やさしさに期待
先日、黄斑前膜(右目)の手術をした。
網膜の中心(黄斑)に薄い膜が形成されたことにより、ものが歪んで見える。
タイルの目地やExcelの罫線などの、水平方向の直線が歪んで見えるのだ。
「手術である程度の改善は望めるが、あまり変わらないこともある。
そこは個人差が大きい。病状の進行は止まるが再発することもある。一週間ほど入院が必要」
などと、あまり希望が持てない説明を医師から受け、手術することを躊躇していたが、最近になって急激に症状が進み、もう勘弁ならないぐらい歪みがひどくなったので、ダメ元で手術を受けることにした。
いきなりだが、以下、手術室での話。
手術室は広く、歯医者で使う椅子を、もう一回り大きくしたような椅子が4台、横一列に並んでいた。
出入口付近には、車椅子に乗った手術待ちの不安気な背中を見せる人が3人。
ここは、県内で最も規模の大きい大学病院。
結構大きめの総合病院でも治療できない患者が、この大学病院を紹介され、流れてくる。
僕もその一人だ。
車椅子から手術用の椅子に移る。
45度くらいに倒された背もたれに上半身を預け、後頭部を包み込むような形状のヘッドレストに頭をのせると、顔は天井を向いた状態になる。
僕の頭上(顔上?)で、執刀する主治医と、若い副主治医が、手術とは無関係な話をしている。
「そんなこと、眼科に言われても困るよなあ」
「そうですね」
「眼科でやることじゃないし、そんな時間もない」
「そうなんです」
「だいたいさー、こないだも・・・云々」
これまでに手術は何度か受けたが、手術直前に不安と緊張で体をこわばらせている僕を見て、医師や看護師さんは、リラックスさせるような言葉をかけてくれた。
小学生の頃、すい臓にできた腫瘍を切除する手術を受けたときは
手術室のベッドの上で、緊張して全身をこわばらせている僕に
「S君のおうちはどこ?」
と、穏やかに話しかけてくれた看護婦さんがいた。
「A町」
「あらーっ、じゃあ海の近くだから、お魚好きでしょ?」
「さかな好き」
「やっぱりー!食べるとしたら、何が好き?」
「サバの塩焼きとか」
「おいしいもんね!」
体の力が抜け、気持ちが楽になったことを覚えている。
今回の手術は、そんなやさしい言葉は、一切なかった。
たぶん、僕がおっさんだからだろう。
そんなやさしさを期待できる年齢ではない。
そんなやさしさを期待している自分が気持ち悪い。
日頃、どういうわけか実年齢よりも「若い」気分で過ごしがちだ。
「こんな小さい文字が読めるか!」とか
腰が痛いの、膝が痛いの、肩がどうのと、毎日のように愚痴っているのに、なんでもない時は「若い」気分でいるのは何故だろう。
そう思っていたほうが、ラクだからか?
実年齢を常に意識していたら、気楽な毎日は過ごせない。
老後や健康や貯金とか、不安要素がたくさんあるから。
死ぬまでに、これをやらねば!・・・などと気負ってはいないが
このままでは死ねんな・・・とは思っている。
あんまり気楽ではない。
ということは、現実逃避のために無意識に「若い」気になるのか?
鏡をあまり見なくなるのも、現実逃避のひとつ?
そういえば、つい先日、自宅に防犯カメラを付けて動作テストをしたときに、防カメからスマホに送信された「自分が撮られている」動画を見て、軽く衝撃を受けた。
そこには、まごうことなき「おっさん」が映っていた。
想像以上の自分のおっさんぶりに
「俺って、こんなんか・・」 思わず声が出た。
話を戻します。
手術直前に関係ない話をしているということは
「手慣れた手術で緊張などしていない」ということだ。
熟練の医師・・・そう思い至り、少し緊張が和らいだ。
やさしさを期待できない時は、自分に都合の良い想像を膨らませて
自分にやさしくしよう。
予定より短時間で手術は終わり、いまのところ順調に回復しています。