「最良の別れ」のための、不断の努力
さようなら。
お元気で。
こう言ってお別れをすることは少ない。
「最良の別れ」とは何かについて考えている。
僕らは別れるために人と出会うと言っても過言ではない。
原理的に僕らには必ず最後に「お別れ」が待っている。
それはニヒリズム的なそれではなく、リアリズムとしての言葉だ。
それを人生の冥利と取るか、悲劇だと嘆くかは人それぞれだけれど、
「別れ」それ自体が悲しいものではない。
むしろ、僕らは「別れ」によって
人を想い、世界に対して想像を働かせることができるのではないだろうか。
「居なくなってしまった人たちのこと
時々でいいから、思い出してください。」
今ここにいない人のことを想うこと、
別れなければわからないこと。
元気で生きていて欲しいと願うこと。
「別れ」とは、ある種の祈りのように思える。
というより、別れが祈りであるために、
僕らは不断の努力を怠ってはいけないと言えるかもしれない。
人間関係が希薄になりがちな現代で、
僕らは「別れ」を意識しないまま、
断たれる関係性がある。
僕も、そうやって切ってきた人が何人もいる。
ちゃんとお別れを選択することも大事だなと。
さようなら。
お元気で。
と言える、
ちゃんと「最良の別れ」ができる
人間関係を見直したい。