空(そら、から?)
いま演出している作品の稽古では、それぞれの価値観や思い出を共有しています。
「四月ってどんなイメージ?」
「思い出を与えてくれた存在は?」
とにかく私たちには色んな背景があって、色んな絵の具を持ってる。もしかしたら絵の具だけじゃないかもしれない。人によっては赤い血で染められたキャンバスを持っているかもしれない。皆の価値観を聞く時間ってすごく楽しいし、どれだけ他者の価値観に触れられるかって、その人に深みを与えるものだと思う。
昨日は、原民喜が遺した作品集『画集』から「部屋」、そして『かげろう断章』から「雲」の2つを重点的に掘り下げました。民喜の作品って、すごく日常的で、普遍的で、写実性があって、誰でもその描写がすぐに浮かんでくるんです。
目の前に浮かぶ青空、そこに気持ちよさそうに浮かんでいる雲。
あの雲に乗ってみたい。
あの雲はどうしてあんなにおいしそうなの?
子どもの頃の自分。不思議と空というもう一つの世界にあこがれていた自分。それが自分を支えていた、あの頃。
今日の空を見てみる。灰色。雨が降っている。でも、雲をこんなにまじまじと見たのは、いつぶりだろうか。
稽古場で自分の好きな雲をお互いに言い合った昨日の時間。皆、小学生みたいに笑っている。空はヒトを無邪気にさせてくれる。好きだなぁ、空。
空を見なくなったのはいつからだろうか。覚えていないものです。無意識のうちに、あの広い世界から視野が狭くなっている。視野は広くなんてなっていない。全体を見れていても、この世界の片隅しか見れていない。空は全てを見ている。
私たちは空(から)になったのかもしれない。親父ギャグ。
でも、あの頃の私たちを支えていたのは空(そら)だった。いまは心許ない風が吹く不安定な日常にかられる自分。再び空を見れば、どんな雲が覆っていても、そこに私を支えてくれるものがいる。私の空(から)になった心を満たしてくれるのは、いつだって空(そら)なのかもしれない。
サムネイル画像は、昨日の稽古でみんなに見せた、お気に入りの雲。初日の出を江ノ島に見に行った時の写真です。
では、また。
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