
「ふん、そんなものを美味いとありがたがって……」たっていいじゃないか人間だもの
今日は、さすがにカッターシャツ一枚ではきついものの、カーデガンを羽織れば外を出歩ける程度に気温が上がりました。こうなると、また庭木の枝の剪定をしなければなりません。温かいもまた「ありがたくもありありがたくもなし」です。
さて、……。
タイトルはグルメ漫画の金字塔とも言える「美味しんぼ」の有力サブキャラの一人、海原雄山のセリフ。何回か似たようなことを言っているので、美味しんぼを読んだことのある方なら、記憶のどこかに残っているのではなかろうか。
リアルタイムで読んでいた大学生の頃には、半分ギャグにして友達とマウント合戦をしたもの😆。若気の至りであるのだけど、今から考えるとこのセリフは図らずも海原雄山の視野の狭さを表していることを示すもの。
というのは、美味しいものには金が掛かる一方、金を積めばたいてい手に入れられる。しかし、いくら金を積んでも全ての人が口にできるほどの量は確保できない。それを踏まえれば、絶対にそれを食べられない人というのは出てくる。
この状況で、それを食べられない人側に何か責任があるだろうか。私見であるが、責任はないし、そもそも本人たちがそれを食べたいと思っているのかもハッキリしない。食べなくてもよいと思ったとして誰が困るだろうか。
こうなると、結局海原雄山は金に糸目を付けずに良い食材を買ったことを自慢しているに過ぎないことになってしまう。視野が狭いというのはこれが理由。
実はこれは全世界的な視点に立つと、もっと大げさになる。今の中国人がアメリカ人並みにステーキを食べられるかを考えてみれば分かる。結論から言えば、それは無理なこと。
食用で流通する牛肉の量を増やすためには、牧草だけでは無理で穀物も飼料にする必要がある。しかし、全世界の耕作地を全てこの飼料用作物に転用したとしても、14億人いる中国人が週3回食べるステーキ用の食肉を生産することはできない。それだけの飼料は作れないし、他の食べ物がなくなってしまう。
実は、今のアメリカは物価高でステーキを食べる回数も減っているらしい。だから、週3回は過去の話だとも聞く。一方で、原野を切り開き農地を広げればできるかもという発想も成り立つ。でも、そこまでして皆がアメリカ人の食生活を真似る必要はそもそもない。
むしろ、本人が満足して食事をしているなら、それはよかったねと微笑ましく受け止めればそれでよい。いちいち異文化にケチを付けたり上から目線で見下げたことを言ったりするから一悶着起こってしまう。
こういった「人との適度な距離の取り方」も、加齢につれて身につけるべきソーシャルスキル。でも、それを身につけられなかった人が世の中に散見される。彼らは育つ過程でコミュニケーション能力獲得の機会を得られなかったのだろうか。
この問題の解決方法として、食肉を増やすことよりもお好きなようにさせる方が遙かに合理的かつ簡単だと思うのだけど、いかがだろうか。
お読み頂き、ありがとうございました。
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