この世界を見渡す|演劇ユニット・にもじ『こうさてん』

 演劇的行為とは何だろうか。面白い戯曲、あっと驚く演出、思わず感情移入してしまう芝居。たしかにこれらの要素が「おもしろい演劇」を創っているが、もっと大切な存在がいる。それは「観客」だ。

 皆さまは[ワークインプログレス]という言葉をご存じだろうか?これは「制作中の作品」を指し、完成した作品ではなく未完成の作品を上演する形態のことだ。このワークインプログレスに挑戦しているのが、演劇ユニット・にもじだ。日本大学芸術学部に在学中の山本真生、渡邉結衣(=劇作・演出)と林美月(=俳優)で構成されるにもじ。2021年夏に第1回公演を行い、上演活動を続けている。

 今回の『こうさてん』は2022年12月1日から4日、東中野のRAFTにて公演が行われ、渡邉による『ラブ』と山本による『もけもけのモノ』の2作品が上演された。

 1作品目は『ラブ』。”コミュニケーションクリーニング”にやってきた2人(=関 彩葉・金井朱里)が、過去の自分と未来の自分を見つめ直しながら、「自分」という実在に対し疑問を投げかける。私とは何ものなのか。アップテンポな会話が、2人の世界観を映し出す。抽象度がかなり高く、2人の記憶や妄想(?)がさかんに行き来するため、ややストーリーをつかみにくい構造となっている。しかし、この作品は劇を「観る」ことだけが主たる目的ではないだろうし、きっと完璧な形は存在しえないと思う。
 観客席にいる私たちも、じつはコミュニケーションクリーニングに参加している、または参加し終わった人間としての役割を持つ(このことを示唆するかのようなシーンが劇中にある)。私たちはこの劇を通して、なにを感じるか。この問いかけこそ、『ラブ』が成立しうる一番大切なメッセージなのだ。

 ちなみに、私はこんなことを考えた。「自分が居る世界と居ない世界」とでも題してみようか?しかし、この結論はいまだに出ない。
 自分が居る世界にはいつも人が自分を助けてくれる。話を聴いてくれて、話を振ってくれて、肩を支えてくれて、自分を知ろうとしてくれる。優しさに満ちた世界。お互いがお互いを認めて、励まし合う。そんな仲間に囲まれて生きる世界。しかし、自分が居ない世界はどうだろう。自分が居ない世界でも「優しさ」はある。きっと誰かが損をすることはないだろう。
 だとしたら私は、私がこの世界に居る理由を見つけなければならない。私が、誰かに優しく、励まし合い、刺激し合うことで誰かを”仕合せ”にすることが存在意義になるのかもしれない。依然としてその具体例が見つからないので、最初の問いに結論は出ないのだ。

 少々私情が過ぎたが、この作品には温もりがある。2人のやり取りに溢れる「愛」と「自己」。ここに何を刺激され、心を動かされるかはそれぞれだろう。この作品をどう完成させていくか、というよりは「どう完成しない部分を残していくか」にスポットライトを当ててみるのも面白いはずだ。

 打って変わって、2作品目にも触れてみよう。少々SFチックな雰囲気が漂う『もけもけのモノ』は、終始ユーモアが交えながら、大切な何かを感じさせる力強い作品。
 カナコ(=安齋彩音)は一緒に暮らす引きこもりの妹・ケイ(=林美月)と、モルモットかハムスターのような謎の生き物の扱い方に悩んでいた。ある日、カナコは個性的なコンビニ店員・ルリ(=吉沢菜央)と出会い、ヒョンとした出来事で意気投合する。ルリもまた自分に悩み、同棲しているワカバ(=石本雄大)との関係を通して自分を見つめていた。そんなある日、ワカバは捨てられていた、あの生き物を拾って帰ってくる。この生き物はいったい何なのか?そして、それぞれのキャラクターは何を葛藤しているのだろうか?
 この作品は、いわば前後編の前編を意識したと作・演出の山本は書いている。つまりは、『こうさてん』のなかでこれらの疑問は解消されない。モヤモヤは残るが、こちらもまた作品としては成立しているのが面白い。それぞれの登場人物が抱える葛藤を、ぜひ考察されたい。

 自分というのは、ある意味一番理解しにくい存在とも言えるだろう。自分が何に悩み、何にもがいているのか、わからなくなる時がある。自分が分からなくなる。自分が誰かを傷つけ、大切な誰かがなぜ傷ついているのか、無性に不安になる。自分が自分でない感覚。これは誰もが体験しうることだ。
 この登場人物は、まさに自分を見失っているように感じる。大切な人が自分の手から離れ、自分を理解してくれない感覚。それは、姉妹愛や恋愛としても描写される(詳しくは伸べないが親子愛も)。
 むずかしいがこちらもまた、自分と向き合うことを強く考えさせられる作品だった。

 これらの作品は、渡邉・山本がそれぞれ主宰をつとめる演劇団体で完成したものを上演するという。その完成までには、観客の意見が尊重されるというのだからすごい。まさしく、観客がいて成立する演劇。詳細は、にもじの公式HPやSNSを参照されたい。(詳細は後述。)
 また、今回は「RAFT」という会場で上演されたが、オープンスペースなこの会場では、向こうの道から車の音や人の話し声がよく聞こえてくる。それらの雑踏が、まさにいま目の前で起きている空間として表現されていて、掛け算の発想になっている。加えて、会場の形状を上手に利用した美術や動線は、キャラクターの心理を見事に伝えていた。

 なかなか演出や照明、音響面に触れることができず、今回は「劇評」ではなく、私自身のエッセイに留めておくが、題にも示した通り、観客は作品の余白を通して、自分を見つめなおす。そこには山の頂から見えるあらたな世界が広がっているだろう。これだから演劇は面白い。
 にもじのワークインプログレスはもちろん、どのようにこの作品を完成するのか、ぜひ注目しよう。

にもじ公式ホームページ

にもじ公式Twitter:https://twitter.com/nimojimoji/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?