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「学校に来て学ぶ意義」とは何だろうか

こんにちはもしくはこんばんは!りくをです!

日曜劇場『御上先生』見てますか?

僕は毎週欠かさず見てます。

基本ドラマは見ない性分なんですが、御上先生だけは毎週見てます。

主体的に行動する生徒、生徒の主体的な行動を「指導」するのではなく「支援」する先生。

めちゃくちゃいいっすよ。令和の時代の学園ドラマ。今までにない感じ。
ぜひ皆さんもご覧くださいませ。

さて、本日のテーマは
「学校に来て学ぶ意義とは何だろうか」です。

教員時代からずっと、学校に通う意味ってなんだろうと考えてました。

学生時代、正直言ってそんなことを深く考えたことはなかったんですけど、今になってみると、学校に通う意義をもう一度考え直すべきなんじゃないかって思うようになりました。

今はインターネットやAIが発達して、家にいながらでもいろんなことを学べる時代。

学校に行かないという選択をする生徒も年々増加している。

事実、学校へ行かずとも生きられる時代になっている。

学生時代不登校だったが、起業して成功を収めている人もいる。

そんな時代だからこそ、学校に来て学ぶ意義が問われている気がする。

今日は「学校に来て学ぶ意義」について、自分の思うことをアウトプットしていこうと思います。

学校でしか得られないもの

僕自身、学生の頃は

・学校に行かないと勉強についていけない
・進学しないと将来困るから

みたいな理由で通ってました。

でも、大人になって思うのは、学校に行かなくとも勉強する場所はどこにでもあるし、進学せずとも成功を収める人もいる。(もちろん学歴がないと言うことで多少のフィルターは存在し、損をすることもある)

今はネットに情報が溢れてて、YouTubeやオンライン講座を活用すれば、知識面では学校に行かなくても学べる時代。

でも、それでも「学校に行く意味」って絶対にあると思ってます。

そのヒントをくれたのが、苫野一徳さんの『勉強するのは何のため?』に出てくる「自由の相互承認」と言う考え方。

『勉強するのは何のため?僕らの「答え」の作り方』

「自由の相互承認」とは?

めちゃくちゃ簡単に言うと
「自分の自由を大切にしつつ、相手の自由も尊重すること」

私たち人間は生まれながらにして自由である権利を持っている。

けれど、他人の自由を奪う権利はないし、他人の自由を認めないといけない。

この考え方めちゃくちゃ大事なんだけど、意外と学ぶ機会って少ないんですよ。ネットの世界には情報が溢れてるし、好きなことを学ぶこともできる。嫌な意見はスルーできる。

けれどもオフラインの学校では、いろいろな自由が1箇所に集まってそれぞれがぶつかり合っている。

学校は「自由の相互承認」を学ぶ場所

学校にはいろんな価値観の人がいる。意見が合わないこともあるし、時にはぶつかることもある。

でも、それを乗り越えることで、「どうすればお互い気持ちよく過ごせるか?」を考えるようになる。

例えば、グループ活動で意見が食い違ったとき。自分の意見を押し通すだけじゃなく、相手の考えを聞いて、すり合わせる経験ができる。

社会人になって痛感したんですけど、こういうやり取りって社会に出たらめちゃくちゃ必要になります。

どちらか一方に有利な条件では契約は成立しないし、相手の要求も分かった上でこちらの要求も提示しなきゃいけない。
双方にとって価値のある、つまりWin-Winになる道を探るのがビジネス。

大人になってから「人と意見をすり合わせるのが苦手」って悩む人、結構多いです。でも、それって学校で「自由の相互承認」を学ぶ機会をちゃんと活かせなかったからかもしれない。

「自由の相互承認」ができていない世界

では、この「自由の相互承認」ができていないと、世の中はどうなってしまうのか?

一番わかりやすい例は戦争

戦争とは「自分たちの自由を押し通すために、相手の自由を認めない状態」から起こるもの。

国同士で価値観が違ったり、利害が対立したりするのは当然。

でも、それを話し合いで解決できずに「相手を力でねじ伏せよう」とすると戦争になる。これはまさに「自由の相互承認」が崩壊した状態。

もっと身近な例で言えば、職場のパワハラとかもそう。

上司が部下の意見を全く聞かずに、「俺のやり方に従え」みたいな態度を取ると、そこに自由の相互承認はない。

結果として、部下は萎縮し、本来の能力を発揮できず、職場の雰囲気も悪くなる。

学校で言うなら、いじめも同じ。

いじめる側は、自分が楽しければいい、ストレスを発散できればいいと考えて、相手の自由を踏みにじる。

でも、それは結局、誰かを傷つけることで成り立つ「自由」でしかなく、真の自由とは言えない。

こうした問題は「自由の相互承認」をきちんと学んでこなかった結果、社会の中で生まれてしまうんじゃないかと思う。

だからこそ、学校という場でそれを学ぶことがめちゃくちゃ大事だと考えてます。

最後に

ネットで知識は学べる。
でも、人との関わりの中で学ぶことは、学校じゃないとなかなか経験できない。
学校は、「自由の相互承認」を実践的に学ぶ場所。

世間的にもリモートが浸透したけれど、学校に行く意義はまだまだ大きいと個人的には思ってます。

皆さんはどう思いますか?
教育関係者の方も、そうでない方もコメントお待ちしてます。

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りくをルーティン | 元教師×ベンチャー社員×コーチング
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