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古事記で神の生まれ方にふと感じた疑問など

今日は一日中ヒンヤリしていました。予報では雨は夜になってからのはずが、昼過ぎから霧雨が降るなど、あまり安定しない一日となりました。

さて、……。

2ヶ月ほど前、以下の記事を書いた。

この記事を書いた時には気付かなかったのだけど、ふと「あれ?」と思ったことがあったので、そのことを書いてみる。

古事記の冒頭では、国産みの話が記載されている。日本列島の主要な島々は、伊邪那岐(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)が産み出したものだとされる。

この二神がオノゴロ島に天の御柱を立て、その周りを二手に分かれて進み、出会ったところで伊邪那岐の身体の出っ張ったところと伊弉冉の身体の引っ込んだところを合わせてみたら、次々と島が産まれてきたのである(意訳)。

その後、多くの神を伊弉冉は産んだ。そして火の神を産んだ時に大やけどを負い、黄泉の国に行った。島々は伊弉冉の体内から出てきたのではなさそうなのだけど、神々は人間のように伊弉冉から産まれてきたのである。

この後、伊邪那岐が死んだ妻を追いかけて黄泉の国に行き、変わり果てた妻の姿を見てその恐ろしさから逃げ出した。追いかけられたが何とか逃げ切り、黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊を行なう。

すると、様々な神が生まれ、最後に左眼から天照大御神、右眼から月読命、鼻から建速須佐之男命の三貴子が生まれた。伊邪那岐は三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を任せた。

私が「あれ?」と思ったのは、日本の神様は伊邪那岐・伊弉冉の間から生まれた神と、何かの拍子に生まれた神がいること。そして、その差は何なのかということ。

古事記は物語であり、物語に理屈を求めても仕方がないのかも知れない。ただ、日本で実質的に一番上位に置かれる天照大御神の誕生に、伊弉冉は直接関わっていない。

神産みにおいて、どのような神が生まれてくるのかは、神である伊邪那岐・伊弉冉にも分からないこと。だからこそ伊弉冉は、火の神を産んで命を落とすようなやけどを負うことにもなった。

その死後も伊邪那岐が何かをする拍子にポロンポロンと神が産まれるのであれば、伊弉冉は命を懸けて体内から神を産む必要ってあったのだろうか。

古事記には、この経緯について全く書かれていない。昔話だから黙って聞けと言われれば拝承するしかないけど、謎はどうしても残る。

ただ、この国産みから三貴子が生まれるまでについては、あなたも何かで見聞きしたことがあると思う。これが太古から継続してきたことで、女性が産む性であるという認識が長く続いた。それは今年5月、上川外相(当時)の「うまずして何が女性か」の発言にも繋がったと思われる。

実は、最初の国産みは失敗している。詳しくは書かないが天の御柱を回った二神が出会った時、女性である伊弉冉から声を掛けたのがよくなかったとされ、障害がある子が産まれたことに対しそれを葦船に乗せて流してしまう描写もなされている。男性上位、福祉意識の欠如といった昔の意識が神話に投影されている。

これも代々読み継がれてきた結果、長らく日本人の意識形成に影響を与えたのではないか。私はそう考える。

一方で、日本の神話では神を人間に近い感情を持つ存在として描いている。絶対神による秩序だった世界観とは明らかに異なる。これがあらゆる存在を前向きに受容、我が物としてゆく日本人の融通無碍の精神に繋がっていると考えるが、いかがだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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