宝石みたいな花を残して
眠れない夜が来ると考えごとが尽きない
一昨日も寝れないなぁといろいろな考え事ごとが順番待ちして脳内に出たり入ったりを繰り返していた。
こういう自分ではいたいなって目的はあるが、果してそこに意味があるのだろうかと自問自答する。
30歳を超えてまだまだこれからなんだろうけど、なんか結構人生楽しめたなって思う自分がいた。明日死んでも自分自身は悲しくないのかもなんて思ったりもした。
組織に入れば生きづらい世の中でなんでこんな頑張らないとあかんのやろって思ったり、いっそ無を受け入れるのもありなんじゃないかとも思う。
人間なんてのは100年も経てばここにいられなくなるんだから
必死になって生きる意味なんてのは見つけなくてもいい。
最近では、兄弟や友だちが子を授かり名前をどうするかなんて話をよくする。その話を聞くたびに、生まれてくる前から愛で満ち溢れてるなぁと幸せな気持ちになる。実際姪っ子が生まれてきたら溺愛する自信もある。
もうこの時点で人の生命には価値があるわけだ。
生まれてきただけで誰かの輝かしい宝石みたいな花になっていると思うと
生きているだけでいい。
そのはずなんだが、今日の正午に悲しいお知らせが入った。
20代の頃によくライブに通っていたアーティストさんの訃報。
酸欠少女さユりちゃんが亡くなったとXを見て知った。
さユりちゃんを知ったのはもう8年も前かな?
深夜帯でやっていたアニメ「僕だけがいない街」のEDの曲が良すぎて調べたら二十歳そこらのぽんちょ姿で裸足でギターを弾いている女の子が歌っていることがわかった。
あまりのビジュアルのインパクトで気になりすぎてライブを観に行った。
世の中に対する葛藤を歌にしていたのだが、その心の叫びがとても美しかった。月のように輝かしかった。
ライブのMCでも生きづらいですよね。ここに来ている人はみんな同じような想いを持った人だと思いますって何度も言っていた気がする。
自分は愛知に住んでいたので、さユりちゃんがリリースイベントで愛知にくるたびにアスナル金山や栄のタワレコにGOしていたな。
伊藤歌詞太郎さんの話をした日も覚えているし、何度も通って握手もループして裸足じゃなくなった日には理由を聞いてみたりもした。
ちょっと今日は寒いかなと思ってとニッコリ笑顔を返してくれた日のことも覚えている。
2017年の新宿バルトの路上ライブや年末のCDJに出演したときのことも。
コロナ過になってからはライブ自体が自粛になり、音楽をライブハウスで奏でるアーティスト。それを聞きに行くファン。この関係性が日常であったのに失われれしまい、コロナが明けてからも前よりは足を運ぶことが減ってしまった。当然、さユりちゃんに会う機会もなかった。
会えない状況だからってのもあり、2カ月に1回くらいは一番尊敬しているアーティストさんはちゃんと生きているのだろうか?急に嫌な報告が入らないだろうかと考えることもあった。
その方とは違ったが、好きで通っていたアーティストさんが亡くなってしまうのはきついものがある。
ライブを見るとわかる。この人本気なんだなって。
さユりちゃんには揺るがない魂みたいなものがちゃんと歌にこもっていた。
命の灯を削って歌にしているんだなって伝わってきていた。
だからこそ喉の病気を発症して声がでないってのは本当に辛かったと思う。
亡くなった要因はわからないけれど、ツイートの内容を見ると心情がひしひしと伝わってくる。
さユりちゃんがデビュー8周年のときにXで放った言葉をここに記します。
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「長かったな 君がいちばん苦しい時に傍に置いておきたいと思える音楽
君の体の中のいちばん大切なものを大切にするための音楽でありたいです。ずっとそうです。それがさユりの音楽の全部だよ。曲聴いてくれてありがとう!大好きだよ」
2023/8/26
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さユりちゃん、あなたが自分のために歌ったミカヅキはネガティブな言葉でさえも聴く人の光になっていたと思います。
自分のために歌った歌が、誰かのための歌になり、またそれがあなたの存在証明であればファンとしては嬉しいよ。
数えきれないほどの音楽がこの世の中にあるけれど、仲間と共に聴きに行っていたあの日常に今も支えられている。さユりちゃんの音楽に出会えてよかったです。思い出すと仄かに光る宝石のような花が確かに心にある。
届けてくれてありがとう。
ゆっくりと休んでください。
日常と向き合うための音楽をこれからも愛していく。音楽好きとして。