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香典返しの裏側に存在する社会性
今日は、ほぼ時節なりの寒さでした。コートがなくても頑張れるけど、やはり染みてくるような空気の冷たさは否めない。季節の変わり目を感じました。
さて、……。
母が先月末に亡くなって3週間が経過。新たな香典の到着もないだろうと踏んで、香典返しに着手する。
この記事の読者層を掴みかねているが、恐らく人生において何回かは香典を送り、それに対してお返しをもらったことがあるだろうと想定して以下を記載する。
香典は、基本は半返しとされる。地域によっては三分の一返しというところもあるようだけど、少なくとも0というのは一般的ではない。
以前、香典をお送りした方から「ご芳志は福祉団体に寄付をする」というお手紙を頂いたことがある。結果としてお返しがなかったのだけど、そう聞いて「そういうのもアリなのか」と感心した記憶がある。
間違っても「お返しもしないなんて」と怒ったことはない。さりながら、この手の話は最大公約数を探る必要がある。
「お返しなんて要らないよ」という人は多い。でも、その言葉を真に受けて良いのか。これについては恐らく議論百出しても結論に至ることはないだろう。
この言葉を信じて何もしない場合に「あの人、本当に何も送ってこない」と批判されることがないと言い切れる人はおられるだろうか。少なくとも、その手の批判をする人が出てくる可能性については、ご同意頂けるものと考える。
冷静に考えれば、虚々実々の駆け引きが故人を悼む厳粛な期間で行われるのも何だかなあというのが正直なところ。それでも、この手の話は実際に起こってしまうのだからやむを得ない。
固辞されても何かはお返しするというのが基本的な対応方針だと私は思っているし、それで逆に「要らないって言ったでしょ」と怒り出す方がいたとしたら、ただただ頭を下げる他はない。
人類は自然界では弱小であり、その生存戦略として社会性に重点を置くようにした。そのことで共同で狩りをする、子どもを皆で守るといった対応をするようになった。本件も社会性という切り口である程度整理できるのではなかろうか。
そつなく社会性を発揮するのが面倒になると「香典・供花等については固くご辞退申し上げる」という方向に流れることに繋がる。今ではそういう対応が主流となりつつある。
頂きっぱなしという訳にはいかないのであれば、最初から受け取らない戦略もありだと考える。ただ、それは人との付き合いが狭くなることに繋がる。それでもやむを得ないものとして甘受するということなのだろう。
恐らく社会性で悩んだことがあるnoterに、私は幸あれと願っている。
お読み頂き、ありがとうございました。
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