社会科散策-論述(日本史07)飛鳥③
〔古代天皇制の確立〕
壬申の乱に勝って即位した天武天皇は,その地位を大幅に高めたが,なぜ高めることができたのか。
〔解答〕近江朝廷に加担した畿内の大豪族が没落し,また,反乱に加担した豪族も,横のつながりが薄く,大海人皇子に対抗できる勢力とはなりえなかったからである。
(解説)
大海人の反乱に加わったのは大伴氏の一部と,大和の伝統的な豪族,一部の渡来系の氏族のほかは,舎人として仕えていた美濃の豪族,尾張などの東国の豪族たちであり,近江朝廷とは異なり,彼らは横のつながりは希薄であった(大系日本の歴史3巻)。つまり,大海人皇子に味方した豪族たちは,近江朝廷を支えたかつての大豪族のように,皇子に対抗できるだけの大きな勢力にはなりえなかったのである。
※東国とは
7世紀頃は,尾張・美濃以東の東海道・東山道一帯を指していた。奈良・平安時代には,より東の相模や板東を指すようになった。
〔東国の役割〕★東大2008類題
①古代国家における東国の役割,及び②律令国家の内乱対処の方法について述べよ。
〔解答〕①東国は,軍事力(天皇の警護・防人)の供給源となっていた。②畿内の謀反人が東国で軍事力を動員することを阻止した。
〔律令国家の軍事体制〕★東大1999類題
7世紀後半の戸籍作成の進展と,律令国家の軍事体制の特色について,両者の関連,および背景となった「天武天皇の個人的経験」「古代の国際的経験」をふまえて説明せよ。
〔解答〕白村江の戦いでの敗北や壬申の乱での経験から,天皇直属の強力な軍事体制の構築が必要と考え,戸籍を作成し人民を戸に編成して,戸ごとに兵士を徴発した。
(解説)
「天武天皇の個人的経験」とは壬申の乱での勝利のこと,「古代の国際的経験」とは白村江の戦いでの敗北のことである。