社会科散策-論述(日本史02)縄文

〔非階級社会〕
 縄文時代は身分や貧富の差のない社会と言われているが,なぜそれが分かるのか。
〔解答〕権力者のための大きな家や墓地がないこと,及び副葬品が少ないことから分かる。
(解説)
 なぜ身分や貧富の差が小さかったかというと,狩猟・採集経済が主で富の蓄えが難しく,また,人口が少なく食料獲得のための争いも少なかったからである。もちろん,墓地や副葬品に全く差異がなかったわけではなく,縄文社会にもある程度の階層(不平等)は見て取れる。一定の集団がその組織を維持していくためにはリーダーの存在は不可欠で,縄文社会においても階層性の存在は当然ともいえる。
 日本の歴史01(講談社)P246は,縄文社会においては,各種の個人的な能力によるゆるやかな階層は存在したが,極端に突出した階層(階級)はなかったとする。その理由を6つあげている。参照されたい。

〔縄文時代の交易〕 
 縄文時代にはすでに遠隔地との交易があったとされているが,なぜそれが分かるのか。
〔解答〕特定の地域でしか産出されない黒曜石やヒスイを加工した石器や玉(ぎょく)が遠隔地の同時代の遺跡から見つかっているからである。
(解説)
 黒曜石は長野県和田峠,北海道十勝岳,大分県姫島,神津島(伊豆諸島)などの特定地域でのみ産出されていた。また,縄文土器自体の移動も確認されている。

〔稲作への移行〕 
 豊かな恵みのもとで栄えた縄文文化が,稲作農耕社会(弥生文化)に移行していったのはなぜか。
〔解答〕日本列島の寒冷化がすすみ狩猟・採集による生活が難しくなり,また水田稲作が狩猟採集よりもすぐれた食料獲得方法であったからである。
(解説)
 縄文晩期~弥生初期(約3000~2000年前)になると,日本列島は寒冷化に見舞われた。この環境の悪化が狩猟・採集を難しくしたが,一方,寒冷化は海水面を低くし水田耕作地の拡大をもたらした(※1)。また,朝鮮半島ではすでに3000年前に米作りが始まっており,日本列島でもきっかけさえあれば,いつでも水田稲作ができる状況にあった(日本の歴史01講談社)(※2)。
(※1)地球の寒冷化・温暖化による海水面への影響は不明。
(※2)稲作伝来のルートには諸説ある。中国南部から直接南西諸島・九州に伝来したとの説も有力。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?