んでる非常食の確認とかするよ。でも仕事もするし歯医者にだって行く。オンライン飲みすら入れた。
防災意識がとは言うけど、きっと積んでる非常食はたいてい賞味期限が切れてるし、ガソリンはメーターの半分を切ってるし、でもまだ入れなくていいかなって思ってるとこある。あれからしばらく近寄れなかった海には、ほんとうにたまに、ぼんやりしたい時に行く。そんなもんなんじゃない? と、思ってる節は大いにある。
当事者ですらこうなんだから、外に求めるなんて出来るはずもない。私は、明日とか、なにかの折に思い出した時に、あーそんなんもあったねーって流されるのがほんとうの、よくないタイプの風化だと思っている。こういう流され方をしないで、ほんのすこし、言い方は悪いけど心が痛むような、すっと鎮まるような、そんな静けさと共にされる想起であれば、それはきっと、まだ忘れていないと信じられる気がする。「人は二度死ぬ。一度目は肉体が死亡した時。二度目は忘れられた時」みたいな言葉もあるけど、ここにおける後者のような感覚。
だからね、明日も、なんもなくてもいいから、一日なるべくすこやかに生きてこうね
おわり