【備忘録】わたしの演劇〔2023年春編〕

 わたしが思う「演劇」をツラツラと書き残しておく。あくまでもいま、2023年3月時点での話である。少しずつ考え方が変わるだろうから、備忘録程度に。

 2023年に入ってから色んな演劇に出会った。もっとも、一番観ているのはミュージカルだが、四季以外の興行も触れているのだから、少しは成長したのだろうか?(いや、4月からは四季に浸かる予定)

 わたしと演劇の出会い。それはミュージカルだった。もともと「エンタメ」が好きだった私はエンタメを演劇として捉えたことがなかった。
 これはあくまでも持論だが、「エンタメ」と「演劇」は区別して考えている。別物とまではいかなくても、どこか違う点があるように思う。前者はサービスとして消費される存在、後者は体験を通して内省しうる存在。だから、私は四季が上演しているミュージカルをエンタメとして捉えたことは、ほとんどない。

 3年前。自律神経の病気を患い、精神的にも辛い日々を送っていたあの時。苦しかった。いままで楽しいと感じていたことが、何も感じない苦しさ。食って寝ることも器用にやってのられなかったあの日々。生きる意味が分からなかった。そんな私に生きる意味をくれたのは、間違いなく演劇との出会いだった。コロナの自粛期間がいったん明け、唯一の楽しみで観に行った『マンマ・ミーア!』。目の前で進んでいくドラマに没頭した2時間半。
 カーテンコール。「踊って歌えば人生は最高だよ」の歌詞に泣き崩れる。自分の居場所をやっと見つけた。

 演劇は居場所をくれる存在。常にだれかを思いやって、目の前にいる人たちにボールを投げる行為だと思う。「芸術は自分が好きでやってる」なんて誰が言ったんだ。観ている、体験している人たちの、誰か一人が芸術に触れて、少しでも明日を生きる力になれば、それで芸術は意味がある。

 きれいごとしか言えない。というか、この世界はきれいごとでしか成り立たないと思う。エゴが丸見えの演劇なんて存在しないし、仮にエゴだけでやっていてもそれは演劇じゃない。他者を思いやる。何かを伝えようとする。私たちには、それしかできない。

 だから、私は常々「演劇とは対話だ」と言うんだ。舞台上のコミュニケーション(芝居)に対話があるのは大前提として、観客との対話を成立させなければならない。それは「言葉を届けること」が第一であり、ボールを投げ続けた先に、返って来るボールがある。お客さまを信じて、お客さまの祈りを自分たちの芝居に、自分たちの想いに引っ張ってくることしか、私たちにできることはない。

 そう信じて、また明日を生きる。自分を救ってくれた演劇のために、そして同じ苦しみを感じている誰かのために。

 自分を信じて、仲間を信じて、演劇を信じて、これから出会うであろうお客さまを信じて、少しずつ進んでみます。見守っていただけたら嬉しいです。

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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