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「出来ない」を「出来る」にするちから
小学低学年の頃のことだ。
体を動かすのが好きで、よく友達と公園に行っては鉄棒で遊んでいた。
前回り、天国回り、だるま回り。
色んな技をそばで見せられて「なにそれ、どうやるん?」と、どこで覚えてきたのか分からない友達の技を怖さ半分、教えてもらって習得しながら遊んでいた記憶がある。
その中でも、どうしても出来ないことがあった。
逆上がりである。
小学校には逆上がり台があって、それを使えば難なくクリアできるものの、なんだか簡単過ぎて自力で出来るようになりたかったのだ。
しかし、台が無いとなれば、難易度がとてつもなく高い壁になってしまう。
逆上がりをするには、腕力、足で蹴る力、瞬間的な反動が必要になってくる。事前に鉄棒に乗る前回りと違って、地面に立った状態から鉄棒に腰を引き付けなければならない。腰を持っていくのが出来なくて、どうにもこうにもならなかったのだ。
「お母さん、逆上がりってどうすんの?」
友達に聞いても、自力で頑張っても無理なら、1番信頼出来る母のちからを借りようと助けを求めた。
当時、据え置き型パソコンはあれど、スマホどころかガラケーと呼ばれる携帯すら普及していなかった時代である。情報収集はテレビと本、人伝に話を聞くしかない。
母はテレビで、逆上がりが出来る方法の番組を見つけてきたり、これならできるのでは? という、アドバイスをしてくれた。それだけではなく、何かのついでに公園を見つけては、陽が暮れるまで毎度練習に付き合ってくれた。
1年経っても出来なかった。
義務教育を卒業した後で母に聞かされた話だが、当時の担任の先生に、保護者面談でこんなことを言われていたらしい。
「小2で出来なかったら、体重のこともありますし、出来るようになるのは難しいですね」
そんなことを言われているとは露知らず、努力に努力を重ねて小学3年のある夏の日。母の付き添いの元、コロッと出来てしまった。
ぐるんと回った視界と、1度離れた両足が地面に付いた感覚と。世界一周でもして戻ってきた新しい景色に、一瞬頭が追いつかずぽかーんとする。
「出来たやん!!」
母は思わず拍手して、肩をさすって、抱きしめてくれた。あまりの喜びように「あ。出来たんだ」と、頭の処理がやっと追いついて、嬉しさが込み上げてくる。
それからは簡単だった。
1度コツを掴めば、体が勝手に覚えてくれるものらしい。その日も陽が暮れるまで、くるくると逆上がりで遊んで帰った。
この経験は1年以上も練習を続けたことと、母のちからがあったから、親身に向き合ってくれたから出来るようになったのだ。その間、「諦める」という選択肢は微塵も考えていなかった。
「出来る」ということすら、期待していなかったかもしれない。ただ「出来たらいいな〜」と、軽い気持ちで挑戦していたのだ。
あれから15年以上経ったが、逆上がりの挑戦状を破り捨てて諦めていれば、きっと僕は恐れから、どんなことにも逃げ続ける人生だっただろう。
子どもの頃の経験は、良くも悪くも将来に響く。
心の底から、逆上がりが出来るようになって良かったと思った。
1年以上も「出来る」と信じて、ずっと見守って応援してくれた母に感謝したい。そして、僕もまたこの経験から、誰かの勇気になればと夢を思い描いている。