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笑う人を、笑う側へ。

皆さん、こんにちは。

なかなか久しぶりの投稿です。良ければぜひ見ていってください。見たくないって方は見なくて結構なので、悪しからず。




皆さんは、日本語についてどう感じていますか?日本語は、私たちの暮らしに必要不可欠なものであり、標準語や地方に行くと方言などが使われてるが、全て日本語であると定義されている。標準語、関西弁、東北弁、広島弁、福岡弁などあるのにも関わらずだ。そこもどうかと思うが、今回はここに触れないでおく。



その中で日本語の文化でもあるような協調性の部分について疑問を想ったことはないだろうか?今回は、この日本語の協調性の観点から、日本をどう変えていくべきか述べていこうと思う。興味ない!って思う人はここで消してくれて大丈夫です。では、本題へ移ります。



その中で僕は、ほとんどの日本の方々の日本語による協調性の部分に対しては「美徳」と思っているかもしれないが、「同調圧力」「意志を持たない」という日本語の文化の中での協調性アドバンテージ(利点)とディスアドバンテージ(不利な点)があると考えている。それらを述べながら「美徳」「同調圧力」「意志を持たない」の三点から僕が考える持論を述べていきたい。


 まずは、アドバンテージでもある「美徳」という部分に焦点を当てて考えていきたい。日本語の協調性の「美徳」は、世界に例を見ないほどに文化として強く根付いている


その理由としては、意見を言わずとも相手の意見を「察する」ということをして、相手に気を使いながらも、常に相手のことを考えたお・も・て・な・し精神」が強いからであると考える。


例えば、大事な人が疲れている・しんどそうと察した時、皆さんは相手に対してどんなことをしますか?


考えてもみてください。

大事な人を無視して、ゲームをする?携帯触ってばっかりで、見向きもしない?そんなことは大多数の人はしないでしょう。(少なくとも僕はこんなことはしません笑)


多くの人は、自分からマッサージをしてあげたり、甘いものを買っておいてあげて気持ちを和らげたり、家事を何も言わず率先したりなどがあると思う。


想像してみてください。こんなGive精神溢れる文化を他国で見たことがありますか?僕はありません笑。あるのであれば、コメントお願いします。笑


このように、この美徳と思えるような日本古来の文化であり、それは否定はしないし、ほんまに素晴らしいと思う。ちなみに僕はそこに結構苦手な部分で、察せないときも多々あります笑。でも、分かった時の奉仕の仕方は半端ないです笑。


しかしながら、ディスアドバンテージの方が大きいと僕は考えている。その理由は二点あると考えており、まず1点目は「同調圧力」という点である。


その理由は、例えば、自分が楽しいと思っていること自ら持っている夢、そしてこれらを叶えるために何かに挑戦するということなどに対して、周りの人間がやっていなければ、、、

そういう人たちは、変人扱いされ、笑われ、一人でそれを目指していることがつらくなってきて、周りに合わせるようになり、もうその夢をあきらめて、周りと生きていこうとしてしまうからである。


その同調圧力をこれまで経験してきた中で、僕は本当に嫌いな部分であり、変えないといけない点であり、出る杭は打たれるではなく、出る杭は挑戦者で、価値のある人間であると考える。


そして、二点目は、一点目に付随しているが、「意志を持たない」という点である。確かに、日本では別に意志を持たなくても生きていけるという文化が根付いている


しかし、それを持っていないせいで、自分の意見を言える人が全くいなくなってしまい、その意見を言うのが恥ずかしいという風に感じる人も珍しくない。それを尻目に、人生の先輩たちはトップダウンで支持をし、自分は王様のような考え方を持った考え方が多いと考えている。確かに時にはトップダウンでマネジメントすることは必要だが、常にすることに対してはおかしいと思う。


僕が想うに、自分というものを持たずに生きていくとすれば、それは何のやりがいも感じずに生きていくという人生を選択していると同じようなもので、それの方が恥ずかしいということをどこかで学ばなくてはならないと考える。


それらを例えるなら、戦争に行っているにもかかわらず、「銃を持たずに、メリケンサックで挑んでいくような野蛮でやばい戦い方をしている人」である僕は想う。笑


こんな戦い方を社会で、していても良いのですか?

それをまず自分の胸に手を当ててもう一度考え直してみてください。

すぐにわかるはずです。


確かに、小中高と「個性を持つな」と言われる教育をされ、大学で就活するときは「個性を持て」と言われ、社会に出れば「個性を持たず、俺の言う通りにしろ」などと言われるのは、あるかもしれない。


それでも自分を持つことは生きる上で、働くうえで一番大事だと僕は思う。


さて、、


これまで、日本語の協調性の「アドバンテージ」「ディスアドバンテージ」を見てきたが、僕は後者の「ディスアドバンテージ」を創り出している教育制度が本当に許せなく感じておりそれを知っていてなお戦時からの教育制度変えない政府・国家に嫌気がさしている

人間は変化を恐れるものだが、こんなところを恐れていては、いつまで経っても変わることはできないと想う。


これらを踏まえて、どのように感じるかは自由であるが、このような生きづらい・世知辛い世の中を変えるためにも、自己決断をして、自信をもって挑戦し続ける人を増やしていきたいし、これは僕の将来の夢でもある。


これを見て、笑いたければ笑えばいいが、それを笑う人を、僕は笑う人間になっていくので、それを体現していけるように、日本語の協調性の固定概念を壊していきたいと思えるような人を増やして、自分のアイデンティティは死ぬまで大事にしていこうと思う


では、なぜこのように僕はこんなアイデンティティを持ち、自己決断をして、自信を持って挑戦し続ける人を増やしていきたいのか?そして、それを今の自分はどうGiveをして、相手に付加価値をGiveすることができるのか?




それは、、、

と今回はここまで。続きは次回に書こうと思います。続きが気になる方は、僕をフォローして待って居て下さい。またはコメントください。それが唯一の楽しみです。笑

絶対に書くので、お忘れなく。。

では、最後まで僕の持論を見てくれて本当にありがとうございました。また見てくれる日を楽しみにしながら今回はここで締めようと思います。本当にありがとうございました。

続きはこちらをチェックしてみて下さい。
① https://note.com/rikuyade1643839/n/n5c57cc7dd797 

② https://note.com/rikuyade1643839/n/n923c6008bfe9 


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