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人間が本当に社会的な生き物か、悩む

今日は、朝方雨がパラつきました。空を見ながら身支度を調えたところ、電車に乗る頃には止みました。昼は予報通り気温が上がったものの、夕方は再び寒くなりました。襟巻きをしておくべきだったと思っています。

さて、……。

人に取って、自尊感情は大事。自尊感情が低いと投げやりになり、自分を大事にしない行動を取りがちになる。

一方で、自己愛は持ち過ぎるべきではない。他者の気持ちに思いを致すことなく自分を大事に思っても、大抵共感を得られない。他者の気持ちを無視した振る舞いは、人として評価されることはない。

自尊感情と自己愛。この2つは字面から見ると、パッと見には差異がないように受け取られる。でも、実は自分に対して評価する者が異なる。

自尊感情は自分が自分に対して肯定的に捉えるもの。これに対して自己愛は、他者が自分を肯定的に捉えることを他者に対して望むもの。

もちろん、自己愛の前提には自尊感情もある。でも。それを自己の中で完結できず、他者にそれを求めるのである。この他者との関わりにおいては、いろいろな問題が引き起こされる。

他者からその人への肯定を求められた場合に、求められた側はどう反応するだろうか。当然肯定する人もいるだろうけど、そうでない人もいるはず。

更に、一度肯定した人がその後も評価し続けるとは限らない。何かある度に肯定を求められたら、感情的に余裕がなくなって拒否したくなることもあるはず。

このような状況に陥ったなら、その関わりの継続は双方にとって不幸にしかならない。肯定を一方的に求められ、依存されるだけの関係は、まともなコミュニケーションとは考えられないし、求められる側の大きな負担となるからだ。

ここで「人間は社会的な生き物」ということをどう捉えるべきなのだろうか。

もし他者から全く肯定的な評価を得られない場合、それで意欲を維持できる人は少ないだろう。ぶっちゃけ、誰でも褒められたらやはり嬉しいし、他者から承認されることに安心感を覚える。これを全否定はできないだろう。

もちろん、中には他人の評価などどうでもよい、自分の能力は自分が一番よく分かっているからそれでよいと肩肘張る人もいる。でも、そういう姿勢を見せられるのは何か痛々しいし、モヤッとした感情に囚われる。やはりバランスなのだろう。

結局のところ、皆が人と適度に関われればそれだけで円滑に社会は回るはず。でも、それがなかなかうまくいかない。人間関係に疲れて自ら命を断つ、堪忍袋の尾が切れて刃傷に及ぶ。新聞の三面記事は、日々この手の話題で満ちている。

「人間は社会的な生き物」というのも、「人間は社会的に生きるには社会性が未成熟な生き物」と定義を改めた方が良いのではないかと思ってしまうのだけど、いかがだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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辻六道🥚
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