いっぱいいるよ。
ヤモリが台所の窓にへばりついていたので、動画を撮った.
ヤモリを見たのは初めてだ。
撮った動画を見返しているうちに、この珍しいことを誰かに話したい欲求が、泉のように湧いてくる。
誰かに話したら、盛り上がるに違いない。
早速PCを開き、ヤモリについて調べる。
なになに「ヤモリは家の中にいる虫を食べ、古くから「家の守り神」と言われている」おお、それで家守(ヤモリ)か。素晴らしい。
翌日、仕事の合間をみて、やや声を弾ませて同僚に声をかける僕。
「昨日、ヤモリ見たよ!やっぱ温暖化だからかな!」
「昔からいるよ、いっぱい」
「うそー。おれ初めてみたよ」
「・・どこ見て生きてるんすか」
一緒に動画を見て「へー、珍しいね」などと感心してもらおうなんて、期待した自分がハズカシイ。
ヤモリの話で盛り上がるなど、妄想もいいところであった。
・・しかしである。
「スゲー珍しい」という気持ちは、簡単には消えない。
あの野郎(同僚)の言うことなど、信用ならない。
なにせ、間違いなく、僕は初めて見たのだ。
温暖化で生息域を広げたヤモリが、ついに僕の家まで来たのだ(茨城県のまん中へん)。
その翌日、庭でチョコ(犬・雑種・オス)と遊んでるふりして、隣の家のおばさんが畑仕事に出てくるのを待つ。
庭先で偶然顔を合わせ、ご近所どうしのありふれた挨拶を済ませた後、自然にヤモリの話を切り出したかった。
昨日のようなテンションで、話始めてはいけないのだ。
「おはようございます。今日も暑いっすねー」
「おはよう、暑いねー。朝夕だけだよ、畑に出れるのは」
「一昨日ヤモリ見ましたよ。珍しいですよねー」
「・・よく見るよ。いっぱいいるよ」
今思い出したが、ある日通勤路の途中に、廃業したラーメン屋があるのを発見して驚いたことがある。
「こんなところに、ラーメン屋あった?」
廃業店舗とはいえ、クルマ通勤とはいえ、入社15年目にして初めてラーメン屋の存在に気が付く自分。
ヤモリも、そうなのか。そんなことって、あるのか。
その後、ヤモリを時々目撃するようになった。
暗い部屋に潜んでいたヤモリのしっぽをうっかり踏んでしまい、お互いにびっくりしたりして、親近感を持つようになった。
身体を左右にくねらせて逃げる様子が、不器用でかわいい。
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